4-3
「ぎゃあああぁぁっ…!!!」
さっきまで除霊による勝利を確信していたのに、顔を上げた幽霊男性と目が合った瞬間、反射的に私は大絶叫していた、それは知らないうちに口から勝手に出てしまっていた。
だってさ、こっちを見た幽霊男性はさ…顔が血まみれだったんだもん。
ちょー怖くない!?
びっくりして悲鳴のひとつやふたつ出るってもんでしょう、だれだって。
血まみれの顔の幽霊男性は、こちらを見ている。
無言のまま、静かに。
全身黒づくめの服装に黒髪、そんな幽霊男性の顔…その肌の色は雪のように白く、その白い肌の額から目元の方にかけ、天井の照明によって鈍くてらてらと反射する血の赤が、映えるようにくっきりと見える。
そして血の赤のむこうで私を見つめる幽霊男性の瞳は、暗い夜の湖のような静けさを思わせる冷たい光を含みながら、まっすぐにこちらに向けられている。
これが…これこそが幽霊という存在、そしてこれまで平凡な人生を送ってきた私のはじめての心霊体験なのか…!
とっさに絶叫した私は、すぐそこに顔を血まみれにした幽霊男性がいるという事実にビビりまくながらも、一方ではわりと冷静に人生初目撃の幽霊を感動も踏まえつつ、まじまじと観察していた。
なんで私がそこまで冷静になれたかって思えば不思議なことに、その血まみれの顔に引いてはいても、幽霊男性そのものには不気味な印象を感じなかったからだ。
交通事故で亡くなった幽霊にしては(顔が血まみれだったとしても)全体的な見た目に清潔感があり、穏やかな表情でそこに座っている彼は、なかなか整った顔立ちをしていた。
たぶん年齢は私よりすこし上くらい、二十代半ばってカンジに私には見える。
(つまり肉体の見た目年齢だけで言ったら、仁見先生と同じくらい?)
彼の頬の白い肌は女の子みたいになめらかだし、スッと通った鼻筋も、形のいいくちびるも、血に汚れてさえいなかったら総合的に見たときハッとするほどイケメンなはずだ。
そんな美しいパーツのなかで瞳だけは男性らしい鋭い目つきをしているけれど、それは今、私に微笑みかけているように少し細められている。
ひさしぶりに顔を合わせた従妹に向けるような、そんな親密さが含まれているようにも感じられる瞳で。
だから…今思うと最初のいろんなインパクトがすごくて体がフリーズしてただけなのかもしれないし、結局は私がただ間抜けなだけだったのかもだけど、出会いの最初に悲鳴は上げたものの私は、その場から逃げ出すことはしなかった。
そこに突っ立ったまま、ただカウンター越しに、その血まみれの顔を…幽霊男性の瞳をジッと私は見つめ続けていた。
彼の瞳の暗い輝きをみつめていると、時の流れが曖昧になってくるような不思議な感覚がした。
そうして沈黙につつまれた深夜の医院の中で、幽霊と見つめあうという奇妙な時間がどれくらい流れていたのか私には分からない。
その時間は、乱暴に医院の玄関扉が外から開けられるまで、ずっと続いていたから。
いつの間にか、私が施錠していた玄関扉の鍵は開いていたらしい。
(幽霊男性が入ってくるときに開けたんだろうか? でも幽霊って、壁抜けとかできるもんなんじゃないの?)
何の前触れもなく、古い扉が壊れちゃうんじゃないかと心配になるくらい大きくて乱暴な音を立て、らしくもなく動揺したようすで入ってきたのは、上の階の自室に閉じこもってゲームをやっているはずの仁見先生だった。
いつものダルダルのサンダルをつっかけながら、真っ青な顔に息を切らせて、肩でハアハアと荒い呼吸を繰り返している仁見先生…こんなアクティブな仁見先生を見るのは、このときが初めてだった。
「ま…マナちゃん…」
まだ顔は真っ青だったけど、いつものように受付のカウンターの中に立っている私の姿を見て、仁見先生はなんだか安心したような表情をした、なかなか奇妙な表情でおもしろかった。
でもすぐに仁見先生はその視線を、私から、待合室のソファーに今も静かに腰掛け、そっと佇んでいる幽霊男性の方へと変えた。
そして、幽霊男性の姿を見たとたん、仁見先生の雰囲気が一瞬でいつもの感じになった。
いつもの感じっていうのは、診察室に入ってきた患者さんを診るときの、あの真剣な雰囲気のことだ。
へらへらとマンガを読んだりソシャゲをしてサボってばかりの仁見先生も、目の前に患者さんがやってくると一瞬で雰囲気が真剣なものに代わり、目つきもお医者さんらしいものになる。
そういうところはね、尊敬してるんですよ私も。
口に出して本人に言ったりはしないけどね、仁見先生がちょーしに乗っちゃうの分かっているから。
「ちょっと」
固い声でそう言うと、仁見先生はつかつかと幽霊男性へと近寄っていく。
あ、仁見先生にも幽霊視えてるんだ。
あれだけ、幽霊とか信じてるのまだまだキッズだねープギャーみたいに私のことバカにしてきたくせに、自分も目の前に幽霊が居たらフツーに受け入れるんじゃん。
なんとなく理不尽な気持ちになりながらも私は、もはや傍観者のような気分でカウンター越しに、仁見先生の方を見ようともしない幽霊男性と、彼に近づいていく仁見先生の、これから始まるであろうガチンコバトルの行方を眺めていることにした。
仁見先生は、座っている幽霊男性の側まで近づくと、そのまましゃがみ込み、至近距離から幽霊男性の顔を見つめた。
それから診察中のときの真面目な声で、幽霊男性へと声をかける。
「キミ、いま脳震盪起こしてない?」
えっ、脳震とう…?
幽霊って、ずっと前に遭った交通事故での脳震とうに現在進行形で襲われてるものなの? かわいそう…。
とか、私が同情しながら幽霊男性の身の上を憐れんでいると、仁見先生はクルッといきなり私の方を見てこう言った。
「マナちゃん、ペンライト持ってきてくれる?」
どうやらこれから仁見先生による、幽霊男性の診察が始まるらしい。
反射的に私はいつものように「はいっ」と返事をすると、仁見先生の指示通りに急いでペンライトを取りにバックヤードへ駆けていった。
もう死んでる人に診察とかしても意味ないんじゃないかなぁ…なんて思いながら。
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