第8話

5人目の恋人 8



エレベーターを降りステーションの前を通り過ぎると、病室が並ぶ細長い廊下に入った。

大部屋ではなく個室が並ぶこの場所は、異様に静かで今は二人分の足音しかない。


俺は前を歩く男の背中を見ながら、受付で聞いた307号室へと向かっていた。

本当は病院の前でこいつだけ降ろして、帰ればよかった。

なのに病室まで付いて行くのは・・・あまりにも謎が多いこいつの弱点が見つかるんじゃないかと思っているだけで、こいつが今にも倒れそうな顔色だったからじゃない。

車に乗り込む前の焦った気迫はもう既になく、何かを恐れているのか前を歩く足取りもどこか重く感じる。

そうこうしているうちに、307と表記された病室の前に辿り着いた。

病室のドアは全開で男が中に入る前に、中から女性が飛び出してきた。

年は20代後半に見えるが、褐色の肌に彫りの深い顔立ちが少し違う異国の血を匂わせる。


「アキ、ごめんなサイ!!私が目を離したかラ!!」


既に泣き崩した表情で彼の体に縋り付く彼女は、何度も謝罪の言葉を繰り返す。

彼女が話す言葉が少し拙く、やっぱりタイの人間ではないと解った。

男は女性の背中をあやすように撫で、「ホボン、落ち着いて」と静かな声で促した。

さっきまで取り乱していたのはお前だろうに・・・・


「ごめんなサイ」


「何があったか教えてくれる?」


「ポーが棚の上によじ登っテタノ・・・・ソレデ・・棚がたおれて」


そこまで彼女の話しを聞くと、男は息を呑み更に顔色を悪くする。


「ポーは大丈ブなの、エリックが庇った・・・だけどエリックが下敷きにナッテ」


「・・・・・・・・・・・・解った」


絞り出したような男の声が、溢れ出しそうな感情を堪えているように感じた。


「ごめんナサイ・・・ワタシが・・ワルイの・・本当にごめなサイ・・」


悲痛な表情でボロボロと涙を流す彼女に、相変わらず背中を撫でる手は優しい。


「ううん。ホボンのせいじゃない。オレがホボンを雇って面倒みてもらってたんだよ・・・・オレが君を雇ってる以上オレの責任だ。オレだってポーの行動を制御出来ない・・・君じゃなくても、オレでも起こり得るんだよ」


「ううううううう・・・・アキ・・・」


「それにホボンがこんなに泣いてたら、他の子が不安がるよ。だから、泣き止んで」


こいつが人を雇う?

男からの言葉だけでは状況は全て解らないが・・・実家にいるメイドは全て父親が雇っている。

それに少しのミスを仕出かした時、父親は物凄い剣幕で怒り・・・そして即刻解雇していた。

いくらでも代替が利くと、簡単に切り捨てられるメイド達。

それを子供の頃から見ていた俺は、そんな扱いが当たり前だと思っていた。


「お兄ちゃん!!」


廊下に響く少女の声に、俺は振り返った。

細長い廊下を小学生の少女と、それよりも小さい少年が走ってきた。

近くまでやってきた少女は不安げな表情で彼を見上げ、もう1人の少年は走ってきた勢いのまま男の腰に抱きついた。

俺はその少年の特徴的な容姿を見て、前に元カノが面白げに話していた話を思い出した。

白人の白い肌とブロンドの髪・・・・・・まさか、あの話は・・・


「アキ君、良かった来たのね」


「ミタさん」


子供達の後から息を弾ませながらやってきた年配の女性、その腕の中では2歳の子供が寝息を立てていた。

そんな彼女の言葉は違和感無く聞こえるが南アジアの特徴的な顔立ちで、ホボンと言われた女性と同様で親族ではなく雇われた身だと解った。


「2人が学校から帰ってくる頃だと思って、家に迎えに行ってたの」


「有難うございます」


「何言ってんのよ。エリック君は大丈夫よ、検査も全部終わったから。今は眠ってるだけよ。ほらほらっそんな情けない顔しないで、そんな顔してても相変わらず綺麗なお顔だけどねぇ」


この場で一番の年長者である彼女の言葉に、男の口元は少しだけ緩む。


「それより誰よ~~こんなイケメンのお友達が居たなんて~。聞いてないわよ~」


「う・・・それよりっ!!2人とも、ポー連れて先に病室入ってて。ほらっ早く」


今まで空気の様に突っ立ってた俺の存在に気がついた女性に、男は言葉を詰まらせ顔を顰めた。

しかも俺の事を無視する気でいる・・・・・

俺から注意を逸らせようと、子供2人に病室に入るように促した。

そりゃ勝手について来たのは俺だ・・・けど普通なら紹介とかする場面じゃないのか?

そんな不満が顔に出たのか2人の子供は俺の顔を恐恐と見上げ、関わらないようにしようとでも思ったのか少女は年配の女性から眠っている子を受け取ると、そそくさと少年と一緒に病室へと入って行った。


「ミタさん、ホボンをこのまま家まで送ってもらっていいですか?それと明日は2人とも休んで頂いていいです。お給料は払うので、心配しないでください」


「え!?どうしてよ」


「明日は上2人を学校休ませて、皆と一緒に居ます。なのでまた明後日から、来て下さい」


「そんな事言って・・・また1人で抱え込むでしょ」


「今回は皆もショックを受けてます。特にホボンが、一番精神的に辛いと思います。明日は家族と一緒に居て、心休めてから来て下さい」


「解ったわ・・・・でも、何かあったら絶対連絡頂戴ね。いや、何もなくても明日は連絡頂戴よ!連絡無かったら押しかけるからね!」


「はい」


「じゃ、頼んだわよ。イケメン君」


何故か俺に宜しく頼み、パンと腕を叩いてきた。

反応に困ったが、彼女からしたら俺はただの友人なんだろう。

軽く頭だけ下げて見せたところで、男と目が合った。

何ともいえない気まずそうな表情だったが、きっと俺も同じ表情だと思う。

帰るように言われたミタという女性は、未だグズグズと鼻を啜っている女性の体を支えるようにして、その場から立ち去った。

そして入れ違いに白衣に身を包んだ男と、看護婦がこちらへ向かってやってきた。


「エリック君の親族は・・」


「オレです」


「君が?」


「エリックの兄です」


「保護者の方は?」


「オレが保護者です」


「・・・・・」


医者が言葉を詰まらせている。

確かに普通ならば母親か父親が保護者となるべきだろう、だけど医者の戸惑いは少し違和感を感じる。


「ええと・・・」


「父親はアフリカ系アフリカ人です」


今日だけの情報量の多さで、俺は軽く混乱する。

さっきの医者の戸惑いは、エリックという弟の見た目の違いからきていたと解った。

元カノが話していた内容は、こいつで間違いない。

しかし父親がアフリカ系アメリカ人として・・・・さっきの子供3人は明らかにアフリカ系の血が入っていない。

目の前のこいつと少女は、東アジアの同じ系統だが・・・・さっきの少年は欧州地方の白人の血が入り、眠っていた2歳児は南東アジアの俺達と違和感がない。

そう考えれば父親が何人も居ることになる、それも国も違う父親が・・・・


「そうですか。ではご両親は?」


「両親は別で暮らしてます、だから俺が保護者です。何ですか、成人してますけど」


医者の質問にウンザリしたか、男は言葉尻が強くなる。


「ご両親は、お呼びする事はできますか?」


「だから、別で暮らしてますって!!呼んでも来ませんし、何ですか?親が居ないと駄目なんですか?」


男が苛立っている理由は何となく解った気がした。

医者の質問にうんざりしてる訳ではなく、幾度となく問われ続けてきたからだろう。

複雑な家庭環境に、周りの大人達からの繰り返される質問にうんざりする程、何度も答えてきた。

彼が見せる苛立ちは医者に向けたものじゃなく、きっと自分の親に向けた苛立ちかもしれない。


傍に立っていた看護婦が2人に割って入ったのを頃合いに、俺はその場から離れた。

女性の嗜める声を背中に聞きながら、長い廊下を歩く。

来た道を引き返しながら思うことは・・・・首を突っ込むんじゃなかったと後悔の念。

病院前で別れとけば、自分がいかに最低な人間だったか気づかずに済んだのに・・・・


最悪だ・・・・


本当に最悪だ・・・・


男を見ていると、自分が惨めに感じた。


父親に向けた苛立ちと

継母に向けた苛立ちと

義理の弟に向けた苛立ち

男と似ているようで、全く違う。

こんな環境下にさせた親を憎んでも、弟達には愛情を注ぐ彼と自分とは全く違う。


親が傍に居なくても、必死に弟達を守っている彼を見てると・・・自分がどれだけ我儘な子供だったと思い知った。


ちゃんと子供に向き合えない親を憎み・・・・反抗心を持ったまま成長が止まっていた。

全ては親が悪いと自棄糞になり、自分の思うままに振る舞って体だけが大人になっていく。

なのにどんなに大人ぶっていても、愛情だけは欲しがるやっかいな子供だ。

貰えなかった愛情を誰かに求めて、どんなに女性と関係を築いても結局は求めている愛情ではないと思い知る。

簡単に相手を切り捨てるのは、替えが利くと思っていたからだ。

メイド達を簡単に切り捨てる、嫌いな父親と同じ事をしていたんだ・・・・


そしてあいつを見て解った。

弟から目を離し怪我をさせた、ホボンの涙ながらの謝罪。

雇い主であるあいつを、心から心配しているミタの言葉。

それは普段から、あいつが2人に愛情を向けているからこそなんだろう。

子供みたいに求めるだけの自分は・・・・自ら相手に愛情を示してなかった。

そこが彼と自分との違いだと・・・・一方的に求めるだけじゃ駄目なんだと、彼とあの女性2人を見ていて痛いほど痛感した。


病院から出た俺は、そのまま駐車場に止めていた車に乗り込んだ。

ダッシュボードに放り投げていたスマホが点滅しているのを目にし、大学へ行かなければならなかった理由を思い出した。

きっと約束していたクラスメイトから着信があったはず・・・

そう思っても急ぐ気にはなれず、脱力したようにハンドルに突っ伏した。


「はぁ・・・・・」


俺の知ってる、嫌味だらけの憎たらしい男はもう居ない。

三ヶ月前のあいつとは、もう別の人間の様な感じがする。

これから大学で会った時、どんな顔をすればいいんだ・・・

彼の知られざる家庭の事情を知ったら、謎だった事が紐解いていく。

SNSをしていなかった事、早くに大学から姿を消す事、夜の行事には参加しない事が全て繋がっていく。


~~~~~~~♪


スマホの着信音が車内に響た。

これ以上待たせると、帰ってしまうかもしれない・・・

俺は仕方なしに車のエンジンを掛けて、ゆっくりと車を発進させた。

病院から遠ざかっても、頭や胸の中は重く感じ、もやもやとした感情が纏わり付く。


「また1人で抱え込むでしょ」


ミタと呼ばれた女性が言った言葉が、ふと頭に思い浮かんだ。

その言葉の意味を考えれば、医者との会話で彼がどれだけ自分を犠牲にしてきたのか理解出来た。


焦りで苛立った表情


泣きそうに歪んだ表情


必死に感情を押し殺した顔


弱々しくも笑った表情


彼の色んな顔が胸の内に現れる。

もう他のことは一切考えられず、俺は大学へ向かって走らせていた車を急停止させた。



続く

む・・・難しいです。語彙力が欲しい。

バングの気持ちを解りやすく書こうとして、日本語が理解できなくなってきました。

バンクのイメージするタイの俳優さんは『plapodd』さん

大学1年としては、大人過ぎますが・・・・雄パイがステキです!!!

シェフとして番組に出てのを切っ掛けに、俳優に転職されたとか・・・

https://www.youtube.com/watch?v=LvFJeoSMMVk

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