第9話
5人目の恋人 9
「ごめんなさいね、2つしか用意出来なくて」
病室に簡易ベッドを運んでくれた看護婦は、申し訳無さそうに肩を竦めた。
「いえ、充分ですよ。ソファもありますし」
異様に貫禄がある看護婦はどうやら看護主任らしく、医者との会話で苛立ったオレの間に入ってくれた。
瞬時に状況を把握してくれたのか余計な事は一切聞かず、泊まりたいと言ったオレにベッドも用意してくれた。
「私は朝までステーションに居るから、困ったらナースコールで呼んでくださいね」
「有難うございます」
病室を出ていく彼女を見送ると、パタンと扉が閉まったのを見計らいオレはふぅとため息をついた。
そのため息は安堵や安息から来るのではない。
何せまだまだやる事がある・・・・・
エリックの様子を見るため一日入院になり、このまま泊まる決断をした。
保護者1人に対して子供4人の宿泊は医者からも断られたが、それをさっきの看護主任が説得してくれて何とか許可が降りた。
なので看護主任の顔を立てて、問題なく退院まで過ごさなくてはならない。
問題はイヤイヤ将軍のポーと、好奇心旺盛王のハリーの2人。
初めて泊まる病院で変なテンションにならないかが、心配だ・・・・。
ポーは今のところ大人しく、オレの腕の中で眠ってる。
品妤は何も言わずに、ソファの上で宿題。
うん・・・とても助かるよ・・・。
そしてハリーはさっそく組み立てたベッドの上で、ゴロゴロと回転しまくってる。
「ハリー、宿題は?」
「後でするぅ~~~」
「ハリー、宿題は?」
「後でぇ~~」
「ハリー、宿題は?」
「んぅん~~~」
「ハリー、宿題は?」
「もう!解った!!やるよ!!」
「言われなくても、やれ」
「今やろうと思ってたの!!」
「言われる前にやれ」
小学生3年にして、軽く反抗期。
まぁ文句いいながらも、従うだけマシだけど。
これが本格的な反抗期になったら・・・・いや、今は考えるのはよそう。
「ねぇお兄ちゃん、ご飯どうする?」
ふと思い出したかのように、ノートから顔を上げた品妤。
その言葉に、その問題があったなと思い知らされる。
エリックを置いて食べに行くのは考えられないし・・・・買いに行くしかない。
「やった!病院のご飯食べれる!?」
「エリックだけだ。オレ達の分はないんだよ」
「えぇ~~~~ずるい~~~~」
「いいぞ、お前エリックの分食えよ。その代わり味がどうであれ文句は言うなよ」
「私が買って来ようか?」
「いいよ、外も暗くなりかけてるし。オレが行ってくる、その代わり・・・・」
「大丈夫、私がみとくから」
本当出来た妹だ。
品妤が居てくれるだけで、かなり助かる。
だけど一応、あの看護主任にひと声かけてから出て行った方がいいだろうな。
そう考えながら、腕の中でスヤスヤ眠っているポーを品妤に託した。
「エリック、お菓子も買ってきてやるから、大人しくしとけよ。病室から一歩でも出てみろ・・・・・」
「解ってるよ!」
あえてどうなるかは言わなくても、ハリーは理解したのか自棄糞気味に返事を返した。
まぁ・・・それでもオレは信用してないけどな・・・
不安要素があっても食料調達に出なくちゃいけない。
オレはせめて身軽になろうと、手持ちの鞄を開いて荷物になりそうな教材を抜き出していく。
そうか・・・・夕食だけじゃ駄目だ。
歯ブラシや洗顔も必要だし、お風呂に入れない分体を拭くモノも必要になる。
そう考えれば、あれもこれもと必要な物が出てくる。
何を何処に買いに行くか・・・そして帰ってきた時から皆を寝し付かせるまでの流れが、事細かく頭の中をぐるぐると回る。
ポーが深夜に目を覚ました時大泣きしないか・・・・・病院という不慣れな場所で誰かが怯えてしまわないか・・・・あらゆる嫌な予想がどんどん脳内を侵食していく。
やがて不安な気持ちで心が一杯一杯になり、胸がぎゅーーーと締め付けるように苦しくなった。
それでも、やらなきゃいけない・・・・
チャックを閉めた鞄を肩に掛け「じゃ、行ってくるからね」声を掛け、廊下に出る為に扉の前に立った。
だめだ・・・しっかりしなきゃ。
胸の中で自分に言い聞かせ、オレは気を引き締めて扉を開けた。
そこに帰ったはずの男が立っている事など知らずに・・・・
******
「お~~い。お~~~いって・・・」
ふりふり・・・・アキの目の前で手を振ってみるものの、反応がない。
広げたお弁当に手を付けず、魂が抜けたようになっているアキ。
「アキ~~~~ご飯食べないの~~?」
テーブルに手をついて、アキの顔を覗き込むけど・・・やっぱり反応がない。
いや~~にしても相変わらずのお綺麗なお顔~~~。
「ご家族の怪我も大したことないって言ってたのに・・・どうしちゃったのかな?・・・ねぇメイト、ちょっと近くない?」
隣に座っているノックの言葉なんて、この際無視無視。
だってこんなに近くでアキの顔を観察出来るなんて、めったにないんだもん。
間近で見る私は、興奮でついつい鼻息が荒くなる。
「本当、羨ましい。私なんてアイライン使わないと睫毛の隙間スカスカなのに、見てよこの完璧な目元。ライン要らずの睫毛の多さ。それに毛穴もないしお肌がプリプリのツヤツヤよ~~~。化粧品何使ってるって言ったかな~~~」
「えっアキ、化粧品なんて使ってるの?」
「ノック。今は男だってお肌のお手入れはする時代なのよ」
そうそう、前にアキが言ってたんだよね。
使ってる化粧水・・・日本から進出して来てるお店で買ってるって言ってたんだけど、なんだったかな~~。
そこでこの前買ったリップエッセンスがいいって言ってたのに、ド忘れしちゃった。
「見てよ。アキはちゃんと唇もケアしてるんだからね。ピンク色でぷるぷるのん~~~~キスしたくなっちゃ「近い近い!!!」むちゅ」
唇を突き出してアキの唇にキスしようとした私の前に、ノックの手が差し込まれた。
お陰でノックの手の甲に、ぶちゅっとしたじゃない。
「冗談よ冗談」
「もう冗談じゃない距離だったよね。だから僕の手に当たったんだよね」
それはノックが止めると予想できてたから、悪戯しただけなのに~~。
度が過ぎたと思われたのか、ノックの顔が少々怒り気味だ。
「もう、怒んないでよ~~。もし本当にキスしちゃっても、アキは怒らないわよ」
「そんな問題じゃないと思うんだけど・・・」
「ほらほら、これ食べて機嫌直して」
アキのお弁当からフォークで卵焼きを突き刺し、ノックの口元に持っていくと「それ、アキのお昼ごはん」と言いながらも彼はぱくりと一口で食べた。
「美味しい・・・」
煌々とした表情で卵焼きを噛み締めているノック。
「私も食~~~べよ。私これが好き~~~これなんだっけ?」
「にんじんしりしりって言ってなかった?」
「そうそう!人参嫌いなのに、アキちゃんのしりしりだけは食べれるの~~」
本人の意識がないのをいい事に、彼のお弁当からごっそりにんじんしりしりを奪う。
そしてそのお返しに、ぽっかり空いた場所にパッタイを詰めた。
「アキがこんな状態だったら・・・・お願いしても無駄かな」
ノックがそう言いながら、卵焼きがあった場所に豚肉を詰め込めむ。
お願い・・・って・・・
「またバイト中に顔だして欲しいってアレ?」
「うん・・・」
「またぁ~~しつこくない?誰が言ってるの?」
2年生の時からノックが始めた家庭教師のバイト。
自ら希望して勉強を教わりに来る生徒もいるけど、中にはノックの親友のアキ目的で生徒になる女子生徒も居た。
だけど普通に考えれば、バイト中に顔を出す親友なんて居るはずもない。
当てが外れた生徒は、アキに会いたいとノックに頼み込むらしく・・・・
「2年のミィカだよ」
「あぁ・・・・医療部のミィカ様ね。もう断ったら?その子断って、新しい子教えたほうがいいんじゃないの?」
「そうなんだけどね・・・」
「まぁ無理よね~~」
ミィカは医療部の2年で、去年のスターに選ばれた程に綺麗な子。
だけど女子には尽く嫌われる、性格の持ち主。
それでいて、ノックのお母さんが働いている会社の社長令嬢でもある。
断ればと言ってみたものの、そんな事情を抱えるノックに無理なのは解ってる。
「まぁアキも事情知ってるから、断らないでしょ。聞いてみたら?」
「こんな状態で、僕の話聞けないよ」
相変わらず反応がないアキに、ノックは目の前で手を振る。
それでもアキはこちらの世界に戻っては来ず、ノックは深い溜め息をついた。
「ねぇ、アキ疲れちゃったのかもね」
一昨日の電話の後、血相を変えて突然走り去ったアキ。
そしてその次の日には学校を休み、今日会えば朝からこんな調子だった。
授業中もぼ~~とし続けていた彼に、心配したのは私達だけじゃない。
クラスメイトもその異変に、アキを気にしていた。
「え?何に?」
「バンク君を避け続けて、陸上部から追いかけられて、それでご家族の怪我でしょ?それでこの状態なのかも・・・・」
「・・・・・・・・それはそうかもしれないけど。僕達に何も相談してくれないんだし、こっちもどうしていいか解らないよ。変に動いて状況悪化させるかもしれないし」
「ん~~~じゃ、せめて彼との事をどうにかしてあげるとか」
バンクの名前を出すとアキが過剰に反応するので、ここはあえて名前を伏せておく。
「どうやって?仲裁に入って、仲良くさせるとか?けど、そもそもアキが避け始めたのって、SNSの恋人騒動が原因だよね。仲良くさせると余計におかしくならない?それに騒動も少し収まってきてるし、このまま何もしない方がいいと思うんだけど・・・」
「そうねぇ~~~・・・あっバンク君だ」
ガタン!!!
「イッ・・タ・・・」
無意識に目に入った人の名前を呼んでしまい「しまった!」と口を押さえる私。
だけどそれより驚いたのはアキの反応だった。
急に立ち上がった彼は、膝をテーブルに盛大にぶち当てて痛そうに顔を歪ませている。
その音で周りに人達の視線を掻っ攫う中、手にトレイを持って席を探していたバンクも此方に気がついた。
「オ・・・オレ・・必须去・・・サキイク・・・I must go」
アキが話す言葉が狼狽えぶりを物語っている。
そして、大慌てでお弁当を仕舞い始めるアキ。
その手付きが焦りに焦りプチトマトがコロンと零れ落ちるが、本人はそんな事も気にせず中途半端に包んだお弁当箱を抱えて、小走りで中庭の方へと去って行った。
「何か・・・何時になく変だね」
呆然としているノックに、私は「そうねぇ~」と返事を返しながら、テーブルの上に取り残されたプチトマトを口に入れた。
だけど変なのはアキだけじゃないみたい・・・・
未だ同じ場所に立ち尽くしているバンク。
アキが消えた方向をじっと見ている。
「向こうも変だけど・・・」
隣のノックの肩を人差し指で突き、その指先をバンクの方へと向けた。
いつもならアキの姿を目にしただけで顔を歪ませていたバンク。
だけど彼の表情はどこか物いいたげで、友人のオタが呼びに来るまでずっとその場に佇んでいた。
終わる
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