第32話

 ストーカー疑惑は僕のクラスにも広まっており、金曜日は針の筵に座る心地であった。

 廊下を歩くだけで色々な人から目視されるので、これでは周りの方がストーカーなように思えてくる。

 そんな気の毒な一日もすぐに過ぎ去って、作戦決行日である土曜日になった。

 サッカー部はいつも通り、本日は午前までの練習だ。

 僕はわざわざ制服を着用し、学校の昇降口で待っていた。僕への誤解はまだ解けていないのか、完全に泉さんを待ち伏せしているものだと思われている。ただ今回に限っては実際そうなのだから反論できない。

 僕が壁に背中を預けて待っていると、遂に泉さんと沢田さんが姿を現した。

 二人は昇降口に向かって愉快そうに話しながら歩いてくる。

 しかし泉さんは僕の姿が目に入ったからか、別ルートから帰ろうと沢田さんを促す。

 だが沢田さんは決して動かない。更に、泉さんの腕を掴んで逃げないように拘束する。

「泉さん」

 僕は二人の近くに行く。

 泉さんは僕と視線を合わせない。枯れた花のようにしおらしく、背中を少しだけ丸める。前髪からほんの少しだけ覗く瞳には、罪悪感と僅かばかりの怒りが見えた。

「泉さん、話したいことがあるんだ。とても大事なこと」

 僕は率直にそう泉さんに伝える。泉さんは未だに顔を上げない。

「別に……僕と話したくないなら、今後はもう話さなくてもいい。けど、今日だけは、許してほしい」

 僕がにじり寄ると、泉さんは後ずさる。

「ゆっきー、大丈夫だよ。多分、恐らく……だから、石野と話しな」

 沢田さんは疑心もほどほどに、計画通り説得してくれる。

「鈴は、石野君の味方なんだ」

「そうだよ。たった今だけ、この瞬間だけ、寝返ったの」

 沢田さんは煮え切らない泉さんを見て嘆息し、

「さっさと話してきな。そんでちゃっちゃとすっきりさせてこい」

 ニコリと微笑んでから、泉さんの背中を右手で押した。

 僕は泉さんが逃げないように、彼女の手を取った。泉さんは僕の突然の行動にビクッと体を震わせた。彼女の小さな手は汗でしっとりと濡れていて、妙に生暖かい。

 そう言えば、彼女の手を握るのは初めてだなと、掴んでから思った。

「行こう。連れていきたい場所があるんだ」

 泉さんは僕のその言葉に返事はしなかったが、手を引くと黙って付いてくる。

 僕は泉さんの手を離さず、駅に向かって歩く。彼女があまりに沈痛な表情で、更に少し後ろを歩くものだから、僕たちを訝し気に眺める人が多かった。

 学校の最寄り駅に来て、電車に乗り込んだ。

 そしておよそ十分で、僕の自宅の最寄り駅に到着する。そこからバスに乗り換えて、二人がけのシートに腰かける。手はずっとがっちりと掴んだままである。

 客の乗り降りと見慣れた景色を黙って眺めながら、僕たちは無言でじっと座っていた。

「あいつらずっと手繋いでるよ」

「な、見せつけてるよ、あれ」

 僕たちよりもほんの少し若い男の子たちが、そう茶化すように笑って下車した。泉さんはそれを耳にした途端、顔を赤く染める。

「あの、石野君? そろそろ手を離してくれない?」

「嫌だね」

 僕は泉さんが手を離そうとするのをギュッと掴んで、決して離さない。

「逃げたりしないよ。嘘はつかない」

「嘘をついて僕をストーカーに仕立て上げたのは、どこのだ? オランダ人か?」

「ベルギーかフランスじゃない?」

「不正解。日本人の女の子だ」

 泉さんは押し黙り、唇を真一文字に引き結んで小さな声で唸る。その不満げな顔がソラを布団から降ろした時の表情とそっくりで、可愛らしいと思った。

 バスは約ニ十分で、自宅近くのバス停に辿り着く。

 僕たちは自宅前まで来て、駐輪スペースに足を運ぶ。そこには自転車が三台置かれている。僕と両親がそれぞれ使用するものだ。

 僕はそこで初めて泉さんの手を離した。彼女は既に観念しているのか、逃走することはなかった。

「後ろ、乗って」

 僕は自転車の鍵を解除して、泉さんに荷台に乗るように促す。

「二人乗りはよくないよ」

「どうせ人は殆どいないんだから大丈夫だ」

「理由になってないよ……」

 僕がサドルに跨って待っていると、泉さんは仕方なく荷台の上に尻を乗せた。

「手、腰に回して。危ないから」

「……やっぱ歩いて行こうよ。どこ行くか知らないけど」

「自転車の方が早く着く」

 僕が頑なに泉さんの提案を断ると、彼女は諦めた様子で僕の腰に腕を回した。その腕は僕よりもずっと細い。

 僕は自転車を目いっぱい漕ぐ。いきなり坂を下るので、それなりにスピードが出た。

「わっ」

 存外速度があったので、泉さんはギュッと僕の体を強く抱き締める。

 背中に彼女の体温が伝わって心地よい。胸元にある硬質な布生地の先に、確かな柔らかさがあった。それを仄かに感じ取ると、胸の高鳴りを抑えずにはいられなかった。

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