第四話 獣たち

 森の中にある、不自然な広場。そこについてわたしは思い出す。

 ここはかつて王と叛逆者が一騎討ちした場所だと言われていると。その時王が斃れ、その結果ここには命が芽吹かなくなったという。


「敵は群れです。狩慣れているはずなので油断しないでください!」


 ラウドさんは両手を右下に下ろしてわたしの前に立った。わたしは身を低く、即座に戦闘状態に持ち込めるようにする。

──数が多い。

 これは一匹二匹じゃない。大型の群れだ。

──ちょっとヤバめかも。


「わたし、多数を相手にするの苦手なんだけど……ラウドさん、時間を稼げますか!」

「任せなぁ!」


 ラウドさんが腰の短剣を抜く。そこに刻まれているのは見たこともない文字。


 敵がきた──。


 数は十一。やはり大型の群れだ。狼というよりかは魔獣。狼型の魔獣だ。

 ラウドさんは腰を低く落として対峙する。


 一匹の魔獣が彼女に襲いかかる。


 それを身を翻して避け、首元に斬りかかる。短剣はその特性上力が入りやすいので、簡単に致命傷を与えることができていた。

 それで魔獣の群れは本気になったのだろう。ラウドさんに五匹、わたしに四匹に分かれて襲いかかってくる──。


「──っ!」


 鋭い爪がわたしの喉を切り裂こうとする。それを両腕で押さえ込むが、勢いの乗った魔獣に押し倒されてしまった。

──なら、これで!


「──我告げる。我が身を護るは鋭き岩塊。貫け、リタヴィス!」


 魔力から巨大な岩の棘を練り上げる。わたしの眼前に生成されたそれを確認する間も無く、腕の力を抜く。

 必然、魔獣はわたしに覆いかぶさるような体勢になり、貫かれて動かなくなった。

 岩を魔力に戻し、魔獣を押し退けて立ち上がる。後ろに跳躍して残敵と距離を取ると、戦場の情景がはっきりと見えた。


「このぉ!」


 ラウドさんは右手と──左手にも全く同じ単剣を持っていた。おそらくは魔法で複製した剣だろう。

 その証拠に斬りかかり、攻撃を弾くたびに左手の短剣は粉々になって消えていった。

 空手になった左手が上に走る。それが魔獣の喉を掠める瞬間──。


「そうら、食いやがれ!」


 短剣が練り上げられた。勢いのままに打ち上げられた魔獣を、全身を回転させながら跳ぶことで勢いを増した右手の短剣が、魔獣を地面に墜とそうと襲いかかる。


「──次!」


 前後から襲いくる魔獣。前方の魔獣の横に軸をずらして移動し、二振りの短剣で後ろの魔獣に叩きつける。

──指示する奴がいるはずだ。

 横からわたしを噛み砕こうとする魔獣を踏み台にし、宙に舞う。

──戦場を俯瞰で見るんだ。


「いた」


 群れの中に、不動の個体がいる。

 人狼のわたしと違い、狼の視野は三百六十度見える。戦場の中心にいながら動かず、唸り声を上げるだけの個体が、間違いなく戦場全てを見渡す指揮官だろう。

 主観中心にいながら、俯瞰で戦場を把握する化け物だ。


「ラウドさん、主格を叩きます! 手下を引きつけてください!」

「了解、ならコイツを試してみるか!」


 彼女は右手の短剣を上に掲げた。


アンスズ信号!」


 短剣に光が走り、彼の上で爆発が起きる。火球が太陽の光をを塗りつぶすほどのまばゆさを周囲に撒き散らす。

 その言葉の意味をわたしは知らない。けれどもそこに込められたモノ、言葉の本質を理解できた。

 敵が一斉にそちらを向いた隙に、わたしは着地する。それと同時に地面を駆け、指揮官に肉薄する──。


「はぁ!」


 飛びかかり、拳を作って殴りかかる。しかしそれは意味をなさない攻撃だった。

──人の腕ではダメだ。

 繰り返し連撃を浴びせるけれど、傷ひとつ付けることができない。

 なら、と後ろに跳躍する。距離をとって詠唱を開始する。


「我告げる。我が腕は究極の刃となりて、我が道を阻む者を打ち砕かんとするだろう!」


 これは精霊に語る言葉じゃない。これは我が身に語りかける言葉。我が身を変革するための詠唱だ。

──肉体がケモノに変わっていく。魂が、人から狼に寄っていく。

 腕が脚に変わり、足や太腿も脚へと変化していく。視力が落ち、聴力がより研ぎ澄まされる。

 血の臭いがわたしの鼻を貫く。それがより一層興奮させる。

 同時に、この魔獣たちは自然に存在するモノじゃないという確信も得る。ここに蔓延する臭いは、人の臭いの混じった獣の臭いだったから。

 ラウドさんはついに最後の一匹を狩り終えたようだ。目の位置が変化し、視力こそ落ちはしたが、視界が大きく開けたために確認できた。

 彼女のその動きは優雅さのない踊り。生きるための乱舞だった。

──驚いた。この一瞬で狩り尽くすなんて。

 なら、こちらも集中しなければ。

 走る速度が上がる。腕だった前脚を地面につけ、さらに速く──。


 叫びは雄叫びに変わっていく。


 後脚で跳躍する。右前脚を振りかぶり、首をめがけて爪で斬りつける。

 魔獣はそれをヒラリと避けてみせた。そのままわたしの首に噛みつこうとする。


「させない!」


 その声は唸り声に変わる。横に跳躍して避け、こちらも噛みつく。狙いは脚、まずは機動力を削ぐ。

 しかし敵もまた、闘いに生きる獣。

 こちらの攻撃はかわされた事で狙いはわずかに外れ、脇腹に頭突きという結果になった。

 頭蓋に響くような衝撃が走る。皮膚の下に鎧を着ているのだろうか、という錯覚さえ起きる。


『硬いなぁ、もう!』


 魔獣の爪が迫る。先の頭突きを意に介さないその一撃は速く、狙いの外れたわたしはそれに対処しきれない。


『がぁ!』


 わたしの首元に走る痛みは一瞬。勢いのある一撃はわたしの体を宙に舞わせる。

 鮮血がわたしの視界に入る。地を塗らし、わたしはそこから少し離れたところに墜ちる。

──しまった、今のは致命傷だ。

 立ちあがろうとする。けれど、

 力が入らない。

 意識が動かない。

 戦う意志が壊れる。

 恐怖で塗り替えられ──。


「サドラー! ──イサ休止!」


 光る短剣がわたしの視界を走る。

 それは、いかなる主の加護か。わたしの傷口に差し込まれた短剣は、わたしを壊すのではなく留めた。

 痛みはある。

 意識もある。

 出血はない。

 傷跡が停止したのが理解できた。


「──無茶をしやがって。あとは任せな。さっきの頭突き、存外効いてるみたいだからな」


 見れば、魔獣は先の頭突きを受けた場所を庇うように立ち、こちらに殺気を放っている。とはいえそれでもさほどの負傷にはなっていないようだ。

 対するラウドさんもまた、異常なまでの殺気を放っている。その手にはわたしの傷口に刺された物に酷似した二振りの短剣。

 

「コイツは反動がキツいんだけど、しゃあないか……我告げる。これは深淵より迫りし灼熱の地獄。我等が魂の行き着く先。我は常世に現れし地獄の写身。我は冥界からの使者となりて、眼前の敵を屠るだろう。我は汝ら二神の名を借り受ける狩人。汝らその力の一端を我に授けよ──ケルヌンノス・ブリギット・!」


 ラウドさんの両手に、さっきまで彼女が使っていた物とは根本信仰が異なる二振りの短剣が握られる。

 禍々しい紅、それは死の具現。燃え盛る刃は冥界から漏れ出た炎に他ならない。


 先に動いたのは魔獣だった。


 今までとは精度の違う、より確実に仕留めるための技が、ラウドさんを襲う。鋭い両脚が彼女の喉を引き裂き命を絶とうとしたのだ。

 一方のラウドさんは、わずかに身を引き、短剣を上に滑らせる。剣先がわずかに魔獣に触れ──。


『凄い、これは……』


 冥府神ケルヌンノスの名を冠した魔法によって生成された剣にふさわしい、絶対死の傷。

 ただ先端が触れるだけ。そのわずかな傷は瞬く間に広がっていく。魔獣の全身を駆け巡り、この世界から、

 肉を消去し、

 骨を消去し、

 魂を消去し、

 その全てを冥界に連れていった。


「は、は……がぁ……!」


 しかし、その反動もまた大きい。ラウドさんは敵が粉となった事を視認するや否や、糸の切れたマリオネットのように倒れ込んだ。


『ラウドさん、ラウドさん!』


 声は人の出す音にならない。傷口は休止しているけれど、それでも体力を奪っていく。

 本当は、今すぐにでも眠ってしまいたい。体は貪欲に眠りを欲している。

 けど、彼女の元に行かないと。きっとすぐに敵がくる。魔獣の群れをこちらに消しかけた、恐らくはパルタの部下が追ってきているはずだから。

 ズキリ、と傷口が痛む。

──そんなの、気にしている場合じゃない。

 獣の脚で、ラウドさんの肩を揺らす。


『ラウドさん!』

「サドラー……はは、何言ってんのかわかんねぇや。けど、心配してくれてるんだな。けど、動けないんだ。ちょっと休めばまた動けるようになるから……先に行け」


──人に寄った自己をイメージする。彼女を連れていくのなら、狼の姿はダメだ。


「何をバカな事を言っているんですか! 敵が来ます、間違いなく。だから、逃げないと」


 彼女を背負う。衝撃で短剣が傷口から落ち、血が滴り始める。震える体を抑え込みながら短剣を拾い上げて歩き出した。


──ドクリ、と心臓が大きく脈打った気がした。

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