第7話
5人目の恋人 7
職員室がある校舎。
オレとメイトは壁からひょっこりと顔を出し、職員室前の廊下の様子を窺っていた。
「あれが陸上部のコーチよ」
オレ達の視線の先には、2人の男性が談笑中。
メイトがあれと言った相手は、スーツ姿の男じゃなくランニングと短パン姿の方だろう。
粘りしつこい陸上部に業を煮やしたオレは、メイトの発案でコーチに直接苦情を入れる事にした。
いや、もっと早くそうすれば良かったんだろうけどね。
メイトが言うまで、まったく考えつかなかった。
きっと勉強のし過ぎで、こんな簡単な事も考える余裕が無かったと、この際言い訳をしておく。
「あっ、一人になったわよ」
「よし」
スーツ姿の男が教室に入ったところで、オレとメイトは角から飛び出しコーチの男に駆け寄る。
「すみません!コーチ、ちょっとお時間ください」
歩き出した男の前に回り込み進路を塞ぐ。
コーチは一瞬目を見開くが、オレの顔を見るや否や目を輝かせてオレの両手を握った。
「アキ君、やっと陸上部に入ると決心してくれたのか!」
あ・・・・これダメなやつだ。
頼みの綱である相手が、まさかの黒幕だった・・・説。
「いや〜〜〜頑張って部員をけしかけた甲斐があったよ〜」
メイトもこれはやばいと思ったのか、口をへの字にしてオレの顔を見上げた。
うん・・・ここは・・・
「「失礼しました〜〜〜」」
逃げるしかない。
示し合わせたようにメイトと一目散に走り出す。
階段を掛け下りホールを走り抜け、校舎を出たところで足を止めた。
「はぁ、これはもう為す術がないなぁ」
「ごめ〜〜ん、まさかコーチが噛んでたなんて知らなくて」
「ううん。メイトのせいじゃないよ・・・」
「これから、どうするの?」
「まぁ諦めるまで、逃げ続けるしかないかな〜〜」
それしか道はない。
オタの言う通りカーディガンを脱ぎ、工学部のシャツで通い始めたが効果があったのは一時だけだった。
オレを追いかけてる時間が無駄だと、陸上部が気付いてくれる事を祈るしかない。
「ねぇアキ、もうちょっと私達を頼ってもいいんじゃない?ノックも手を貸すって言ってるのに、ずっと遠慮してるでしょ?」
「いや、これはオレの問題だからさ」
「そういうの何て言うか知ってる?」
「・・・・?」
「他人行儀って言うのよ。私達、アキと1年の時から一緒で友達だと思ってるのに、アキは違うの?ただのクラスメイトとだけしか思ってない?」
「いや、友達だと思ってるよ」
「なら助けてって言ってよ!いつもレポートに困ったらわざわざ私達に時間作ってくれるじゃない、助けられてばっかなのにさ。たまにはアキから助けてって言ってくれても良いじゃない!」
いつも陽気でムードメーカー的な彼女の真剣な表情に、オレは言葉が出なくなる。
「アキは何も話してくれないじゃない、あんなに足が早かったの皆知らなかったのよ?ムエタイ部が勧誘に来たのも、陸上部と同じ切っ掛けがあったからでしょ?何?もしかして今までのスポーツ大会で、わざと手を抜いてたわけ!?」
段々とヒートアップした彼女に、若干押され気味になる。
小柄な彼女にぐいぐい迫られ、オレは情けなく後退していく事しかできない。
「いや・・・スポーツ大会は本気でした。はい・・・」
毎年行われる学部対抗のスポーツ大会。
勿論オレも参加してたけど、さほど活躍はしていないどころか何度か反則をしてしまった。
お陰で皆のオレの印象は、勉強は出来るが運動はからきし駄目な人。
道具を使わず肉体だけで済むスポーツなら負ける気がしないが、その間にボールが挟まると極端に運動音痴になる。
バスケにしかり、サッカーにしかり、ボールを追いかけるのが野暮ったく感じてしまうんだ。
なんせアメリカ在中の時に、3×3で反則しまくるオレは何度も喧嘩になった。
それでも懲りずに誘われたら参加するオレが、自発的にバスケをしなくなったのは、相手チームがストリートギャングのメンバーだった時。
血みどろの喧嘩の末にボスの前に突き出され「バスケはお前に合わないから金輪際やめろ」と相手から言われたからだった。
まぁそのボスと後に付き合うことになったのは・・・・バスケのお陰だったんだろうけど、恋人の言うことは忠実に守ってた。
それが元カレとなってもね。
タイに移住し友人達に遊びで誘わても断り続けてきたけど、学校の行事となれば参加は必須。
運動音痴と言われようが、鈍臭いと笑われようが我慢して出場したんだ、相手に肘鉄食らわせたり足を引っ掛けたりする反則ぐらい見逃して欲しかったよ。
「アキは秘密が多すぎるのよ!だから私達も、あまり聞いちゃいけないっていつも気を使ってるのよ!!知ってた!?」
「メイト・・・ちょっと落ち着いて」
下がった先に壁があり、これ以上後ろに下がれない。
どうどうと宥めるが一度火がついたメイトは止まらず、気持ちが制御できなくなったのか目に涙が溜まってきている。
「全部話せとは言わないけど、もうちょっと友達を信用して頼ってくれてもいいでしょ!?」
メイトの両手が伸びてきて、ガシリとオレの胸ぐらを掴む。
そしてとうとう本格的に泣き出した彼女に、通りすがりの人達の視線が突き刺さる。
いや・・・泣きたいのはこっちですけど?
とは思っても、やっぱり女性に泣かれるのは弱いし、彼女が吐き出したオレへの想いは耳に痛くそして嬉しかった。
そうか・・・あえて聞かないように気を使ってくれてたのか・・・・
初めて聞いた彼女の本音に、申し訳ない気持ちになる。
だからといって家の事情は話せないけど、もう少しノックやメイト達に頼ってもいいかもしれない。
うぇ〜〜んと声を発して泣く彼女の背中に手を回し「ごめんね、メイト」と落ち着かせるように彼女の背中をトントンと叩いた。
傍から見れば、泣く女性を慰める図だろう。
だけど気持ちは、グズる子供をあやしている気持ちだ。
彼女の涙が引っ込むまでと落ち着かせ続けているうちに、ポケットからスマホの着信音が鳴り始めた。
それが切っ掛けでメイトはやっとこさ、オレから身体を離す。
「ごめん、アキ。シャツが・・・」
「あぁメイトの涎まみれだね」
「違うわよっ!」
いつもの調子に戻った彼女にフッと笑いかけ、メイトの頭をポンポンと叩いた。
それから漸くポケットで鳴り続けている、スマホを取り出す。
ミタさんだ・・・・
彼女から電話があるのは、これが初めてじゃない。
その日のオレのスケジュールを知っているミタさんは、何かあった時に授業の時間を避けて連絡してくれる。
今日は買い出しをお願いしてたし、何か困りごとでもあったんだろうなと思いながら通話を開始した。
「何かありました?」
「アキ君・・・・」
電話越しに伝わるミタさんの声の調子に、急に不安な気持ちがこみ上げてきた。
え・・・どうしたんだろう・・・何かあった・・・?
「落ち着いて聞いてね・・・」
まるで自分を落ち着かせようとしている様な、彼女のゆっくりとした話し方。
そして声のトーンも何時になく低い相手に、その先を聞かないうちから心臓がヒヤリとした。
******
ついてない。
グループ課題の資料を忘れ、一度家に帰りまた大学に持っていく羽目になった。
車で自宅まで戻った俺は、再び大学に向かっていた。
駐車場で待っているクラスメイトに渡して、さっさと移動しないと約束の時間がある。
そう考えると・・・
「はぁ・・・面倒くせぇ・・・」
オタと行ったクラブで知り合った年上の女性。
それが今カノとなったが、今日の彼女との約束が既に億劫になってしまってる。
すっぽかそうかと悩んでる最中、大学の正門が見えてきた。
バス停とタクシー乗り場が設置されている正門の前は、ちょっとした広場になっている。
そこには学生を目当てにちょっとした屋台もあり、人の出入りは激しい。
その分、正門を車で通る時は人と接触しないように気をつけなければならず、国道から広場に入ろうと徐々にスピードを緩めた俺の視界に見知った人物が入った。
珍しく工学部の制服を着ている男は、車道の脇に立ちキョロキョロとしている。
まるでタクシーを探しているかの様な素振り。
タクシー乗り場には一台も車が止まっていない状態だ。
男は腕時計を気にし、焦りからか苛立っているのが目に見える。
相手が今まで避けてくれていたお陰で充実した毎日を送っていたが、ここにきて悪戯心がでた。
俺はゆっくり車を走らせ、わざわざ男の前で車を一時停止させた。
そして邪魔だ退けと意味を込めて、クラクションを鳴らしてやった。
その音にビックリした男は一瞬目を見開くが、運転席の俺と目が合うと思わぬ行動に出た。
唐突に車の横に駆け寄ると、助手席のノブに手をかけガチャガチャと開けようとする。
ロックが掛かっていて開かなかったが、次に男は助手席の窓を掌でバンバンと叩き始めた。
『開けろ!!ドアを開けろ!!』
何故か英語でまくし立てながら、必要以上に窓を叩く男の顔は殺気立っている。
『さっさと開けねぇ〜と、窓ぶっ壊すぞ!!!クソ野郎が!!』
周りの人間も男の騒ぎに気づき、ざわめき始めた。
こいつ・・・薬でもやってんのかよ・・・
気が触れたような男の様子に、俺自身も狼狽え無視すべきか従うべきかを判断できずに居る。
一向に動こうとしない俺に、男はドン!と拳を窓ガラスに打ち付けた。
そして・・・・
「頼むから・・・・開けて・・・」
さっきの勢いから一変。
懇願するように聞き慣れた言葉でそう言うと、男は泣きそうに顔を歪ませた。
情緒不安定になっている相手に戸惑いはあったが、俺は意を決してロックを外した。
隙かさずドアが開き助手席に乗り込む男は、「中央病院まで連れてって」と小さな声で一言だけいいドアを締めた。
不本意だがロックを外したのは俺だ・・・こうなれば、こいつに従うしかない。
車を発進させた俺は、チラリと隣の男を盗み見た。
流暢な英語で捲し立てていた時とは別人の様に口を閉ざした男は、祈るように組んだ両手を口元に当てて俯いている。
その手が微かに震え、横顔が何時も以上に白く見えた。
中央病院と切羽詰まった彼の様子に、ただならぬ事態が起こったのは想像できる。
俺は余計な事は言わず、ただただ車を走らせるだけ。
それから20分程経ち、中央病院の案内標識が見えてきた頃、彼がやっと口を開いた。
「ありがと・・・送ってくれて」
「・・・・・・」
「それと、車叩いてごめん」
出会って3ヶ月以上。
彼が悪意のない言葉を向けてきたのは、これが初めてだった。
「いや・・・」
そして会話は続かずとも、彼の言う言葉にまともな返事を返したのはこれが初めてだった。
続く
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