2 うちのどうしようもない先生について

 これから話す出来事は、私が短大生だった頃に起きた不思議体験。


 当時私は、地元にある小さな眼科でアルバイトをしていた。

 そこは街の中にまぎれるようにして立っている古い三階建てのビルの一階でひっそりと診察をしており、地域密着型で近所の人ばかりがやってくるっていうそういう眼科。

 私はそこで、短大生のとき受付のアルバイトをしていたんだ。


 受診しにやってきた患者さんの案内とかして、診察が終わったらお会計するっていう、どこの病院の入り口にもあるおなじみの、あの受付の仕事ね。

 仕事の内容自体は慣れちゃえばそんなに難しいもんじゃないよ、ひと通り仕事を覚えた頃に自分でも思ったもん、病院の受付の仕事ってファミレスのバイトと似た感じだなって。


 やってきた人を案内して、お会計して、他にも掃除したりとか備品の発注したりなんて、そういう仕事内容でさ。

 ま、ファミレスのバイトのときと違ったのは、うちの困った先生のお世話も仕事に含まれるってところなんだけどね。


 先生っていうのは、もちろんその眼科のお医者さんのことだよ。

 仁見(ひとみ)先生っていう、若めの男の先生。


 若めっていっても、仁見先生のはっきりとした年齢を私は知らない。

 医大を卒業して自分の医院を持って眼科医やってるんだから、その時点でいい歳だったとは思うんだけど年齢不詳で、とにかく若い見た目をしている。


 当時の私はハタチになったばっかだったのかなぁ? その歳の私の目からは、仁見先生の外見年齢は20代半ばくらいにしか見えなかった、それくらいバンパイア並みにとにかく見た目の若さは訳わかんない人なのね。


 ま、仁見先生の見た目の若さは、精神年齢の幼さからくるものなのかもしれないけど。


 だってさ、仁見先生ときたら身だしなみがだらしなくて、とにかく朝が弱いものだから、出勤してきたら髪は寝ぐせでボサボサ、服装も、どうせ白衣を上から羽織るからって、よく分かんないアニメの絵が描いてあるダルダルのTシャツにチノパンとか、そういう姿でやってくるんだよ、自分は眼科があるビルの3階に住んでて、通勤時間ゼロのくせにさ。


 その眼科があるビルはね、もともと仁見先生のおじいさんのものだったんだけど、医院と一緒に仁見先生へ譲られたものなんだって。

 院長先生である仁見先生のおじいさんが年齢から、半分引退状態になっていて、そのおじいさん先生から、孫の仁見先生が医院を継いだってことなのね、だから仁見先生が若くとも医院があるビルは古いし、地元の患者さんたちがすでに常連と化してるわけ。


 そもそも私が、仁見先生の眼科で受付のアルバイトをすることになったのも、仁見先生がおじいさん先生からそのポジションを譲られたように、私も、私のおばあちゃんから、受付の仕事のポジションを託されたからなんだ。

 

 私のおばあちゃんは、もう何十年も仁見先生のところの眼科で受付の仕事をしていたんだ、おじいさん先生の時代からずーーっと。

 だけどその当時、おばあちゃんは腰をやっちゃってて動けなくて、それでおばあちゃんの具合が良くなるまで、ピンチヒッターとして孫の私がおばあちゃんの代わりに受付のバイトをすることになったっていうわけ。


 私はこれまで眼を悪くしたことがなかったから、おばあちゃんの代わりをやることになるまでは、ここの眼科のこと、あんまりよく知らなかったんだ。

 もちろん、うちのおばあちゃんが働いているところ、っていう認識はあったんだけどね。


 だけどそれにしたって、眼科のお医者さんの日常っていうのが、あんな感じだったとは、受付の仕事をするまで全然知らなかったよ、ほんと仁見先生ときたら…。


 患者さんの診察をしてないときは、ずーっと診察室に引きこもってて、マンガ読んでるかスマホでソシャゲしてんの、診察だってサクサクッとすぐに終わらせるし、終わったあとで出てくるカルテは字がきたなくて会計しなきゃいけないのに読みづらいし。

 で、眼科を閉める時間がきたら、そそくさとソッコーで帰っちゃうの、一階にある医院から三階にある自分の部屋にね。

 急いで帰ってるわりには、特別な用事があるとかじゃなくて、ただゲームしてんの、仕事中にずっとソシャゲやってたくせに、今度はうちでプレステしてるらしいのよデカいテレビで、本人曰く。


 なんかお医者さんってこんなカンジなんだー…って、当時おとなになったばっかりの私は現実を知って、ちょっと幻滅した。

 って言ってもさー、うちの仁見先生だけが特別にサボリ癖がひどいだけで、仁見先生のおじいさんも、その他の世間一般のお医者さんたちも、ちゃんとまともなのかもしれないけど。

 私にとっては、仁見先生だけが身近で親しいお医者さんだから、よく分かんないや。


 でね、まあとにかく仁見先生っていうのはそういう人だから、出勤してくるのはギリで帰るのは速攻、お医者さんだから当然なのかもしれないけど診察するの以外は基本なんにもしないから、いちばんに医院に来るのは受付担当の私だったし、最後に医院を出るのも私だった。


 仕事だから別にいいんだけどね、超早朝に行かなきゃいけないってわけでも、帰りが超遅いってわけでもないし。

 そもそも仁見先生やる気ないから、診察は10時に始まって18時には終わる…いや、仁見先生の気分次第でもっと早く終わっちゃうときもあるような、そんなゆるゆる営業時間だったから。


 そういったわけで、最後は無人になった院内で私はひとり、掃除とか片づけとかそういう雑務を済ませて電気を消して戸締まりをして…ってのを毎日帰り際にやってたんだけど、ある日、奇妙なことに気が付いたの。

 

 夜、最後に鍵をかけて医院を出て、朝、最初に来て医院を開けるのも私。

 だから夜から朝のあいだにかけて、院内に何らかの異変が起こったのならば、それがどんなに些細なことであっても私は気づくことができる。


 きちんと夜にはカバーをかけて片付けておいたはずの検査機器が、朝になって見てみると、動かされた形跡があるとか。

 きちんと並べ直しておいた患者さん用のイスの位置が、少しななめになっているとか。

 掃除もして当然ゴミも全部捨てておいたバックヤードの休憩室のテーブルの上に、煙草の箱のフィルムゴミが落ちてるとか…そういう、他人から見れば些細な異変であってもね。


 昨日の夜、私はきちんルーティンに従いすべてを片付けて帰った、もちろんしっかりと施錠したし…医院の玄関の鍵はおばあちゃん経由で私が預かってたんだもん、もちろん仁見先生公認でね。


 ああ、当然、仁見先生も医院の鍵は持ってるよ、だけど仁見先生はゲーム厨だし雑務は何にもしないし、ゲームがしたくて毎日急いでうちに帰っていくくせに、私が帰ったあと真っ暗な院内へ、あの仁見先生がわざわざ戻る理由っていうのが想像できないんだよね。


 夜のうちにサボリ魔の仁見先生が検査機器をいじるってのも意味わかんないし、そもそも煙草のフィルムゴミに関しては仁見先生って煙草吸わない人だからさ。

 ちなみにそこの眼科は、仁見先生と受付担当の私のほかに、検査技師の人もいるんだけど、その人は掛け持ちで別の眼科でも働いてたから鍵は持ってなかったし、その人も私より後に来て先に帰るルーティンだったもんで、やっぱ有り得ないんだよね、その人も煙草は吸わない人だったし。


 それなのに奇妙な異変が夜の医院で起きている。


 その異変は毎日起きるというわけではなく、月に一度か二度あるかないかっていう程度だったけど、だからこそ院内の管理をしている私からしたら、そのたまに起きる些細な異変が、ものすごくくっきりと見てとれた。

 どれだけ小さな出来事であったとしても、まるで真っ白なワンピースの裾にとまっている真っ赤なテントウ虫をみつけるみたいに、はっきりと。


 私が夜帰って、朝やってくるまで、医院の中は完全な密室のはずなのに、これは明らかに何者かが侵入している証拠…そうとしか思えない。


 だけど、それって誰?

 何が目的で無人の院内に、夜のうちに入り込むの?

 院内のものが金品を含め盗まれている形跡は一切ない。


 さりげなく仁見先生にさぐりも入れてみたけれど…つまり、医院が閉まって私が帰ったあと中に入って、散らかしたりしてないですよね? って聞いたことがあったんだけど、そんなことしてないよ~夜はゲームの経験値上げるのに忙しいんだから~、とかどうしようもないことしか仁見先生は言わないし、やっぱり夜の院内で起きる異変の原因がぜんぜん分からない。


 そんなわけで、グルグルと私はひとりで考えた。

 仁見先生はまったく頼りにならないし、これはもう受付担当の私が、いつか戻ってくるおばあちゃんのためにも、早めに原因究明&解決をせねば、と。


 よっしゃ、これはもう夜に張り込みするしかないでしょう!

 そう私は決意を固めたのよ、あの、煙草のフィルムゴミを見つけた清々しい朝の日に。

 

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