第二話 生まれた場所を捨てるという選択

 オレンジ色の屋根の上に、剣を持った男たちが上がってくる。

 サドラーは全身を低く構えた。狙いを定める狩人のようだ。尻尾も逆立ち、威嚇している。

 どちらが先か──サドラーが動いた。後方に跳び、距離を取ったのだ。


「──我告げる。この地に住まいし母なる大地の分身よ」


 サドラーが行っている事は詠唱を用いた精霊契約。それは、常識を遥かに超える魔法の発動。

 通常、精霊は術者から漏れるイメージを魔力に伝える事で魔法を発動する。想像力によって変わるけど、単純なイメージで再現できるものであればあるほど容易に発動できる。

 けど複雑だったり、自身がよく知らない物を造るには詠唱が必要だ。あと、発動した魔法に概念を付与する際も同様に詠唱が必要となる。

 イメージしきれず、結果再現しきれない規模のものは言葉に出すことで、精霊が再現の補助をしてくれるのだ。

 その、イメージしきれない物を魔法として発動させるために彼女は詠唱をする。

 なら、それまでの時間を稼ぐ。

 駆け寄る敵の、彼女に向かって振り下ろされる剣の前に躍り出る。

──手本が目の前にある。敵の剣を模造しろ。

 魔力を練り上げる。斬るための精度は無視していい。ただ身を守るために存在させればいいのだから。

 右手に出現した、鈍く光る刃を上に走らせる。


「させるか!」

「チィ、処刑人風情が!」


 金属が擦れる音、剣が砕ける音が鳴り響き、オレの手から剣の感触が消え失せる。

 弾き上げた敵の剣が、今度はオレの左から襲いくる──。


「その処刑人風情を殺すのに二撃も使う素人は誰だろう、な!」


 左手に同じ剣を展開させる。身を回転させ、屋根に転がりながらいなす。


「我が怒りに触れよ。我が怒りに応えよ。我が怒りに応えるのなら発現せよ──リタヴィス、射出準備!」


 体勢を整えるオレの視界に入ったのは、巨岩の群れを背後に展開したサドラーだった。

 その一つ一つが、神々の兵器を思わせる。それを彼女は──。


「射出!」


 ──敵群に降らせた。


「エゲツなぁ……」


 岩の雨に降られた敵群は、それを避けようとして飛び降りる者、伏せて風圧で飛ばされる者、そもそも避けることのできなかった者に分けられた。

 ただ一つ、彼らは一人たりとも無事ではいられなかった。


「ラウドさん、こっち!」


 サドラーは敵のいる方とは別の方向──街を覆う外壁の、一番近い出口の方だ──に走り出す。

 彼女は屋根から屋根へと飛び移っていく。軽やかな身のこなしは、まるで舞踏会で踊るダンスのようだ。

 一方のオレはというと、そりゃ確かに多少の身体能力はあるけれど、それでも話しにならないものだった。


「──待ちやがれ、この!」

「誰が待ってやるもんかよ」


 それでもサドラーに食いついていく。彼女が通る道は、オレでもなんとか追従できるルートだった。


 ──パシュ、と何かがオレの顔を掠めた。


 手を頬に当てると、ベッタリとつく朱。次いでくる、鋭い痛み。


「弓兵だ、サドラー!」

「わかっています。掴まって!」


 差し出されたサドラーの手に掴まる。直後、オレの体は再び宙に浮いた。それは先のように抱えられたというわけではなく、真実浮いていた。

 壁を蹴る音と、何度も翻る視界。しかしその飛行もすぐに終わる。


 空がすぐ近くにあった。


「一瞬で外壁まで跳んだのか」

「人狼ですから。これぐらいの身体能力はありますよ──ここを動かないでください」


 サドラーが駆ける。外壁の上、石でできているせいでお世辞にもいいとは言えないこの場所を、彼女は駆け抜ける。

 その先にいるのは敵だ。恐らくは壁の外を監視する人たちだろう。三人いる。


「いたぞ、殺せ!」


 左右からサドラーの首を狙って剣が走る。サドラーはわずかに跳躍し、右の兵士の顔に膝蹴りを喰らわせる。

──圧倒的だ。

 倒れ込む兵士を足場に、反対側の兵士に飛びかかり押し倒す。兵士は頭を強打し、昏倒。

 それを確認するや否や、最後の一人の懐に飛び込み、顎に一蹴り。思わずオレも顎を手で覆ってしまう。

──うわぁ、痛そう……。

 制圧完了だ。オレは彼女の持つ、一瞬にして敵を昏倒させる技に見惚れていた。

 サドラーはオレを抱きかかえると、壁の外を確認する。数本の木があり、黄色く変色した土が道を形成していた。少し先には川があり、その奥には森がある。


「歯を食いしばって、しっかり掴まっていてください」


 彼女の首に手を回すと、今度は一気に跳び下りた。木の枝に着地して減速、地面までの急降下だ。

 サドラーはオレを抱いたまま、森に向かって走る。外壁上から矢が放たれるけれど、サドラーは見えているかのように避け、森の中に入り込んだ――。




「ここまでくれば大丈夫だ。下ろしてくれ」


 森の奥深く、一日中さほど日の入らない場所で下ろしてもらう。近くに綺麗な川がある木々の入り組んだ場所。この周囲には獣が存在するため、滅多に人は立ち入らない。

 しかし彼女と一緒なら問題ないだろう。彼女は強い。


「凄いな、サドラー。オレはもうだめかと思ってた」

「いえ。屋根に上がった直後、ケイさんが敵の攻撃を凌いでいなければ、二人ともデュラハンになってましたから」

「お隣の島国の伝承に出てくる妖精だったっけか」

「ええ。それよりもその頬の傷を治さないと」


 と言ってサドラーはオレの頬に触れる。彼女の滑らかで冷たい手が心地よい。


「い、いいよこれぐらい。放置しても問題ない」

「ダメですよ。出血はそれだけで体力を奪いますから。それに傷痕が残ったら大変ですよ。女の子なんですから尚更――我告げる。これは我が癒しの祈り。この地に集う精よ、神の子よ。我が祈りを聞き届けたまえ。ディアン・ケヒト」


――ほんと、驚かされてばかりだ。

 魔法によって発言した物は、原則として脆い。あくまでも代用品、あるいは使い捨てでしかない。魔力は基本的に実態を持たず、それを練り上げることで存在を確定させる物もまた、ある種の陰でしかないのだ。

 だから、ちょっとした衝撃で壊れるし、放置していてもまた、壊れる。

 だから基本的に時間のかかる治療は不可能、それが常識だ。塗り薬だろうと飲み薬だろうと、その効果が出るまで維持できないから。

 なのにサドラーはそれを成し得ている。どんな仕組みなんだろうか。

 ゆっくりと痛みが引いていく。


「これで大丈夫です。さ、野営地の設営をしてしまいましょう」

「そうだな――って、着替えが無いか。一度取りに戻らんとな」

「じゃあ夜にしましょう。見つかりにくいので」




 オレの家は街の端にある集合住宅だ。元々あまり物を持つ性格じゃないというのもあって、不便しているわけではなかった。

 サドラーの「簡単な変装ぐらいはしたほうがいい」というアイディアで纏めていた髪を下ろし、暗闇に紛れて家に戻る。

 唯一持っている大きなバッグに服と貴重品を詰め込む。

 それから、部屋を眺めた。木で建てられた家。

──なんだか、寂しい部屋だ。

 思えば、何も家に飾ってはいなかった。処刑人のオレが人並みの生活なんて、オレ自身が許せなかったから。


「ま、もう戻ることもないしな。さっさと合流するか」


 この街やこの部屋に思い入れがない訳ではないけど、オレは既にここを捨てる選択をしたんだ。

 部屋を出る。薄汚れた廊下を歩いて建物の外へ。

 サドラーとは街の外で合流する手筈になっている。彼女は外壁上部からこちらを観察しているはずだ。

 急がないと。見つかるわけにはいかない。そう思って走り出そうとするオレの背中に──。


「動くなよ、ケイ」


 無骨な剣が突きつけられた。


「リーマ……」


 彼に向き合う。いつになく真剣な表情だ。

 当然か。目の前にいるのは親友ではなく、反逆者なんだから。


「殺すなら殺せ。けど、そうしたら今度こそサドラーの行方はわからなくなるぞ」

「……その前に一つ聞かせろ。なぜあんな馬鹿な真似をしたんだ」


──そんなの、わかるわけない。


「感情が理性を壊したんだ」

「後悔しているのか」

「不思議なことだが、後悔なんてこれっぽっちもないんだ。それよりも、今のサドラーを放置する方がよっぽど後悔しそうだと思ってる」

「……そうかよ。ま、理由なんてどうでもいい」


 リーマは剣を下ろす。どうやら殺す気が失せたらしい。代わりに、小さな麻袋と短剣を投げ渡してくる。


「なんの真似だ?」

「選別だよ。そんだけありゃあしばらく食っていける。短剣のほうには変な模様が彫られているが、気にすんな。実を言えば、お前がサドラー・リリィを見捨ててここに戻ったってんなら殺そうと思っていたんだ。いいか、助けちまったもんは仕方ねぇ。ならせめてよ、見捨てんじゃねぇぞ」

「……ありがとう」


 短剣を抜く。暗くて見えにくいが、両刃の刀身に無数の文字──。


「ルーンじゃねぇか。よく知ってたな」

「親父が教えてくれたんだよ。元々ユグドラシル信仰の出身だったからな」


 そっか、と返事をして短剣に視線を戻す。

 ルーン文字。ある地方で使われている文字だ。文字自体が精霊と繋がっているため、組み合わせることでさまざまな魔法を発動できる。


「……ありがとうな。お前も危険だろうに」

「いいってことさ。ほら、行けよ」

「ああ、じゃあな」


 


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