7-2

 こうして私は、田中のおばさんからめちゃくちゃ感謝されながら見送られ、仁見先生の医院の方へと戻ることになった。


 てくてく歩いて、見慣れた仁見先生の医院の前に着いた時間は、だいたい10時過ぎだったかな。

 休診日の今日は、当たり前だけど医院のなかには誰もない。

 本日休診の札がかかった医院の玄関扉は静かに、きちんと施錠されている。(念のため、なんとなく私はそれを確認した)


 うん、仁見先生の医院の周囲は、何の問題もなく平和だ。

 そのまま私は視線を、ふと、一階部分にある医院からグッと上へと向け直して、さらにビルの三階の方まで顔をあげて見上げてみた。

 お天気のいい今日もまた、いつものように休日の仁見先生は部屋に引きこもってゲーム三昧してるのかなぁ…なんて思いながら。

 (ちなみにビルの二階は、仁見先生のおじいさん先生が現役の頃に手術室として使っていたりしたらしいんだけど、設備が古くなったからとかで現在ではほぼ使用されておらず、もはや物置ルームと化している)


 ここから私はひとり、仁見先生の医院を中心にゆっくりと歩きながら周囲の建物の隙間なんかを見てまわっていった。

 近所のお庭を外から眺め、車の下、物置の横、屋根の上なんかも確認し、お散歩くらいのスピードでゆっくりじっくり見てまわった。


 そうやってキョロつきながらうろついていると当然というか近所の方々から声をかけられるんだけど(どうしたのマナちゃん、何か落としたの?)ステファニーちゃんの話をすると、みんな納得してくれて私を応援してくれる。(ステファニーちゃんが迷子の話は、ご近所に知れ渡っているのだ)


 こうして順調に私はステファニーちゃんの捜索を続けていたのだけれど、それにしても我らが町内は平和すぎて、何の異変も感じられない。

 たまに車を洗車している人や、庭で洗濯物を干している人を見かけるだけで、あとはあまり人の気配も感じられない、みんな休日にどこかへ出かけてしまったのか、あるいは仁見先生のようにおうちの中でまったりしているのだろう。

 あたたかな午前の日差しに照らされた町内はスーパー穏やかなうえ平和であり静かだ。


 そもそもさあ、最近は外を自由に歩いている…いわゆる野良猫っていう存在を見かけなくなったよね、ワンちゃんだってうちの中で飼っているお宅がほとんどだし、今の時代ペットたちも仁見先生ばりのインドア派なカンジ。

 人間以外の動く生き物が目に入れば、それこそステファニーちゃんである可能性が高いんだけど、まじで世界はポカポカにシーンと静かでカラスさえどこにもいない…うう、ステファニーちゃん…どこに隠れているの、あんなに大柄な体格をどこに隠して潜んでいるの?


 結局、午前中は何の収穫も得られないまま、私は一度、田中さんのおうちに戻った。

 12時過ぎくらいになったら、いっかい戻ってきてねって言われていたからだ。


 田中さんのおうちに戻った私はお昼ごはんをごちそうになり、全員戻ってきた田中さん一家と親子丼を食べながらステファニーちゃん捜索のための作戦会議に参加した。

 みんなステファニーちゃんの影すら見つけることができず、それぞれがステファニーちゃんの身の上を心配して憔悴している。

 その様子を見て私は、ひとまず『幽霊の右手』うんぬんのことは置いておいても、田中さんたちのためにステファニーちゃんを見つけてあげたいと強く思った。

 

 午後、親子丼を食べてエネルギーチャージをした私は、田中さんのおうちを出て仁見先生の医院の方角へと戻り、ステファニーちゃん探しを再開する。

 仁見先生の医院を中心として、さっきまで探していたところとは別の場所をていねいに探していく。


 コンビニや月極駐車場、自販機の裏や、いろんなところを見て回った。

 (この行動、地元だからいいものの、マジあやしい人っぽい動きだよね)

 でもやっぱりステファニーちゃんは、いない。


 そのまま段々日が落ちてきて、15時をまわったところで、私はまた一度田中さんのおうちに戻る。

 ステファニーちゃんが見つからなかったことに田中さんは当然残念がっていたけど、本日の私の捜索参加にすごく感謝してくれた。

 今日はこのまま戻りますが、これからもステファニーちゃんが見つかるまで私も探すの手伝いますからね、という話をして私は田中さんと別れる。


 そう、私はステファニーちゃんを探し続ける。

 むしろここからが本番だ。


 だって夕方になったら赤間さんも捜索に合流してくれるんだもーん、夕暮れに照らされてムーディーな雰囲気の中、赤間さんといっしょに迷子の猫ちゃん探しするんだもんねー。

 えへへ…楽しみだなー、ステファニーちゃんを一緒に探していくなかで…赤間さんともっと仲良くなれたらいいな…。


 なんてことをニヤニヤ考えながら私はてくてくと歩き、ついに仁見先生の医院の前まで帰ってきた。

 仁見先生の医院を含めた周囲の建物は皆、地平線へ落ちかけている茜色の太陽の光に均等に照らされて、やけにのっぺりして見える。

 光の加減のせいだろうけど、なんだかお芝居のセットのように遠近感が感じられなかった、ちょっと非日常っぽさのある昼と夜の境の一瞬の光景。


 茜色の空…冬が近い夕方の空は、薄暗い中にもクリアに赤く輝いていて、とてもきれいだ。

 仁見先生の医院のビルの前にある道路から、なんとなく私は夕暮れの空を見上げる。

 何の変哲もない、穏やかなひととき。


 だった…はずなのに。

 そのとき…私は、どこからか、誰かに見られている…そんな他人からの、意志ある視線のようなものを突然肌に感じた気がして、ハッと息を飲んだ。


 あわてて周囲を見回してみる。

 だけど、誰もいない。


 私がひとり立っている道路にも、近所の建物からも、誰の姿も見えない。

 土曜日の夕方の住宅街は、やけにシンと静かだった。


 なのに…今感じた視線は誰のものだったのだろう?


 あの視線が、よく知っている近所の人たちの誰かのものだったなら、その場合ただこちらを見ているだけじゃなくて、普通に私へ声をかけてくれるのに。

 今ではもう感じない、一瞬の、なんだか観察されていたような感覚…。


 その視線の持ち主は、どこかこの近くに隠れているはずのステファニーちゃん?

 それともまさか…失くした右手を探している、幽霊男性…?


 このとき私は、ゾッと背筋が冷えるような恐怖感を覚えた。


 よく知っているはずの私の地元、心から安心できる場所。

 そのはずなのに、この静かな夕暮れが周囲を赤く染めあげているせいなのか、奇妙に時空が歪められてしまっているかのような、そんななんとも言えない孤独な不安感の中に、いま私は一人でいる。


 迷子のステファニーちゃんと同じくらい、このときの私はひとりぼっちであり、どこまでも孤独な気分だった。

 

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