3-3

 

 「幽霊ですか?」


 お昼ごはんのパンを買うため、片手にお財布持ちながら私が抜けた声で返事をすると、次に別のおばあちゃんがこう説明してくれた。


 「うちの大学生の孫がねぇ、夜遅い時間にねぇ、仁見先生のところの病院の近くまで来たところでねぇ、ふらふらと病院のまわりをうろついている人影を見たんだって言うんだよ。

 病院は真っ暗で電気もついていないのに、ふらふらしている人影があるなんておかしいじゃないか、うちの孫はねぇ、泥棒なんじゃないかって思ったらしいんだよ、だからね、悪い奴だったら警察を呼んでやろうって、その人影の方へ慎重に近づいていったらしいんだよ。


 だけどねぇ、そのあやしい人影は、病院の裏に回ったと思ったら、すぐに孫が後をつけていったってのに、姿を消していたんだってさ。

 それでうちの孫は幽霊を見てしまったって思って、恐ろしくて恐ろしくて夜道を走って帰ってきたんだってよ、あれだけ図体もでかくて小学生の頃から柔道もやってるってのにねえ」


 「うっそ! うちの医院の敷地内に幽霊がいたんですか!?」


 さすがに、目と鼻の先のいつも自分がいる場所に幽霊がいるんですよor幽霊じゃなかったとしてもヤベー不審者がいるらしいっていう話を聞いて、私もドン引いた、そして、それまで忘れていた例の幽霊話その①を思い出す。


 ビビる私の表情をジッと見つめながら、さらに別のおばあちゃんがこんなことを話してくれる。


 「実はあたしもね、その幽霊を見たんだよ、先月あたりからかねぇ…何度か見るんだよ、仁見先生のとこの病院の方でね」


 しわしわの顔をさらにしかめながら、こう話してくれたおばあちゃんは、仁見先生の医院と道路を挟んで真正面の、昔からの古い日本家屋に住んでいる、超お向かいさんだった。


 「あたしはね、その幽霊、昼間に何度か見たんだよ。

 あたしは夜になったら外に出ないからね、昼間に庭で洗濯物干してると、白いおかしな人影がね、時折ちらりと見えるんだよ、視界の端にふらふらと煙みたいな白い奴がね、仁見先生の病院のある方からね」


 「ええ…っ」


 白くふらふらと動く煙みたいな幽霊が、仁見先生の医院のまわりにいる…?


 真剣な顔をしてそう話してくれたおばあちゃんは、決して嘘をついたり、話を盛ってくるような人じゃなかった(幽霊話その①を話してくれたおばさんは、普段から話盛りぎみなタイプの人だったけど)だから、このときはすごく幽霊話が身近に感じられて、めちゃくちゃ背筋がゾクゾクしたんだ。


 そんなビビリ散らかしてる私を尻目に、順番が一周して、最初に口を開いたおばあちゃんが、ため息をつきながらこう言った。


 「大丈夫かねぇ仁見先生、幽霊なんか病院のまわりに出るようになって…前に医療ミスとかしてて他人から恨まれてるだとか、そういうのないだろうねぇ?」


 「そこは大丈夫ですよ、ああ見えて仁見先生、サボリ魔だし面倒くさがりですけど、診察の腕は確かですから」


 「そうよねぇ…だけどマナちゃん、気を付けなさいね、あなた女の子なんだから、幽霊だろうがなんだろうがとにかく夜道には注意しないといけないよ」


 と、こんな怪しげな噂話が連チャンして耳に入ってきたことで、このあたりから私はけっこう本格的に、仁見先生の医院のそばに出現するらしい幽霊について考え始めた。


 素性不明の男性が交通事故に遭って亡くなったこと。

 もしかするとその交通事故は、自殺なのかもしれないこと。

 亡くなった男性の右手が行方知れずであること。

 男性の死をきっかけにしたかのようにして、これまで平和だったご近所で幽霊話が出始めてること。

 そしてその幽霊は、よりにもよって仁見先生の医院の周辺に出没しているらしい、ということ…。


 三人のおばあちゃんたちとの会話のあと、さらにしばらくしてから私が、ある日の夕方に医院の外に置いてある鉢植えに水をあげていたら、さらに追加でこんな話が耳に入ってきた。


 幽霊話その③


 医院の前の道路を、学校帰りらしい女子高生が二人、おしゃべりをしながら歩いてきていた。

 二人は大きな声で熱心に話しているものだから、鉢植えに水をあげている私の耳にも内容がガッツリ聞こえてくる。

 ちらっと二人の女子高生の顔を確認してみたけど、見覚えのない子たちだった、少なくともこの近所に住んでいる子たちじゃないのは確か。


 「それってマジぃ~? やっばー」


 「ホントらしいよ、こわくない?」


 ゆっくりと歩いている女子高生二人は、やけに周囲をきょろきょろと見回している。

 この辺りはただの住宅地で、女子高生が見ておもしろいものなんか何にもないってのに…まあ、高校生のときは友だちと二人でブラついていればどんなシーンでも楽しくて青春よなー、とか年寄りっぽく黄昏てたら、とんでもない会話が私の耳に飛び込んできたんだ。


 「このへんに血まみれの幽霊が出るんだ、やばー」


 …えっっ!?


 そのままキャッキャと笑いながら通り過ぎていく楽しげな女子高生たちの一方で、ジョウロを手に持ったまま私はフリーズしてしまう。


 や…やばい!!

 やばいやばいやばい! 例の幽霊話がここまで広がっちゃっているなんて…やばいっ!!


 てっきりあの幽霊話は、ご近所さんたちの間でだけ出回っている内輪の噂話だと思ってたのに、このへんに住んでるわけでもない女子高生たちまで知っちゃってるってことは、そうとう広範囲に例の噂が広がっているって証拠だよね!?


 今の子たちは、わざわざ見学に来たんだ、幽霊が出るらしいって噂の場所へ…よりにもよって、この仁見先生の医院の周辺を、心霊スポットと認識して!

 

 どうしよう、こまる、ガチの幽霊がこの辺りをぷらぷら歩いてるのも困るけど、そんなことよりも私の地元が…仁見先生の医院が、心霊スポットだっていう噂が広範囲に広まっちゃったら、患者さんたちが怖がって受診に来てくれなくなってしまうかもしれない…!


 そんなことになったら、おじいさん先生から引き継いだ仁見先生の医院はつぶれちゃうかもしれない、そしたら仁見先生は…無職になってニートまっしぐら!

 サボリ魔でだらしなくて、診療以外は何もできない仁見先生はそのまま真正の引きこもりになってしまうかもしれない!


 そう考えた私のジョウロを持つ手には、ぎゅうっと力が入る。

 私がどうにかしないと…私がこの幽霊騒動を解決しないと…私がこの医院を守らなくちゃいけないんだ!


 腰を痛めてるおばあちゃんが戻ってくる場所を守らないといけない、ここに通っている患者さんたちのためにも、そしてゲーム厨でへらへらしてばかりいる仁見先生のことも、私が守ってあげないといけないんだ!


 だって仁見先生ってば、医院がつぶれちゃうかもっていう危機意識でいっぱいの私が、さりげなく注意喚起したってダメダメなんだもん。

 このあと私、相変わらず診察室でマンガ読んでばっかりの仁見先生にきいたんだよ、先生は幽霊とかこの世にいると思いますか? って。


 そしたら仁見先生ってば読んでるマンガから目を離すことなく、へらへらとこう言うんだよ。


 「マナちゃんってば、もう大人になったってのにまだ幽霊とかそういうドリーム信じちゃってんのー? 乙女だねー。

 そんなことより今日さぁ、アマゾンから新しいゲームソフトが届く予定だから、マナちゃん受け取っといてねー」


 …だってさ!

 もうイラッとしたもんだから、それ以上仁見先生には何も言わなかった。

 ひょっとしたら先月交通事故に遭った見知らぬ男性の右手が、この辺りに飛んできてて(たとえば仁見先生が暮らしてるこのビルの三階のベランダとか屋上に)その右手を探して亡くなった男性の幽霊が、医院のまわりを徘徊しているかもしれない、その幽霊のせいで患者さんたちがビビっちゃって診察に来なくなって、この医院がつぶれちゃうかも、とかそういう諸々、もう黙っておくことにした。


 分かっていたことだけど、やっぱり診療以外で仁見先生は役に立たない。

 おばあちゃんから医院の受付を託されている私が、みんなのために幽霊をとっ捕まえて退治するしかないっ!


 そう固く決意した私は、最初の話に戻るんだけど、この日の真夜中の医院に幽霊が現れるだろうと目星をつけたターゲットデーに、ひっそりと張り込みを始めた。

 仁見先生の医院、ひいてはご近所の平和を守るために。

 

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