第30話
僕は教室で読書をして時間を潰し、隆二の部活の終わりを待った。
空が夕暮れに染まる頃、隆二から部活が終わって昇降口で待っているとメッセージが届いた。
僕は本を片付け教室を後にする。
昇降口に向かって廊下を歩いていると、二人組の女子とすれ違う。
「あの人、ストーカーの人じゃない?」
「待ち伏せしてるんじゃない?」
「ね、怖いよね」
二人組の女子は怯えた様子で、一目散に逃げていった。そういう対応をされると、本当に自分が犯罪者のように思えて、少し心苦しいものがある。
昇降口に到着すると、制服姿の隆二がスマホでゲームをしながら待っていた。
「お疲れ」
「お前の方が疲れた顔をしてるぞ」
僕が声をかけると、隆二は心配そうに見つめた。
「精神的にやられてるんだ」
「振られたから?」
「あらぬ誤解をかけられてるからだ」
「あらぬ誤解?」
「今日はその話するために、お前に残ってもらったんだ」
僕は隆二に対し、自分の身に起こったことを説明する。
泉さんにあることを言って、彼女を怒らせてしまったこと。それを訂正したいが、彼女に避けられてしまい話せないこと。ストーカーだと嘘を流され、僕を近付かせないように仕向けていることを伝えた。
「なるほど。もう一回プロポーズしたいけど、取り付く島がないって感じか」
「全然違うわ。これだから脳みそ筋肉のスポーツ推薦野郎め。サッカーよりも人の話を理解する力を身に付けろ」
「冗談だよ、冗談。でも、どうして泉さんと話すために俺なんだ? 俺は泉さんと別に仲よくないぞ。特にできることなんてないと思うんだが」
隆二は破顔したと思ったら、すぐに真剣な表情になる。そのころころ変わる表情は見ていて面白い。沢田さんが惚れるのも無理はない。僕も隆二なら惚れそうだし、掘れそうでもある。いや、断じて僕にそんな趣味はない。
「隆二が泉さんと話す必要はない。隆二が話してほしいのは沢田さんだ」
「鈴? 何で?」
僕は泉さんと沢田さんが友人であること、そして沢田さんが中心となり、僕と話さないようにしていることを伝える。沢田さんは僕の言葉に聞く耳を持たないので、隆二から沢田さんを説得してほしいと願う。
「なるほど。つまり、泉さんに振られたから第二志望の鈴に告白したけど、鈴は俺のことが大好き過ぎて、取り付く島がないってことか」
「耳腐ってんのか」
「だから冗談だって。ま、事情は分かったわ」
「僕を、信じてくれるのか?」
「疑う理由がねぇだけだ」
「お前、いいやつだな」
「言われなくても知ってる」
僕は隆二に多大な感謝をした。彼が僕の言葉を信じてくれるかどうか不安であったが、杞憂に終わって何よりである。
「どうせ鈴と帰る予定だったし、連絡するよ」
「僕が一緒にいることは伏せてくれ」
「了解」
隆二は沢田さんにすぐさま電話をかける。数コールで彼女に繋がった。
『もっしー? どしたのー?』
「……ふふっ」
電話口から沢田さんの猫なで声が聞こえる。それは僕と話している時とあまりに違って、思わず笑いを堪えきれなかった。
「あ、もしもし、鈴? 部活終わった?」
『終わったよー。今、着替え中』
「そっか。俺、昇降口で待ってるよ」
『……それラインでいいじゃん。何で通話?』
「ちょっとでも鈴の声が聴きたいからだよ」
『……ふんっ』
何この会話、非常にむず痒い。これわざわざスピーカーで話す必要ある?
もしかして、僕に聞かせるためにわざとそうしているのだろうか。相思相愛なのは構わないが、それをアピールしないでほしい。
「嫌だった?」
『全然。むしろ、声聴けて嬉しいよ』
「じゃあ、やっぱ通話だけでもいいか」
『えっ、何で? 会って話したいよー!』
「じゃあ、よろしく。待ってるから」
『はいはい、大好きな隆ちゃんの元へすぐ行きますよー』
「ありがとー」
そこで隆二は通話を切った。
「すぐ来るってさ」
「黙れ。早く破局しろ。学校中で別れたことが知れ渡って卒業後もネタにされろ」
僕の恨み節を隆二は笑ってスルーした。
ほどなくして、沢田さんが昇降口に来た。上機嫌で少し早歩きになっている彼女は、隆二の姿を見て柔らかく笑った後、僕の姿を視界に捉えてその笑顔を曇らせた。
「ちょっと……何でストーカーがいるの?」
沢田さんは早速僕に対して軽蔑の眼差しを向けて、隣にいる隆二に問う。
「こりゃ凄い。大好きな隆ちゃんの元へすぐ来たな」
「えっ……はっ、あんた、いやっ……」
僕がそう言うと、沢田さんは顔を真っ赤にし、両手で頬を覆う。
「何でここにいるか……沢田さんと会って話したいからだよー」
「ああああっ! 最悪、最悪、最悪っ!」
僕が沢田さんの猫なで声を真似すると、彼女は校舎の柱に頭をぶつけて顔を伏せる。
隆二はそんな沢田さんを見て微笑を浮かべ、一枚写真を撮っていた。
「というか、何で隆ちゃんが石野と一緒にいるの!」
沢田さんはまだ肩で息をしているが、少し平静を取り戻したようだった。
「いやいや、ダチなんだから一緒にいてもおかしくないだろう?」
「あー、そうか、それもそうか……」
「前に言ったろ? 雄輝と小中同じで、クラブでチームメイトだったって。てか、こいつ凄い上手かったんだぞ。泉さんと同じタイプで、どうしてそこが見えてんだって思うような縦パスバンバン入れてくんの。しかも、超絶トラップし易いの」
隆二は昔を懐かしむようにそう言った後、「そんなことより」と本題を切り出す。
「雄輝がストーカーだってやつ、あれ、泉さんの嘘っぽいぞ」
沢田さんは膨れっ面になって、ため息をついた。
「隆ちゃん、どんなこと吹聴されたの? また泥酔して変なこと口走ってるだけ?」
「沢田さん、またって」
「雄輝、お前は最低最悪な、本来備わってなければいけない人間性が全て欠落した、気色悪い童貞隠キャストーカーだったな。学校中にそれが知れ渡らなければならないと、俺は思う」
「安心しろ。僕の記憶力は鶏よりも悪いと定評がある」
隆二が擁護をやめて捏造を流布しようとしたので、僕は沢田さんの先刻の発言を忘れることにする。というか、僕への悪口、少し言い過ぎじゃないですかね。普通に傷付くんですけど。
そもそも、沢田さんの爆弾発言に関して咎めるつもりはない。若気の至りというやつだろうし。だが、SNSには注意した方がいいだろう。
「さて、話を戻すが、雄輝はストーキングとかするようなやつじゃない。怪我した時だって誰かを恨んだりしなかったし、全力で何かに取り組めるようなやつなんだ。俺は雄輝と小学生からの友人だが、誰かの嫌がるようなことを積極的にしてるところは、その長い付き合いで一回も見てない」
隆二の言葉には少し語弊がある。僕は恨んでいるのを言わなかっただけで、感情が憎悪に支配された時はあった。
しかしながら、隆二が存外僕をちゃんと見てくれていたのは、何だか小恥ずかしい。
「でも、石野が嘘をついていない証拠はない」
「じゃあ、泉さんが嘘をついていないと言い切れるか? 石野はいつどこで告白した? その時の言葉は?」
「そ、それは……」
隆二が痛いところを突いた。沢田さんは何かを言いたそうだが、言葉は出ない。泉さんが噓を吐いていないという確固たる証拠は持っていないのだろう。
それに、泉さんの嘘は詰めが甘い。僕に告白されたということだけを言って、仔細は特に考えていなかったのだろう。もしくは、沢田さんが詳細を無闇に訊き出さなかったとも考えられるが。
「ま、正直、雄輝も嘘をついていないとは言い切れない。どっちの意見が合ってるかなんて、本人たちにしか分からない。ただ、俺は雄輝を信頼に足るやつだと思ってる」
「……隆ちゃんがそう言うなら」
沢田さんは未だ得心がいかないようであったが、それでも信じてみようかという気持ちが沸き起こっている。やはり愛する男の力は凄い。隆二を頼ったのは正解であった。
人は何を誰が言ったかよりも、誰が何を言ったかの方が重視する。それは僕が常々思っていることだが、やはり沢田さんも該当するようだ。
「もちろん、もし雄輝がマジでストーカーだった時は、サッカー部総出で蹴り殺してやるから」
「……うん、分かった。その時はあたしたちも混ぜてよ。繁殖行動できないようにするから」
「当たり前だろ」
「何でそんなに目の敵にするんだよ、お前らは……」
凄く爽やかに物騒な会話をしている。僕が本当にストーカーだったならば、命はなかったかもしれない。というか、サッカーをやる人がそんなことに足を使わないでほしい。
「いやいや、泉さんは結構アイドル的存在だぞ」
隆二が目を瞬かせそんなことを言う。泉さんは踊って歌って握手などでファンからお金を巻き上げた挙句、金持ちの実業家やイケメンと密会を重ねるような存在なのだろうか。
おっと、アイドルに偏見が過ぎた。これは坊主にして謝罪会見を開かねばなるまい。
「アイドル?」
「そうよ。てか、初めて会った時に言ったでしょ。告られたりしてるって」
沢田さんはじとりと僕のことを見下ろす。
「あれ冗談じゃなかったのか」
僕はてっきり沢田さんがおふざけで言っているのかと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
「サッカー部でも狙ってるやつ、そこそこいるぞ。顔が可愛い、愛想もいい。無意識に男の心を擽るタイプ。ありゃ惚れる」
「隆ちゃん?」
隆二が泉さんを褒めると、沢田さんの表情が険しくなった。
「俺は鈴一筋だぞ。俺にはもったいないくらいの彼女がいるのに、他の女に目が行く訳ない」
しかし隆二が臆面もなくそう言うので、沢田さんは少し恥ずかしそうに目を背けた。
「泉さんを利用してイチャコラすな」
「イチャコラしてねぇ―し!」
沢田さんは全力で否定するが、朱に染まった頬では説得力がない。
「だから、雄輝は結構目の敵にされてるんだよ。誰も近付けない泉さんと話したりしてたらしいじゃないか」
「そうか」
とは言っても、まともに学校で話したのはあの昼食時くらいだ。しかし、確かに絶対不可侵のような存在に近付く者がいれば、そこに羨望や敵意を抱くことはおかしなことではない。
「それで今回ストーカーになっただろ」
「なってねぇよ」
「あぁ、悪い。ストーカー疑惑だな。まあ、それもあって何だあいつはー、みたいな感じになってんだ」
隆二の話を聞いて、僕に一層ヘイトが溜まる理由が分かった。
「そもそも石野メンタル強過ぎでしょ。あたし、あんたの立場だったら学校通える自信ないわ」
「いや、何で一生会うこともなさそうな連中を気にかけて生きなきゃいけないんだよ。その方がおかしくないか?」
小中学生時代は、常にそんな考えであった。誰かの言葉を真に受けることは殆どなかった。
それは自分の実力への過信があったからできた考えである。
だから、他者と比較して脆弱な己の力を知った時、僕は自分を失い壊れてしまった訳だが。
「常人ならそれを乗り越えられないのよ……羨ましいわ、そのメンタリティ」
沢田さんは頭を搔いてそんなことを述べた。
「そう言えば話が逸れたな……沢田さん、一回だけでいいんだ。泉さんと話すチャンスが欲しい。協力してくれないか?」
僕は話を本題に戻して、沢田さんに努めて真剣に頼み込む。
沢田さんは逡巡した後、人差し指を立てて前に出す。
「……一回だけね」
「ありがとう」
僕の口から無意識に安堵の息が漏れた。
「とりあえず、連絡先を交換しよう」
「……了解。じゃあ、ラ」
「ラインはやってない。電話番号を教えてくれ」
「……この時代」
「もういいよ、それ」
「まだ何も言ってないんだけど」
僕が矢継ぎ早に沢田さんの言葉を遮るので、彼女は苦々しい顔をした。
隆二はそんなやり取りを見て、手を叩いて笑った。
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