5-4

 そして土日が過ぎて、月曜日になった。

 私はいつものように一番乗りで仁見先生の医院に出勤し、しっかりと施錠されている玄関扉の鍵を開けて、中へ入る。


 ぱちぱちと室内の電気を次々につけていきながら、いつもの朝とは異なる医院内の様子を点検していく。

 すこし角度が変わって置かれている患者さん用のイス、動かした痕跡のある検査機器、床に散らばる塩、そして空っぽであるはずのゴミ箱には煙草のフィルムゴミがまた捨てられている。

 これまでに数回あったのと同じ、例のポルターガイスト的異変の痕跡がぽつぽつと残っているその様子を見ながら、ああ、赤間さんは煙草を吸う人なんだなって朝の光の中でひとり私は思った。


 これで夜の仁見先生の医院におけるポルターガイスト、幽霊的異変の正体が、ドジっ子で怪我をするたびに仁見先生から預かっている鍵を使って院内に入り診察待ちをしている赤間さんだったのだ、という真実が分かった。


 てことは…これまで、このあたりで目撃されていた幽霊の正体は、ぜんぶ赤間さんだった…?


 ウーム…と私は幽霊と赤間さんについて考えながら、黙々と朝の開院準備を始める。

 そのうち検査技師さんも出勤してきてくれて、二人でテキパキといつもの朝の作業を済ませ、午前の一番乗りでやってきた予約の患者さんたちを順番に待合室のソファーに座って待っていてもらうようにしていたら、診察スタート時間ぎりぎりになって上の階からボサボサ頭にアニメTシャツ、シワだらけの黒いスラックス姿の仁見先生が、ダッシュで駆け込んでくる。

 まさにいつも通りの、仁見先生の医院の朝だ。


 だけど私は、ちゃんといつも通りに受付の仕事をしながらも、頭の片隅ではずっと赤間さんのことを考えている。


 ちらりと視線を待合室のソファーの方へ向ければ、いつでも私の脳裏には、あの夜まさにソファーのあの位置に座っていた…頭から血を流している赤間さんがカウンターを挟んで向かい合っている私へ、そっと微笑んでくれるその姿が、鮮明な幻として浮かんでくるのだった。


 うん、とにかく院内の異変については、怪我をするたびにここへやってきて仁見先生の診察待ちをしていた赤間さんの仕業だったってことで、確定にしよう。

 だけどその他の、院外の幽霊話についてはどうなんだろう?


 失った右手を探して、この辺りを彷徨う身元不明の幽霊男性の噂。

 夜に仁見先生の医院のまわりをうろついていたらしい、あやしい黒っぽい幽霊。

 お向かいのおばあちゃんがたまに見る、昼間に現れるという白っぽい幽霊。


 これらの幽霊話もまた、赤間さんの仕業ってことで解決できる内容なのだろうか?


 院内での謎は解けたけど、もっと重要な問題…ご近所の平和を守り、仁見先生の医院の評判を下げないようにするっていうミッションは、まだ解決できてないんじゃないの??


 …って考えながら働いていたら、あっという間に一日は終わってしまった。

 ゲーム厨の仁見先生は午後の診療が終わったとたん、脱兎のごとく自分の部屋へと帰っていき、お会計待ちの患者さんたちもいなくなり、次に後片付けを済ませた検査技師の人も退勤して、またいつものように私ひとりが医院に残っている時間になった。

 私ひとりが残っているっていっても、あとは簡単に掃除を済ませたら施錠して、すぐに帰るんだけどね。


 頭の中ではあれこれ考えていても、実際には幽霊などとは切り離された平凡な私の一日が、いつものように終わりを迎えるはずだった、…あのときまでは。


 最後に私は、仁見先生が使用した今日の分の紙カルテを整理しながら、なんとなく『あ行』にある患者さんのカルテを順番に見ていく。

 仁見先生は、赤間さんのカルテを個人的に管理していると言っていた、だから、ここに赤間さんのカルテはないんだろうなって分かってはいたけれど、一応確認しておきたかったのだ。


 やっぱり、ない。

 最終来院5年以内の患者さんのカルテはすべて、このカルテ室に保管されているはずなのに、赤間さんの名前のカルテは…いや、赤間さんの下の名前を私は知らないけれど、赤間という名字の男性で見た目の年齢が近いと思われる人のカルテがなかったのだ。


 うーん、不思議だ。

 赤間さんって一体何者なんだろう?

 どこに住んでいる人で、いつから仁見先生の患者さんをやっているんだろう?


 無駄に患者さんの個人情報を詮索するのはよくないけれど、私は赤間さんのことが気になっていた。

 あれから怪我の具合はどうなったのかな?

 夜のあいだだけ診療にやってきて、支払いはツケだというのなら、私はもう赤間さんと会うことはないのかな、とかいろいろ考えながらカルテを片付けていた。


 そうして考えに没頭しながらカルテ室で作業をしていたせいで、受付の方からチリーンという呼び鈴が鳴ったとき、私は思いっきりビクーッとおどろいた。

 誰もいないはずの医院内なのに、いきなり呼び鈴が鳴ったらそりゃあおどろくでしょう、まだ玄関扉は施錠してなかったので、患者さんが忘れ物か何かで戻ってきたのかなって思った私は、「はーい」と大きな声で返事をしながらカルテ室を出ると、受付へとすぐに戻った。


 そして…あの日の続きみたいにして、受付前の待合室の真ん中に立っている赤間さんと目が合った。

 

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