28.当たり前な話、人は善意を持っている

 善意で善意を返す。そういうことはあるだろう。

 でも雛森は違っていた。自分の善意を俺への好意だと勘違いしてしまっている。好きになってもらうために俺は誰かを助けたわけじゃない。

 常に善意の気持ちがなければならない。じゃないと誰かの悪意にさらされてしまうからだ。


 それを経験したのは中学生の頃だった。

 小学生の頃は普通に友達がいて、子供ながらの無邪気さで男女問わず仲良くできていた。

 でも中学に上がって、思春期特有の意識みたいなものが働いたのだろう。クラスメイトだからって誰にでも話しかけられるわけじゃなくなっていた。それが女子ならなおさらだった。

 それでもみんなと仲良くしたい気持ちがなくなったわけじゃない。少しずつでも仲良くできるようにと。俺は子供ながらにがんばっていた。

 成果は少しずつ現れた。新しいクラスメイトとの交流を深め、教室内で居場所を獲得し毎日を楽しく過ごせるようになった。

 そのがんばりが無になったのは俺自身のせいだ。


 それを目撃したのは俺だけだった。

 路地裏で複数の不良っぽい身なりの連中に囲まれた一人の男子。明らかに仲良くおしゃべりしている雰囲気ではなかった。


「オラ早く金出せよ!」


 聞こえてきた恫喝に「あっ、これカツアゲだ」と小さく感想が漏れた。

 当時の俺はピカピカの中学一年生。まだまだ体も小さくて、体格の良さから高校生以上だと思われる不良連中に突撃していく勇気はなかった。

 腕に自信があれば「待てぇいっ!」と助けに入るべき場面だったろう。

 ……いや、腕に自信がなくても、ここは助けるべきだったのだ。

 勇気も度胸もなかった俺が考えたことは、とばっちりを受けたくない、という保身だった。

 そうした考えの俺が取った行動は、この場を後にして大人を呼ぶというものだった。

 路地裏から離れて近くの大人に助けを求めた。警察にも連絡していたから大丈夫だろうと安心した。

 それが間違った行動だったと知ったのは次の日のことだった。


「おい能見。お前俺が不良に絡まれているのを見てたのに、見てないフリして逃げたよな?」


 顔を腫らしたクラスメイトの男子にそう言われて気づく。昨日カツアゲされていたのは同じクラスの奴だったのだ。


「あ、あれって岡本くんだったの? ごめん、顔までは見えてなくってさ……。でも俺大人を呼びに行ってたんだよ」

「言い訳してんじゃねえよ! ちゃんと目が合ってただろうが!」


 彼の大声はクラスメイトの興味を引いた。

 カツアゲの被害を受けた岡本くんは語った。俺がどんなに薄情な人間なのかを。

 俺が「岡本くんだとは気づかなかった」と言っても「嘘をつくな!」と信じてはもらえなかった。「助けを呼びに行っていた」と言っても、「言い訳するな!」と切り捨てられた。

 そして、被害者の意見は正しいものなのだと知った。


「えー、能見くんってそんな人だったんだ……」

「普通クラスメイトがひどい目に遭ってたら助けるよね?」

「当たり前だろ。男としてどうなんだよ」

「しかも見て見ぬフリとか……最低な奴だな」


 クラスメイトに囲まれて、俺は非難の声を浴びた。反論なんか許されず、俺を責める声ばかりが教室に響いていた。

 あの時、俺はカツアゲされていた岡本くんを体を張って助けなかった。

 痛い目に遭うかもしれない。関わりたくない。怖かった。様々な感情があって、助けを呼びに行くのが精いっぱいだった。そう思っていた。

 もしカツアゲされていたのがクラスメイトだと知っていたとしても、あの時俺のできることはその程度のものだ。俺が大勢の不良相手に敵うはずがないんだから。

 ……そう思っていたこと自体が間違いだったのだ。

 これだけ大勢から非難されてわかった。俺は体を張るべきだった。自分の身を省みる場合ではなかった。目の前にピンチになっている人がいれば、自分可愛さに立ち止まっている暇なんかなかったのだ。

 それは俺に向けられる悪意が証明していた。いや、被害者のための非難なら、これは善意の声なのだろう。

 俺には善意が足りなかった。善意がないから責められる。

 そりゃそうだ。みんなが善意を持っていれば正しいことしか起こり得ない。正しいことをしなかった奴がどんなことになるのか、道徳の授業でやってきたはずなのにな。


 こうして俺は「薄情な奴」として、残りの中学生活を送ることになってしまった。

 俺のやらかしてしまったことはクラスどころか学年中に広まった。おかげで俺は男女問わず避けられるようになった。

 そんな状況になってしまったのだ。せっかくできた友達もあっさり失ってしまった。

 誰にも見向きされない生活は苦痛でしかなかった。授業を受けても部活に精を出していても、青春なんて程遠い。心を無にすることでしか耐える手段がなかった。


 だから中学三年の受験シーズンに、父親の転勤が決まった時は本気で嬉しかった。

「大変な時期にすまないな」と謝られたけど、俺にとっては朗報でしかなかった。誰にも相手にされなかった分を勉強で埋めていたから、それほど受験に対しての不安はなかった。

 転校して俺を責める声や目にさらされないようになって、ようやくみんなから非難される生活が終わったと安心できた。

 でも時期が時期なだけに転校先では友達を作れなかった。ただ受験して行く高校が決まった。それで俺の中学生活は終わったのだ。

 高校生になったら、今度こそがんばろう。今度こそ善意を持って行動するのだ。

 友達に見捨てられたことを思えば正直一歩を踏み出すのも怖い。でも常に善意さえ持っていれば、もう二度とあんなことなんて起こり得ない。


 たとえ体を張ることしか選択肢がなかったとしても、今度こそ俺はやってみせるのだ。


 ──そうした思いで、俺は雛森を助けたのだ。

 彼女を助けられた時、体に走る痛みよりも、安堵感の方が強かった。ちゃんと誰かのピンチに体を張れた自分に、心底安心した。

 大丈夫……、大丈夫だから。俺はちゃんとやれたから。

 だからきっと……誰かから責められることなんかないはずなんだ。

 みんなができるであろうことをしただけだ。みんなが当たり前だと言っていたことをしただけだ。それこそ感謝されるほどのことじゃない。だって当たり前のことなんだから。


 ──なのに「好き」だとか「付き合って」だとか言われてしまったら……。これじゃあ正しい善意ではなくなってしまうんじゃないのか?

 当たり前の善意だったはずなのに。今度は下心があるからと責められてしまうのか?

 ずっと頭の中で響いている……。薄情な俺を責める声が止まないってのに……。


 神様ってやつがいるのなら問いたいものだ。俺が一体何をしたんだ? って。

 でもその答えは自分の中で出ている。答えはこうだ、


「誰かのために何もしなかったからです。善意を持って人に接しなければなりません。あなたを責めるのは、あなたが間違っているからですよ」



  ※ ※ ※



 雛森に告白された次の日。

 とても気分が悪い朝だ。これが憂鬱ってやつなのだろうか。辞書で調べた単語って身になっているとは限らないな。


「雛森……怒ってるかな……」


 彼女の勘違いだったとしても、告白を振ったのだ。良い気持ちではないだろう。

 でも言わなきゃならなかった。間違いを正さないのは善意ではないからだ。

 もう今まで通りには付き合えない。高校で初めての友達も失ってしまった。

 雛森といっしょにいるの、楽しかったのになぁ……。


「能見くん」


 通学路の途中で、俺を呼ぶ声がした。

 弾かれたように声の方向を見た。まさか、と心が騒ぐ。


「学校に行く前に、私と少し話をしてくれないかしら?」

「……橘さん?」


 思っていた人物とは違っていたけど、憧れのクラスメイトからのお誘い。目を丸くしながらも、無意識に首を縦に振っていた。


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