第34話 過去編 中学二年の雪
私は昔からドジだった。
何でもそつなくできる双子の姉の
冬美は九歳の時にサッカーを始めた。ボールを楽しそうに蹴る彼女を見てサッカーに興味を抱き、同じことをしたいと両親に願ったのが、サッカーを始める契機だった。
両親はもちろんそれを快く受け入れて、私にもボールとスパイクを購入してくれた。
純真無垢で、何も考えずにただボールを蹴ることにのめり込んでいたあの時が、サッカーを人生で一番楽しめていたと思う。
冬美と同じチームに入り、一緒にプレーをすることは楽しかった。
けれど、やはり二人で遊ぶのとチームで練習をするとでは、全く違うものだった。
冬美には天性の才能のようなものがあったと思う。足も速く、タッチが柔らかく繊細で、男の子の中にいたとしても遜色なくプレーできるくらいに上手だった。
それに対して、私はサッカー以前にそれほど運動が得意ではなかった。
リフティングも回数を重ねられないし、緊張するとパスやシュートがおかしな方向へ飛んでいく。
チームは小学生年代でも実力のある方だったので、もちろん、そんな私はベンチを温めることが多かった。
けど、必ずや冬美と同等かそれ以上になりたい気持ちに、私は駆られていた。日本代表になってワールドカップに出たいと思うのと同じくらい、それは重要な目標であった。
けど、中学の春、私に転機が訪れる。
ある日の夕食後に父が、私にだけリビングに残るよう促した。父の隣には母も座っており、二人のその曇った表情を見て、私は自分によからぬ発言がくることを察知した。
「雪、君はサッカーを辞めなさい」
父はまるで家庭ごみを捨てに行ってほしいと頼むような気軽さで、私にそう告げた。
何となく、それを言われるだろうと思っていた。なので、大きな驚きはなかった。
「……何で?」
私はもちろん、それを受け入れたくない思いがあって訊き返す。
「サッカーを続けるにも金がかかる。うちもそんなに裕福じゃない。それに、将来のことを考えて辞めてほしい。冬美は才能があるから投資になるが、雪はそうじゃないだろう」
父の言葉はぐうの音も出ないほどに正論だ。
「お前らには、できれば大学に進学してほしい。特に雪は、無駄なことに時間を使ってほしくない」
父の願いもよく分かる。現在、私は勉強よりもサッカーに重きを置いた生活をしている。
できることなら早い段階でサッカーは趣味と割り切り、将来のことを視野に入れて、勉学に励んでほしいのだろう。
「……私の続けたい気持ちはどうでもいいの?」
「雪」
私が何とか抵抗を試みようとすると、母が窘めるように私の名前を呼ぶ。
「あなたの気持ちは分かる。親だから、子供に好きなことを続けさせたい気持ちもあるけど……勉強はやった分だけ将来の役に立つし、早いうちに始めた方がいいよ」
「そうかもだけど、サッカーだって、将来トッププレイヤーになれば……」
「お前には無理だろう」
ふと無感情で放たれた父の言葉に、胃がキュッと引き締まり、きりきりと痛む。
「女子スポーツ選手の年収なんて、高が知れてる。あと、凄い舞台で活躍できる選手は、子供の頃からエリートなんだよ。それに、なれなかった時のリスクが大きすぎる」
私は父の論理的な主張に窮してしまう。確かに、多くの子供たちは夢を追ってスポーツに邁進するが、達成できなかった時の保険がない。サッカーだけに注力し、勉強のできない運動だけが取り柄の人間なんて、社会で評価されない。
「じゃあ……私だけ諦めろ……ってこと?」
父と母は深く頷いた。
ただただ、悔しかった。
でも、もう私は自覚していた。冬美より上手くはなれないと。
中学生になっても試合は途中出場ばかりだし、仮に出ても凄まじい活躍をする訳でもない。冬美はたくさんゴールを重ねたりしているが、私にはそういう目に見える結果もなかった。
それにスポーツと勉強を両立するという気概もない。
言い返そうと思えば、恐らく、いくらでも言い返せた。
けど、勉強もサッカーもしっかりやりますと言って、目標を達成できなかった時のことを考えると、喉から出かかった言葉は私の中でゆっくり消えた。
「あぁ、そう、うん、そうだね……うん、そうだよね……分かったよ」
私は怒りや悲しみ、苦しみ、悔しさなど、そんな負の感情を押し殺して同意した。
その後、切りのいいところでという辞めようという話になり、中学二年生の夏まで続けるということになった。その後は、この市で最も頭のよい高校に進学、そして国立大学進学に向けて受験勉強に専念すると約束した。
そうして決めてしまえば、次第にサッカーの練習がつらくなっていく。
既に夏に辞めることが決まっているのに練習に取り組むのが馬鹿らしく思えるし、和気藹々とボールを蹴る姉やチームメイトを見ていると、尚更モチベーションが低下する。
練習も身に入らなくて、私は投げやりにサッカーをするようになっていった。そのもやもやとした感情を勉学にぶつける日々だ。
サッカーをしていない自分は自分ではないみたいで、生きている心地がしなかった。
ジグソーパズルの最後のピースが永久の闇に葬られてしまって、完成あと一歩で一生滞るような感覚。私という存在が薄っすらと消えていくような喪失感。
その虚無感は私の体を蝕み苛んで、想いを放棄した肉体だけの存在へと堕落させた。
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