人狼聖女様と処刑人少女は反逆する。
アトラック・L
前編 逃走
第一節 追われる者
第一話 殺す者と殺される者
ある所に、戦士たちがいた。敵は、腐りに腐った王。
戦士たちは王族を討ち倒し、新たなる国家を創りあげた。国王は戦士たちのリーダー、英雄パルタ。
物語は新国家樹立のしばらく後、首都カムランから始まる──。
肌寒い冬の夜。薄暗い地下牢の階段を降りる。あまり嗅ぎたくない臭いが充満する石の廊下の左手に、四つの檻があった。鉄格子で外界から隔絶された牢獄だ。
手前三つには誰もいない。オレは迷うことなく一番奥の檻の向かい、手に持った蝋燭で中を照らす。
──ああ、本当に酷い場所だ。
そこにあるのは、あまりにも粗末なトイレだけ。ベッドも松明もありはしない。誰かが蝋燭を持ってこなければ、そこは暗闇だろう。
檻の中から小さな声が聞こえる。掠れた女性の声、それは死にたくないという祈りか、それとも自信を殺そうとする者に対する呪いか。いずれにせよ聞き取れない声だった。
「まったく、嫌な仕事だ」
声の主は、檻の隅にいた。薄汚れた、意味を成さないであろう布切れだけを身に纏っている。腕には金属でできた拘束具。
髪色はくすんだ銀。肩口でバッサリと切られている。おそらくは捕らえられた後にそうされたのだろう。雑な切られ方だ。
特徴的だったのは、その頭についた耳だ。腰から臀部にかけての間から生えている尻尾もある。どちらも力無く垂れている。いわゆる人狼と呼ばれる存在だ。
人狼。それは人と狼の魂を持つ存在と言われる、その実在性が疑問視されている存在。自己の存在そのものを決める魂に狼のそれが混じる事で、肉体にも影響を及ぼすと聞いたことがある。
年は十代前半終わりぐらいだろう。
「驚いた、まだ子供じゃないか。聞こえているか?」
声をかけると、
「だ、誰ですか?」
「明日の処刑までの間、お前の世話をすることになった。サドラー・リリィだな?」
「は、はい……貴女は?」
「オレは嫌われ役の処刑人だ。サドラー、君の処刑を担当することになった。繰り返すが、処刑は明日の昼。それまでの世話をする」
極めて無機質な物言いを心がける。
処刑人にとって致命傷となり得るのは、何をおいてもまず感情だ。
──親父のようにはならない。
処刑対象に入れ込むな、自分を殺すことになるぞ。
──だけど、これは……酷すぎる。
「そうですか、わかりました」
目の前にいる人狼の少女、サドラーは無関心だと言わんばかりの冷たさ、無機質さを感じた。全てを諦めているような声だ。
おかしいだろ。こんな子供が、なんで死ななくちゃならないんだ。
「なんで英雄たちの一人だったお前がこんな事になってんだ。サドラー・リリィ、聖女と呼ばれた女が居ていい場所じゃないだろ、ここ」
サドラーは疑問符を浮かべるような表情をする。
「ここ、そんなに酷い場所なんですか?」
「そりゃ酷いに決まってる。まともに掃除すらされて──」
まて、彼女はどこを見て話している。暗くてよくわからなかったが、彼女は一度たりともオレと目を合わせていないんじゃないか?
「──お前、目が見えないのか?」
「ごめんなさい。本当ならわたしの命を背負う貴方の姿を、この眼でしかと見なければならないのに」
「拷問か……こんな子供に何やってんだ、王は」
英雄パルタ──否、その称号は既に過去のものだ。
国王パルタ。
彼の指示なのか、あるいは誰かの独断なのか。だけど、共に旅をした仲間がこんな目に遭っているというのに、救ける事をしない。それだけで、狂ってると言えるだろう。
「ちょっと待ってろ」
牢の鍵を開けて、中に踏み込む。
「相変わらず澱んでいるな。ここにある魔力の構成物質は死者の怨念だけどさ、限度ってもんがあるだろ──どれ、見せてみろ」
空間に存在する魔力──精霊の力を以て様々な物質に変換できる粘土のようなものだ──を油に変換して、右手袋に仕込んだ火打ち石で発火させる。発火魔法ブリギッドだ。
空間に出現した炎は、まるでここにある怨念が具現化したもののように感じられた。
ちなみに、サドラーの腕を拘束しているモノは、精霊との契約を禁じる拘束具。彼女は今魔法を行使することができない。
蝋燭とは比べ物にならないその灯りを頼りに、彼女の瞳を覗き込む。やはり虚を見ている。とはいえ治らないものじゃない。一時的な眼球の損傷だと思われる。
「よし──これを食え」
腰につけた鞄から一つの丸薬を取り出して、サドラーの口に入れる。彼女はそれを飲み込むと、
「これは──霊草薬ですね。なぜ……」
「最期に見たのが拷問官ってのが気に入らんだけだ。処刑の日までには回復するだろ。せめて陽の光ぐらい見てから逝かせてやる」
「貴方は……変わった方なんですね。人狼だって知った人はみんな、わたしを疎ましく思うのに……」
そう呟いてサドラーは小さく笑う。
──その自傷するような笑顔が気に入らない。
人狼だって、オレたちと同じ人間のはずなのに。
くぅ、とサドラーのお腹が鳴った。
「腹減ってんのか」鞄から黒パンを取り出す。「口開けろ」
サドラーが口を開ける。人狼らしい、鋭い牙が見える。その中に黒パンを突っ込むと、彼女はそれを噛みちぎった。
「ん……美味しい」
まともなパンなど与えられていなかったのだろう。ゆっくりと咀嚼して、笑顔を浮かべる。
──いい顔で笑う少女だ。
「最期の食事だ。味わって食え」
冷たく接しようとするけど、声がどうにも冷たくなりきれない。どうしちまったんだ、オレは。
一通り食べさせると、上着を脱いでサドラーの横に座る。少しだけ寒い。足を組んで彼女の頭を膝に乗せてやった。
「枕もない、硬い床じゃまともに寝れんだろ。最期ぐらいは多少マシな寝方をさせてやる」
「ありがとうございます」
最後に上着を毛布がわりにかけてやれば、それで終わり。あとはまあ、朝まで動かなければいいだけだ。
すぐにサドラーは寝息を立て始めた。ろくに寝れていなかったのだろう。本来なら恐怖で眠ることなど不可能だと思われるのに、彼女は違った。
魔法で灯した光はとっくに消えていた。
どれほど経ったのだろうか。オレの意識はいつも以上に覚醒していて、眠りにつく事を許しちゃくれない。膝にかかる重さが、サドラーの命を感じさせるせいだ。
クソったれ。情を移しちゃダメだって、そんなの処刑人の鉄則だろ。
「……全く、何やってんだオレ」
「本当だな」
オレの呟きに反応する声。陽気なトーンで、しかし氷のように冷たく発される声を知っている。
「リーマか……」
牢の外。蝋燭を持った男に目を向ける。痩せ型長身の男だ。
「お前の親友、リーマ・フレデリックだ。なかなか帰ってこないからな、心配して見に来たら処刑対象といい仲になってやがる。おかしいぜ、お前」
「自覚はある。オレだってなんでこんな馬鹿な事してんのかわからないんだ」
「そうかよ。お前、その女を殺せるのか?」
「殺すさ……それがオレの仕事だ」
サドラーがどれだけ生きたいと祈っていようが関係ない。オレは彼女を殺す。それは、オレに対してこの国から求められている役割だからだ。
で、オレはそれを無機質な機械としてこなしていた。
ならなんでこんなにも心が乱されている。
「死にたくない……」
サドラーがそう寝言を言った。
歯を食いしばって感情に耐える。
「……もしダメだった時は、オレの最期でもある。そうしたら優秀な──感情に左右されない処刑人が代わりにサドラーを殺すだろ。問題はないさ」
「は、違いない。そんときゃ俺が引導を渡してやる」
「そうだな。お前なら信用できる──ああ、そろそろ寝れそうだ……」
深い眠りに落ちていく。朝になればサドラを処刑することになる。
──時が止まってしまえばいいのに。
そんな、叶いもしない願いを込めながら、意識は消えていった。
次の日、広場にはあまりに多くの人が集まっていた。石煉瓦の建物に囲まれた広場は、遥か昔この国を治めていた王とその息子が殺しあいを始めた場所らしい。
何日も続く戦いは場所を変え、ここから少しだけ離れたところで終わったと言われている。
そんな広場の中央に、処刑台があった。
木でできた処刑台は、本来であれば吊り下げ式──落下させて即座に絶命させる仕組みだ──なのだが、今日は吊り上げ式に設定されている。
「悪趣味にも程があるだろ……」
要するに、長く苦しませようというのだ。見せ物にするために。
国から遣わされた男が、魔女の処刑だとかなんとか言ってるけど全然聞こえない。耳を素通りする。
民衆は民衆で、その言葉に沸き立っているようだ。
処刑台の中央に立っているサドラーの首に縄をかける。
──現実感に欠けるな。
まるで悪い夢を見ているかのようだ。
そう、悪夢だ。
目を覚ませば消える夢。
「名前、教えていただけませんか? 貴方だけがわたしの名を知っているというのは、いささか公平じゃないと思いますので」
「……ラウド・ライエン」
「ラウド・ライエン……素敵な名ですね。ええ、貴方はわたしに優しくしてくれました。そんな貴方の手で処刑されるのなら、それでも構いません」
歯を噛む。なんでそんな笑顔ができるんだ。そんな、全てを諦めた笑顔をすることができるんだ。
そんな彼女の表情が、現実感の欠如に拍車をかける。
「ああ、でも……結局霊草薬の回復は間に合いませんでしたね。貴女の想いを無駄にしてしまった。それだけが──」
──心残りです。
正午を告げる鐘が鳴り響く。
うるさい。
わかっている。
体はもはや馴染んだ動作をする。
吊り上げるためのレバーが引かれた。
ギイ、といやな音を立てて、歯車が回る。サドラーの命を奪うために。
彼女の体が宙に浮く。
本能が彼女の体を動かしている。苦しみから逃れようと、拘束されていない足をバタつかせる。
強く結ばれた口元から涎が垂れる。
目尻からは涙が溢れる。
「クソ……」
その光景を見て、これが悪夢だなんて生優しいものじゃないと理解する。
──現実なんだ。今この瞬間、サドラーは死に向かっている。
オレは何をしているんだ。
なぜ彼女を殺そうとしているんだ。
仕事だから? ふざけるな。その程度でオレは彼女を殺すというのか。
処刑は進む。見開かれた目は絶望に歪み、その喉からは、先ほどまでの澄み切った声とは違う、苦しい声だけが聞こえる。
「……たす……け、て……」
──見捨てるのか?
見捨てなければならない。見捨てるのがオレの仕事だ。
「死に……たくな……い」
──見捨てるのか?
そうするより他にないじゃないか。
──見捨てるのか?
死にゆくサドラーを見捨てなければ──。
「冗談じゃない!」
待機中の魔力を練り上げる。作り上げるは油。処刑台のロープまで続く導火線。そこに火をつける。
火は簡単にロープに引火する。焼き切れてサドラーの体が落下する。
咳き込むサドラーを抱きかかえて処刑台から飛び降りる。
んで、そこでようやっと冷静になった。
「何をやってんだ、オレは!」
感情に任せて自らの責務を放棄した。それはいい。
問題は、その責務が放棄してはならない物だったということ。この選択に対する代償は──。
「殺されるってのによ!」
けど、もう後戻りできない。彼女の処刑を中断してしまった時点で、オレの運命は決した。その証拠に、後ろからも前からも追跡者が来ている。裏切り者を殺すために。
せめてもの抵抗に、裏路地に入る。複雑に入り組んだ裏路地は迷路、複数の出口がある道だ。なら、あるいはまだおってのいない出口に抜けれるかもしれない。
けど、意味なんてないんだろうな。そう思う。オレだって剣の腕に覚えがあるけれど、複数を相手取って殺陣を演じれるほどじゃない。
だから、運命は決している。
否、決したはずだった。
「いいえ、貴方は死にません。この腕の拘束を解いてください」
その運命を覆すことのできる、救いの言葉。サドラーのその言葉に、
「え?」
間抜けな返答しかできなかった。
「わたしなら、この状況を切り抜ける手助けができます。ラウド・ライエンさん、これはわたしの聖女としての意地。恩人である貴方を助けたい」
「──わかった」
サドラーを地面に下ろし、鞄から鍵を取り出して拘束具を外す。彼女は手首を揺らして動きを確認する様子を見せた。
「目は見えるのか?」
「ぼんやりとなら見えます。ラウド・ライエンさんは木登りは得意ですか?」
「出来なくはないけど……自信は無いな」
「わかりました。喋らないようにお願いします」
直後、オレの体が宙に浮くかのような錯覚に襲われる。実態は浮いているのではなく、持ち上げられているのだが。サドラーの右脇に抱えられていて、気分はまるで小脇に抱えられた木板だ。
つまり、先ほどとは真逆の関係性になったということか。
彼女は体をわずかに沈めると、跳んだ──。
「う、うわ!」
「喋らないでください、舌を噛みます!」
彼女は建物の屋根に着地する。オレを優しく下ろすと、周囲を確認する。しなやかな体を低くして、即座に動ける体勢でだ。
その姿は狼そのものに見える。
「凄いな……」
こんな形で、人狼の凄さを認識することになるとは。
「追手が接近しています。ラウド・ライエンさん、応戦準備願います」
「あ、ああ。サドラーは戦えるのか?」
「ようやく霊草薬が効果を発揮しました。まだ遠くはハッキリと見えませんけど、貴方の顔を認識するぐらいは出来ます」
サドラーはこっちを向く。真剣な眼差しに当てられ、少し驚いた。
──本当に……美しい女の子だ。
そんなことを思う。穏やかな印象を与える垂れ目、それに反してピンと張った耳。それらを総括する顔立ちは、極めて整っている。
と、彼女は驚いたような表情を浮かべた。
「ラウド・ライエンさん……貴女、わたしとさほど歳離れていませんよね。驚きました。てっきり随分と歳上な方だと思っていました」
「そうだな、まだ成人していない。それから、ラウドでいい。呼びづらいだろ──さて、そっちの方が実践経験はありそうだ。先導頼むぞ」
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