第35話 過去編 中学二年の雪

 クラブの練習がない日曜日。

 私は両親がいる家に少しでも居たくなくて、図書館に通うようになった。電車でニ十分以上かかるが、図書館の方が勉強に集中できるし、運動にもなるから好都合だった。

 そうして図書館に通うようになったある日、少年の姿を見た。

 高い位置にある本を必死に取ろうとして、その手を上に伸ばしていた。松葉杖で体を支えている姿は非常に危なっかしかった。でも、彼のことが気になったのはそれだけが理由じゃない。

 瞳に惚れた。必死に縋る眼差しが、凄く羨ましかった。荷台を使えば問題なく取れるような本を、何とかして自分の力で取ってやろうとする強い気持ちが、その瞳から分かったのだ。

 私は先刻、入り口近くの本棚付近に荷台があったのを思い出し、それを急いで取りにいく。

 しかしその場所に戻ると、彼は既に取るのを諦めていて、その場から離れようとしていた。

 私は彼の求めていた本を、荷台に乗って取る。

「あっ、あの……これっ」

 少年を呼び止めて本を示して見せると、彼は振り向いて目を丸くした。

「これ、取りたそうだった、ので」

「ありがとうございます……ごめんなさい、わざわざ」

 余計なお世話だったかもしれないと思ったが、やってしまったものは仕方がない。私はすぐにその場を離れようと思ったが、彼のリュックにぶら下がる白馬が見え、妙な親近感が湧いた。

「いえ、大丈夫ですよ……あっ、ドサコちゃんだ」

「あぁ、そうですよ。知ってるんですね」

「はい、私、サッカーやってるので……」

 やってると言った自分が何だかおかしくて笑ってしまった。もう殆ど辞めているようなものなのに。

「そうなんですか。道理で知っている訳だ……僕もサッカーやってるんです。それで、プロになるのが夢で……けど、見ての通りこんな状態で……」

 彼は笑っているが、膝には厳重に包帯が巻かれていた。それは凄く痛々しくて、私は目を背けたくなった。

「もしかして……膝、怪我したんですか?」

「えぇ、靭帯を。おまけに損傷じゃなくて断裂です」

「っ……そうなんですか……」

 思わず言葉を失った。若々しい顔や同じくらいの背丈から察するに、年齢は私と近いだろう。

 私も同じように靭帯を怪我したらきっぱり諦めていたからそうなりたかったなどと、不純なことを同時に想起する。

「まあ、でも……何とか治して……それで、すぐに復帰します、絶対」

 そう言った彼の自信に満ち溢れた表情は、私にないものだった。たとえどのような逆境でも、途轍もなく高い壁でも乗り越えようと思う、そんな強い意志を宿した彼の瞳。

 それは私が渇望したけど得られなかったものであった。

「が、頑張ってください! 応援してます!」

 自分でも驚くくらい声が大きくなっていた。純粋に彼の背中を押したいと思ったのだ。

 そのせいで司書さんに注意をされ、互いに笑みがこぼれた。

「ありがとうございます……ごめんなさい、初対面で、こんな話して……」

「全然大丈夫ですよ。それじゃ、私はこれで」

 私は彼の前から立ち去ろうとした。だが、背後から「あのっ……」と呼び止められる。

「また、会えますか?」

 彼は顔を赤くしてそう訊いた。

「はい、会えますよ。日曜日は大体ここに来てます」

「そうですか……えっと、お名前は?」

「泉雪、十三歳です」

 私がそう答えると、その答えに彼は驚いた表情を見せた。

「僕は石野雄輝。十三歳」

「同い年だった……んだね」

「……そうだね」

 なぜ石野君が私と会いたいなんて言ったかは分からない。けれど断るのもおかしな話だし、私自身も、彼に多少惹かれるところがあったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る