第25話
僕らはその後、水族館から徒歩三分もかからない場所にある道の駅に行く。この市の土産物は大抵ここで購入可能であり、観光客の多くが寄る場所である。
というか、景色を転写したジグソーパズルとかあるけど、こういう品物って絶対買わない方がいいよな。その場では何となく欲しいと思うけど、帰ってくるとどうしてこんなものに金を使ったんだろうみたいな虚無感が湧く。
僕も修学旅行の時に買った東京タワーの置物とか結果的に邪魔になったし、旅行の土産物はやはり食い物を買うに限る。
ここの近くには温泉もあり、海を眺めながらゆっくり浸かるのも乙なものである。昔は父と行ったものだが、最近はめっきり行かなくなってしまった。
小腹が空いてきたので、僕らは休憩がてら道の駅の中にあるカフェに入る。
「ぐっ……やばい、ここはまずい……」
「何で?」
「こんなところに入ったら、ホワイトライトが相対的にダメなのが分かってしまう」
「別に今更がっかりしたりしないよ……」
入店すると、全面ガラス張りの窓からの景色が最高だった。
太陽に煌めく海原は美しく壮大である。
店内はティータイムの時間にしてはそれなりの混雑具合であり、テーブル席は埋まっていた。なので、僕らは眼前に広がる海を見渡せるカウンター席に通された。
「あぁ……僕、ここで働きたいな……楽しいだろうなぁ……」
窓から陽光を浴びて、僕の意識は遠くなっていく。
「気を確かに、石野君」
「あぁ、申し訳ございません……いらっしゃいませ。ご注文はお決まりになられましたか?」
「従業員になってる錯覚を見てる!? 石野君はここに勤めてないよー!」
泉さんは僕の肩を揺する。
「あはは、冗談冗談、マイケル・ジャクソン」
「そこはジョーダンじゃないんだ」
泉さんはフッと笑い出した。いやだってバスケ知らんし。ジネディーヌ・ジダンだとリズム合わないし。
僕はブレンドコーヒーとチョコレートケーキ、泉さんはカフェオレとチーズケーキを頼んだ。
五分とかからずに、商品が運ばれてくる。
僕はまず、ブレンドコーヒー匂いを確かめる。鼻にふんわりと香るのは甘みだ。どちらかというと酸味が強いかもしれない。
啜る。口の中で残留させ、舌で味わいながらゆっくりと飲み込む。残った温かさと後味が徐々に引いていく。
「……負けた」
「何と戦ってるの……」
僕が頭を抱えるのを見て、泉さんは苦笑した。
僕の作るものよりも口当たりがかなりよい。温度も熱すぎず、一口目から飲み易い。
「うん、このカフェオレ、甘くて美味しい。石野君のよりも」
「ごめんなさい」
「石野君って、ブレンドコーヒー以外はダメだよね」
「すみません」
「あ、あの男性店員さん、かっこいいな」
「ちょっと、僕の脳を破壊しようとしてる?」
泉さんはクスクスと笑って海を眺めた。彼女の手で転がされているのが、少し楽しい。
「……ねぇ、石野君はさ……将来どうしたいとか、考えてる?」
泉さんが海を眺めたまま、ふとそんなことを訊く。その目は渚を駆け抜けるカモメを捉えていた。鳥たちはどこに行くでもなく上空を漂っている。
「私はね、変わってないよ。ううん……変わったけど、変わってない」
泉さんは、極めて真剣な眼差しと口調であった。
「夢は大きく、代表に選ばれてワールドカップに出ることだけど……それが叶わなくても、プロになれなくてもサッカーは続けたいし、大学に行って勉強もしたいし、やりたいことは、数え切れないくらい、いっぱいある」
泉さんの瞳はここではなく、もっと遠く、先を見つめている。
自信に満ち溢れ、穢れのない真っ黒な瞳だ。
「石野君は、今は、考えてる? そういうこと」
泉さんは僕の方を向いて、小首を傾げる。
「…………特に」
僕はそっぽを向いて、そう答える他なかった。
小、中学生の頃はただサッカーだけに邁進していた。
サッカーをしなくなってからは、日々をずっと何となく過ごしていた。
学校で出された課題をやって、店番をして、空いた時間に本を読んで、ずっと一人で考えもなく日々を過ごし、二年以上が経った。
そこに、果たして意味はあっただろうか。
そもそも僕は何のために生きているのだろうか。何を求めて生きているのだろうか。
金か、名誉か、女か……その、どれでもない。
ただ息ができる状態だから、息をしているに過ぎない。そして、そうし続ける中でどうしてもやらなければならないことが目の前に現れる。その課題を継続的に取り組むのだ。
人生は作業だ。目の前に出されたものを無抵抗で、無気力に行う作業である。
客が来店したらいらっしゃいませと挨拶し、注文を取ったら丁寧に頼まれたものを持っていき、帰る際は最大限の感謝を伝えてまた来るように願う。それは僕にとって、ベルトコンベアで流れて来た弁当箱に、米を詰める仕事と変わりない。マニュアルを頭の中で反芻し、その場面が来たら適切に行動するだけだ。
高校だって、卒業資格を得るために通うだけである。平日に授業があるからそれに出て、行事に参加しなければいけいから参加して、宿題を提出しなければならないからやるだけだ。
では、それがなくなったら?
学校を卒業して課題を与えられなくなったら?
もし店を畳んだら?
目の前に課題を出されることなくなったら、一体、僕に何が残るのだろうか。
僕は、何でもない人間なのではないか。
特技もなく、技能もなく、能力もなく、夢も希望も金もない。
僕は一体、何なのだろう。
僕は、社会に於いて、何かの役割を担うに足る人物であるのか。
ふと、停止させていた思考が、泉さんの問いで動き出す。
自覚したくないことが頭の中に湧き上がり、脳みそを四方八方から刺激する。
「……私は、頑張りたいよ。できることは、全部。何でも。まあ、勉強はあれかもだけど」
泉さんは照れくさそうに微笑んで、
「私は、自分の力を信じているからね」
と、はっきりと口にした。
僕は泉さんの表情を見て、その言葉を聞いて、何て自分が愚かで無力で、稚拙な存在なんだと強く自覚させられる。
そう感じた刹那、ふと思う。
僕は、泉さんの側にいてもよいのか。
こんな人間が、力強く美しく、優雅に咲く花のような泉さんの側にいてもいいのだろうか。
何も持たない僕は、泉さんの隣を歩いてもいいのか。
何を浮かれていたのだろう。ダメに決まっているじゃないか。
僕のような愚鈍な人間が、泉さんの側にいてはいけないに決まっているだろう。
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