4-2

 私は慌てて、すぐに息をひそめると聞き耳をたてる。


 する…足音がする。

 誰かが、院内を…この足音の大きさの響き的に、たぶん受付の前のソファーの近くだと思うけど、そのあたりで誰かが歩いているような足音が聞こえる。


 この足音は…仁見先生のものじゃない。

 仁見先生はいつもダルダルの安物サンダルを履いているから、歩くと、ペタッペタッっていう独特の足音がするから。

 しかも歩き方ものんびりでぬるい感じがするもんで(ゲームをするために部屋へ帰るとき以外は)とにかく仁見先生の足音だったらすぐに分かる。


 私はさらに真剣に聞き耳をたてる。


 足音は、はっきり聞こえる。


 こそこそと忍び歩きをしているとかそんな感じじゃない。

 相手はここに私がひそんでいるなんて知らないから、足音を立てないようにしないととか気を遣う必要がないだけなのかもしれないけども、堂々とした響きが聞き取れる。


 そして、この足音、女の人のものではない。

 ヒールの靴で歩くときみたいな高い音がしてないし、なんていうか…力強い歩き方って感じがする、つまりは…大人の男の人の足音だ。


 てことはですよ、てーことは…この足音の持ち主は…例の交通事故で亡くなった男性の幽霊!?

 失くした自分の右手を探して、ついに院内に入ってきたか!


 聞こえていた足音はやがて止まり、静かになる。

 どうやら幽霊男性は、受付の前の患者さん用待ちスペースでくつろぐことに決めたようだ。


 ちなみに院内の広さは、だいたいそのへんのコンビニくらいのもんだと想像してほしい、私はそのコンビニほどの広さの院内のマップのすべてを熟知している、だってここで働いてるんだもん、隅々まで院内のことは理解している、だから地の利は私にある、ぜってー負けねぇぞ幽霊! と思った私は、全身に力をみなぎらせながら右手に伯方の塩、左手にファブリーズを持ちながら、そろそろと静かに暗室から出ていった。


 院内のマップを細かく把握している私は、足音の位置から相手のいる場所を具体的に脳内で想像しながら、ギリギリまで相手に気づかれないルートで、ちょっとずつ近寄っていく、相手の隙をついて至近距離から一気に伯方の塩からのファブリーズ攻撃というコンボを決めて、幽霊を成仏させてやろうという計画で。


 いちおう説明しておくけど、除霊の方法をネットで調べたらファブリーズが効果的だって書かれてたから、安定の塩攻撃からのファブリーズでとどめ刺してやろうと思ってさ、ファブリーズって悪臭を消すだけじゃなくて幽霊も消せるって超有能だよねー。

 神社のお札は、塩&ファブが効かないくらい相手がタフだった場合の必殺技のつもりでポケットの中に入れた、そしていざ決戦の地へ…!

 

 暗室を出て、診察室の前を通り過ぎ、スタッフ用のせまいバックヤードを抜け、カルテ室を通過しながら私は、いつも自分がいる受付のカウンターの中に背を屈ませつつ入った。


 ご丁寧に幽霊は、私がしっかり電気を消しておいた入り口近辺の明かりをばっちり付けていた。

 ここでバッと私が立ち上がれば、カウンターを挟んで患者さんの待機スペースにいるであろう幽霊と、対峙するような形になるはずだ。

 まさに古い西部劇の映画かなんかにでてくるような、カウボーイの対決シーンみたいな感じに。


 睡眠をしっかりとったことで元気100倍だった当時ハタチの私は、何も恐れることなく、次の瞬間にはがばっと雄々しく立ち上がり「おらぁぁーーっ!!」と気合を込めた叫びとともに、受付カウンターから正面あたりの位置に座っているであろう幽霊へ(どうやら幽霊は待合室の長ソファーの左寄りに座っているらしいという状況が、至近距離まで近づいたことで察することができた)伯方の塩をぶちまけてやる。


 私の想定通り、いつもは患者さんたちが静かに並んで座っているソファー席に、ひとりの男性が座っていた。


 除霊からの闘争心で頭がカッカしていた私には、はじめ男性のシルエットしか映像として捉えることができなかった、全体的に真っ黒な、影を煮凝らせたみたいに暗い色をした人物の、その印象だけが全体像として目に入ってくる、まさに幽霊にふさわしい出で立ちをしている。


 そんな真っ黒な人影は、私の伯方の塩攻撃を受け、うつむかせていた黒髪のそのてっぺんから真っ白な塩のシャワーを浴びることとなる。

 いきなりの除霊攻撃に対して、驚くような素振りも苦しそうなリアクションも見せない、ただおとなしく静かにジッとうつむいているだけだった。


 っしゃーオラーーッ! 幽霊にクリーンヒットしてやったどーー!

 なんて勝利の余韻を全身に感じているうちに、オーバーヒートからの心頭滅却なのか、段々と私は冷静になってきた。

 落ち着いてカウンター越しに、ソファーで静かにたたずんでいる幽霊男性の姿をじっくりと観察するだけの精神的余裕がでてくる。


 ん…幽霊って除霊されると同時に、なんかこう…ふわーって煙みたいに消えていくもんじゃないの? そういうのが幽霊界においての常識ってもんじゃないの? てゆーかそうだ、私、こうして幽霊見るの人生で初めてなんだった、もっとちゃんと見とこ、まわりに自慢できるように。


 そう思った私は、さらにまじまじと動かない幽霊男性を見つめる。


 真っ黒だと思った最初の印象は、幽霊男性が黒づくめの格好をしているからだと気が付いた。

 うつむいているから顔は見えないけどその髪は黒く、さらに黒いロングコートに黒い革靴、膝の上にのせている手には黒い革手袋、たぶんコートの下はスーツを着ているんだろうけど、コートの下から見えてるズボンもダークな色合いで、まあとにかく黒いコーディネートの人だ、これが幽霊の勝負服なんだろうか?


 座ってうつむいているけれど、背が高い人のようだと分かる。

 すらりとした標準体型、でもなんというか体つきがいい、スポーツとかしている人なんだろうなっていうガッシリした印象がある。

 幽霊のくせに健康的な体型をしている、今は元気なさげにうつむいてはいるけれど。


 なんてことをウームと考えていたら、いきなりその幽霊男性が、うつむいていた顔を持ち上げて私の方を見た。

 

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