第五話 傷

──夢を見ている。

 はるか昔、オレがまだ人道に背いていない頃。


「人を殺すということは、その命を背負うということだ」


 父は口癖のようにそう言っていた。当時のオレにはまだ、あまりにも難しい事だったけど、今ならわかる気がする。

 それは、人を殺した今だからこそ理解できることなんだと思う。

──なら、今のオレはその命を背負えているのだろうか。




 揺られている。昔、病の時に母に背負われていた時以来だ。目を開けると、すでに外は暗くなっていた。川に沿って進んでいるらしい。

 優しい感覚がする。森の匂いと、ゆっくりとした振動が、オレを深い眠りへと誘っている。

 誰に背負われているのだろう。

 目に入るのは銀の髪。そして獣の耳。

 なら、サドラーに背負われているのだろう。体も重いし、もう少しラクにさせてもらおう。

 そう思って彼女の首に手を回し──。


──べトリ、といやな感覚が左手を支配した。


「……え?」


 そう。今のサドラーにオレを背負うことなど不可能なはずだ。

 ようやく思い出した。魔獣と戦い、辛うじて殲滅する事ができたけど、オレはケルヌンノス・ブリギットを使ったせいで満身創痍だし、サドラーにいたってはいつ死んでもおかしくない怪我をしたはずだ。

 事実、それを肯定するかのように息は荒く、足取りはあまりにも頼りない。


「サドラー、オレを下ろせ」

「え?」

「え? じゃない。お前、無理してるだろ。いいから下ろせ。手当てしてやる」


 オレの体が地面に下ろされる。手頃な岩にサドラーを座らせ、ブリギットを発動して光源を確保する。


「ひどいな、これは……」


 ひと目見れば、オレのような素人でもわかる。彼女は衰弱しきっていると。顔面蒼白、目は虚。おまけに意識も消えかけているのだろう。

 彼女の傷口を確認すると、引き裂かれた肉の下に骨が見えている。


「人狼ってのは生命力があるんだな。聞いていた通りだ──サドラー、短剣は?」

「ここにあります」


 喉から空気を漏らしながらも彼女が返事をする。当然ながら苦しげだ。一刻も早く痛みを取り除かなくては。

 彼女から短剣を受け取り、喉元に当てる。こうやって短剣を当てている間はルーンによる魔法を維持し続けれる。

 意識を剣と傷口に集中させ、


「まずは──ラグズ浄化


 短剣に刻まれたルーンを発動する。

 こことは違う大陸、近しいが別種の信仰に基づくルーンは、文字自体が詠唱の代わりを務める。

 精霊の力を借りる事で様々な物質を創り上げる魔法と違い、ルーンは魔力を必要としない。精霊を動かす詠唱ではなく、世界を動かす詠唱だからだ。

 ついでに、解釈によっていくらでも変化させられるというのも強みだ。例えば、ラグズのルーンは水を意味する文字だが、別の解釈をするのなら水で洗い流すという意味になる。故に浄化なのだ。


「く……んぁ」


 何かを感じているのだろうか。サドラーは少し苦痛めいたうめき声を出す。

 バックパックからタオルを取り出す。川の水で濡らし、発熱しているサドラーの額にあてがう。それが心地よいのか、苦痛に歪んでいる彼女の顔が少し和らいだ。


「よし、次は──」


 エイワズ死と再生はダメだ。オレではどう解釈しても死を挟んでしまう。なら、


「──イサ《停止》」


 まずは傷口を現時点のまま固定する。これでこれ以上の悪化は阻止できるけど、出血多量であることに変わりはないし、状況はまずいと思う。


「行けるか……いや、やんなきゃダメだ──我告げる」


 傷口に空いていた左手を当て、大事なモノがすっぽりと抜け落ちた、そこに存在するはずの物をイメージする。


「それはあるべき物を再生する祈り。それは死へと至る傷こそを無に帰す祈り」


 魔力を練り上げる。削られた骨を補強し、損傷した血管を代用するパイプを作り上げ、正常に循環するようにする。


「我が祈りを聞き届けるのならば答えよ」


 筋肉を生成、擬似神経を肉体側の神経に接続。最後に、それらを覆う外皮で包み込む。

 知識と照らし合わせて創り上げるイメージを実体化させる詠唱を完結させる。


「──ディアン・ケヒト」


 それは、生命と医療の象徴だ。これで彼女は安定するだろう。

 しかし魔力で練り上げられた代用品はすぐに霧散する。このままでは塞いだ傷口がすぐに開いてしまう。

 だから、最後にこの代用品ごと固定する。短剣を刺し、再びイサ停止を発動した。

 これでとりあえずは問題なし。あとは安定した場所で眠らせるだけだ。




 川から離れた所に洞窟があった。多少整備された痕跡があることから、誰かが使っていたのだろう。

 なら安全だ。

 サドラーに教えてもらった通りに焚き火を作り、着替えを何着か重ねた上に彼女を寝かせる。

 相変わらず発熱しているし、息も荒い。けど、さっきよりは血色が良くなった気がする。


「さ、寝ろ。オレは見張りをしてやる」

「……いえ、わたしも見張りをします」

「その体じゃ無理だ。なに、さっきまで楽させてもらってたんだ。今度はオレが働く番だろ」

「……わかりました。その」サドラーは遠慮がちに、「眠るまで話相手になってもらっても……」

「ああ、いいぞ」


 優しく頭を撫でてやる。


「落ち着く手です。その、優しい姉がいたらこんな感じなのかなって、思います」

「そうか。オレはオレのやりたい事やってるだけなんだけどな」


 そう。あの時彼女を助けたい、そう心のどこかで思っちまったんだ。


「ふふ、ならラウドさんは心が純粋なんですね」

「純粋なもんか。オレは──」


──人殺しだぞ。

 仕事という名目で、どれだけの人を殺してきたのか。オレはすでに外道に落ちた身、その心が純粋であるはずがないし、あっていいはずがない。

 

「いえ、純粋ですよ。でなきゃ、あの時わたしを助けたりなんかしなかったと思います」

「む……なんかそう言われると恥ずかしいな」

「……いくつか聞いてもいいですか?」


 そう真剣な表情で訊かれるもんだから、こっちも真剣になっちまう。


「いいぞ、言いたいことは全部言っちまえ」

「ありがとうございます……それで、最初の質問なんですけど、ケルヌンノス・ブリギットでしたっけ、大丈夫なんですかあの魔法?」

「ああ、大丈夫。そりゃ確かに負担がヤバくて使えば確実に意識が飛ぶけど、死ぬようなもんじゃないからな。少なくとも第一段階なら、な」


 ケルヌンノス・ブリギット。それはある種の禁術だ。冥府神、つまり死の概念をブリギットの炎に付随させる。それがオレの最終兵器だ。ちなみに今回使ったのはほんの一端に過ぎない。とてつもない負担がかかる魔法だ。

 けど、意識を失うほどの負担ではあるけど、それだけ。ならば使うタイミングに気をつければいい。


「神の力を掛け合わせるとかいう禁忌だ。そりゃ負担はかかるけどな」

「よかった……でも、あまり使わないで欲しいです。今までも、そうやって人の身ではたどり着けない力を求め、その結果破滅した人を見てきましたから。その……恩人であるラウドさんにはそうなってほしくない」


 そう節目がちに、懇願するように彼女が呟くもんだから、こっちまで罪悪感に駆られてしまう。


「そうだな、できる限り使わないようにはするよ。オレとしてもあまり使いたい魔法じゃないし。それで、次の質問は?」

「あ、はい。その、魔獣のボスと戦っている時、わたしだってよく気がつけたなと思いまして。ほら、相手も銀の毛だったし」

「ああ、そんな事か。そりゃ簡単な事だよだって──」


──最初は汚れてくすんでいた銀髪だったけれど、その時からその美しさに──。


「見惚れていたんだ。サドラーの銀に。あんな魔獣の穢れた銀とは違う。サドラーの髪は美しい銀だからさ、それと同じ色をした狼なら、それはサドラーが自身のあり方を狼寄りにした存在以外にありえないだろ?」


 あ、サドラーの顔が赤くなった。


「は、恥ずかしいですよ、そんなこと言われるなんて思ってないですし、その……わたしはそんなに可愛くないし」

「昨日言ったろ? サドラーはかわいいって」


 そう言うと彼女は顔を赤らめた。ほんと、なおさらかわいく見えて仕方がない。

 ちょっとした仕草とか、感情のままに動く尻尾とか、ころころ変わる表情とか、なんだってこいつはこんなに愛らしいんだ。

 気がついたら、彼女の髪に手を伸ばしていた。サラリとした銀髪は粉雪のように滑らか。

 しかしそれは同時に確固たる硬さも持ち合わせ、自己を守る役目を持った髪だった。

 そこから手のひらを這わせて傷口に触れる。まだイサ停止の効果は効いているようだ。


「お前、自分の怪我は治せないのか?」

「見える場所ならいいんですけど、首元は」

「……観測者の原則だったか。魔法を発動している時は、常にその状態を観測していなければならないってヤツな。忘れてた、悪い」


 とはいえ常に見ている必要はない。発動のタイミングで視界に収めており、なおかつ視界から外れても明確にイメージを持ち続けることができれば、魔力の霧散まで保たせることができる。


「ラウドさん、よく治せましたよね。もうだめかと思ってたんですけど」

「治したんじゃない。代用品をつくって無理矢理ルーンで留めてるだけだ」

「そこです。よく人体の構造を知っていたなぁって」

「ああ、それは──効率良く処刑するための知識でしかない。オレが処刑人になったのが五年前、絞首刑になったのが三年前って言えばわかるだろ? 苦しませずに首を落とすための勉強をさせられた。それが今こうやって役にたってんだ。世の中わからんよ」

「そうですね……それから──きっとこれが一番聞きたいこと。明日も、明後日も一緒に……」


 サドラーはそれっきり声を出さなくなった。寝息だけが洞窟内に響き渡る。


「ああ、一緒にいるぜ。だから今はおやすみ」

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