第24話
泉さんとは
僕の家からは徒歩十分のところにあるので、本当に歩いてすぐである。
だから、待ち合わせ場所は、僕の家の近くのバス停となった。
そして当日。
昼食を食べ終えた後、僕はいつも以上にどんな服を着るかに悩み、いつも以上に髪型のセットに時間をかけた。
普段は制服以外で出歩くことはないし、身だしなみに注意することはないのだが、今日ばかりは流石に気を遣った。
「よし」
僕はそう鏡の前で呟き、財布とスマホを持って家を出る。店の手伝いは頼まなくとも、母がいらないと申し出た。本当に頼りになる母である。
坂を下ってすぐのところにあるバス停に行く。ただ今回はバスに乗るためではなく、泉さんを迎えるためだ。
僕は、人を迎えにくるバスに乗っている人を迎えるために待つ。頭が混乱しそう。
泉さんからニ十分前にバスに乗ったとメッセージが来たので、恐らくそろそろ到着する頃合いだろう。
すると、バスがのろのろとやって来て、ゆっくりと停車した。
そして、女の子が下車する。このバス停で降りたのは、その一人だけであった。
言うまでもなく、泉さんだった。
黒色のキャスケットを被った泉さんは、平時と異なり長髪を二つに結んで肩から前に流していた。その二本の髪を束ねている雪の髪留めは、清楚な彼女によく似合う。
洋装は白を基調としたワンピースであり、袖からは細い腕が覗き、スカートの裾からは非常にしなやかな両足が伸びている。
僕は初めて泉さんの私服を見た。中学時代も、高校生の今も、ずっと制服かユニフォームくらいしかお目にかかれなかった。子供っぽくもなく、かといって大人びてもいない調和のとれたファッションは、彼女のイメージにぴったりであった。
「ごめん、待った?」
泉さんはとてとてとサンダルを鳴らして僕の元に来る。
「今来たところだよ」
「今来たところの信憑性が高いね」
泉さんは坂の上にあるホワイトライトを横目に見る。
「まあ、本当に今出たからね」
ここに来るまで二分もかかっていない。バスの到着時刻も分かっているので、僕はギリギリまで家にいたのだ。
「それじゃ、行こうか。エスコート、よろしくお願いします」
「かしこまりました!」
僕は泉さんを連れ立って水族館へと歩を進める。
「あの水族館、泉さんは来たことある?」
「小学校の遠足で行く予定だったんだよね。でも、当日熱出しちゃって。何となく足を運ぶ機会がなくて、一回も行ったことないなー。家族旅行で別の水族館は、行ったことあるのに」
「分かる。地元ほどこういう施設って行かないよね」
そうして他愛のない話をしていると、約十分でそこに到達する。
高校生のチケットを購入し、若干色が剥げているペンギンとアザラシのオブジェが引っ付いている鉄柵の扉を抜ける。
僕らは古臭くて塗装が剥げかけのティーカップ、テレビCMで見るような立派なものとはかけ離れた小さな観覧車、非常に遅速なメリーゴーランドの横を抜けて本館へと向かう。
来てから言うのも何だが、本当にこぢんまりとしているし、全体的に古めかしい。片田舎の、しかも僕の両親が子供の頃からあるくらいのかなり古い水族館である。正直、デートで来る場所としては物足りない。
「何と言うか、こんな場所でよかったの?」
僕は思わず隣を歩く泉さんに問うてしまった。禁句なのは分かっているが、彼女が楽しめるか心配になったからだ。
「どこに行くかより、誰と行くかの方が、私は大事かな」
泉さんは僕を見上げて素っ気なく言う。
「申し訳ない。そうだね、そういうものだよね」
僕はそんな大事なことを失念していたことを少々恥じた。
本館に入ると、大きな円柱のケースに、ぎっしりと魚たちが詰まっていて、自由気ままに泳いでいるのが見えた。
天井には等身大の鯨の模型が吊るされており、その大きさに圧倒される。
暖流系や寒流系、沿岸系の魚にそれぞれ分かれており、僕らはそれを順に見ていく。
泉さんは物珍しそうに魚やカニ、海老なんかを凝視している。僕は最近カニを食べてないから今度の誕生日に頼もうかとか、展示されていないのにウニが食いたいなどとよからぬ考えばかりが浮かぶ。
魚の名前と説明文を読み、それに対する知識を深めようと試みるが、隣にいる泉さんの顔ばかりを見てしまう。というか、そんなもの目にも入れてない。
「ん? どうしたの?」
「あ、いや、そんな生態があるんだなと、感心してて」
もちろん嘘である。本当は泉さんにしか関心がない。ついでにこのデートも非常に歓心だ。
「……嘘だ。カニ、久しぶりに食べたいなとか思ってたでしょ」
「なぜ分かった」
「私も思ってるから」
二人で見つめ合って、プッと吹き出した。魚に特段興味のない僕らが思うことなんて、その程度のことである。
その後、二階へと上がって熱帯系の魚を一通り見てから、クジラについての詳しく書いてあるコーナーに行く。あんなに体も口もデカいのに、プランクトンしか食えないって、大分コスパ悪いよなと、そんな感想が浮かぶ。
半分以上がスタッフ専用のバックヤードの狭い二階から、また一階に戻る。
部屋の奥に行き、クラゲを観察する。クラゲコーナーはこの水族館で最も人気らしく、見物客はみな、一際じっくり眺めていた。
水槽を踊るように浮かぶクラゲは、優美で可愛らしい。
でも、こいつら毒持ってる種類のやついるんだよな。可愛いクラゲには毒がある。今度、綺麗な薔薇にはとげがある的な意味で使ってみよう。
「浮いてるねー」
「そうだな」
「あれ、石野君みたいじゃない? くしゃっとしてる髪の感じがそっくり」
「僕も教室じゃクラゲみたいなもんだしな」
「浮いてるの意味が違うよ……」
泉さんは若干哀れみの目で僕を見つめた。少し申し訳ない気持ちになる。
「あっ、ねぇ、あれ、やってみない?」
泉さんが指差したのは、フィッシュセラピーのブースであった。どうやら体験ができるようで、子供が破顔して楽しんでいる様子が見えた。
「いいね、やってみようか」
僕らは係のお兄さんの解説を受けながら、腕一本分だけが入る穴に手を入れる。
「ひゃっ」
泉さんが手を入れると、ドクターフィッシュは一気に群れで彼女の腕に食い付いた。
「あー、擽ったいけど、気持ちいい」
泉さんはそんな感想を漏らすと、魚たちは彼女の手からすぐに離れていった。
というか、僕もまだ泉さんの手に触れたことないんですけど。ドクターフィッシュに先越されるとか、ちょっと悔しいんですけど。
そうして本館を出てから、外で行われていたペンギンの散歩イベントを観察する。
ペンギンたちは小さな翼を広げ、よちよちと短い足を動かして、懸命に前へと進んでいる。
その光景は微笑ましくて、眺めているだけでほんの少し幸せな気持ちになる。
「ふふ、あのペンギン、石野君みたい。決勝戦の前半の時、あんな感じだった」
泉さんが指さした先には、団体に群れずにポツンと佇んでいるペンギンがいた。前に進むペンギンから遅れを取っており、飼育員から急かされている。
「まあ、団体行動の時とかはよくそうするね。つるむ相手がいないから、後方に待機して周りの様子を窺って、適度な距離を保つ」
「だから何でネガティブシンキングになっちゃうの……」
「別にそんなつもりはないのだが……」
泉さんは呆れた様子で、眉間を指で摘まんだ。
僕はボッチの自虐ネタは封印しようと、心に誓った。
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