第23話
「そう言えば……来週は部活の日数減るんだよね。それに、土日どっちも休み」
泉さんが思い出したように、ぼそりとそんなことを呟いた。
「へぇ、優勝記念的な?」
「いや、インターハイのために合宿とかするから、今のうちに休んどけ系」
「あー、そういうやつか」
僕は泉さんの思いやられた顔を見て、思わず苦笑した。あくまで予選の決勝を勝っただけであり、完全な目標の達成ではないのだ。むしろ全国制覇のために更なる練習を積む必要がある。
「それで、来週は……オフみたいな感じ」
泉さんは、その後も何か言いたげに口をもごもごとさせるが、言葉を紡ぐことはない。
「ふーん、よかったじゃないか、理解のある監督で。僕がやってた時は休みとかなかったな」
小、中学生の頃の監督は脳筋タイプだった。だから、そうして休みを与えてもらえるのは何とも羨ましい。
「それでさ……鈴は、来週の日曜、彼氏とデートに行くんだって」
「あー、隆二と沢田さん、そういう関係だしな」
「知ってるの?」
泉さんは目を丸くする。そう言えば、彼女に僕と隆二の関係を言っていなかったことを思い出す。
「隆二は、友人? みたいなもんかな? 小、中学生の時、同じ学校で、サッカークラブも一緒だった。てか、あいつ幸せアピールしてくるから若干ウザいんだよな」
確かに沢田さんは、スタイルがよくてクールっぽい印象があるけど、底抜けな明るさを兼ね備えているから男にも女にもモテるだろう。
そんな沢田さんが自分を好いているという事実が自信を持たせるし、誇りになるのだろう。
「そっか、そう言えば決勝戦の時、中川君と一緒にいたね……んで、羨ましいよね、あの二人」
「そうか? うん、まあ、そうか」
同じ趣味を持つ者同士、互いに恋い慕い合っているのは微笑ましいとは感じる。
「それでさ、私、休日は、暇なんだよね……ほら、オフだから、運動するのも、あれじゃん?」
あれ、とはつまりオーバートレーニングがよくないという意味だろう。
スポーツに於いては、単に練習するばかりでは怪我のリスクがあるので、体をきっちり休ませることも重要なトレーニングの一つである。泉さんの言わんとしていることはよく分かる。
「そうだな。休むことは大事なことだ」
「うん、そう……で、石野君も、暇じゃん?」
「いや暇じゃないし。店番あるし」
確かに今も客が全くいないのでこうして話をしているが、一応これでも仕事はあるのだ。
「あ、店番……あ、そっか……うん……そうだよね」
泉さんはシュンとしょげた様子で、肩を丸めて下を向く。
僕はなぜ泉さんがしょげるのか分からず、途方に暮れる。
「ちょっと通りますよー」
すると、母がレジに行くために僕の後ろを通る。
母は客の会計を済ませると、レジから一万円を抜き出した。
カツカツと歩いてくると、ぺちんと僕の頭を叩き、一万円札を寄越す。
「いて」
そうして僕の肩を叩き、髪を靡かせて厨房の方へと行ってしまった。
「何なんだ、一体……?」
僕は母の行動の意図が分からず、考えを巡らせる。
なぜこのタイミングで母が僕に一万円を渡すのか。小遣いの前払いだろうか。
いや、母はそんなことをするような優しい性格ではない。小遣いの前借りは決して許さないタイプだ。とすると、何らかの意図があって僕に渡したに違いない。
母は僕らの会話を小耳に挟むくらいはしているはずだ。いや、僕の恋路が気になって仕方ない母が、会話を盗み聞きしないはずがない。仕事がてらきっちり聞いているはずだ。というより会話の聞き耳がてら仕事をしているはずだ。
僕は、先ほどの泉さんの発言を最初から思い出す。
泉さんは今週休暇がもらえること、沢田さんが隆二とデートに行くことを僕に伝えた。それを羨ましいと言い、自分もサッカーがないと暇だと言う。そして僕に暇かと問うた。厳密には問うてないが、そう仮定して問題ないだろう。そして、彼女は会話を打ち切りしょげている。
「あぁ……」
そこで、僕は一つの結論に至る。
だが、その予測が外れていた場合、何だか自意識過剰な人間に思えて気恥ずかしい。
しかし、もし僕の考えが正しいならば、母がこの軍資金を渡したのが頷ける。
「泉さん……遊びに行きたいの? 僕と?」
僕は熱いスープをゆっくり啜るような慎重さで、泉さんに訊いた。流石にデートという単語を使うのは憚られたので、遊びに行くと濁して。
泉さんの頬と耳は徐々に、苺のように真っ赤に染まる。両手で栗色の髪を忙しなく梳き、こくこくと首を縦に動かした。どうやら正解らしい。
「……でも、大丈夫? 家でリラックスしなくても?」
泉さんはこくこくと首を縦に動かす。
まあ、泉さんから誘っているのだから、その辺りの心配はしなくても大丈夫なのか。
「分かった。じゃあ、母さんも軍資金くれたし、一緒に、遊びに行こうか」
「……うん、ありがと」
泉さんは嬉しそうに微笑んだ。
「どこに行くかまで相談したいけど……時間がないな。後でメッセージ、送ってくれ」
ここから駅に向かうバスは十九時四十分のものが最終である。
時計を見ると、十九時三十分を示していた。残念ながら行き先を議論する時間はない。
「了解しました!」
泉さんはビシッと愛らしく敬礼する。にんまりと浮かべた笑みが、その喜びをはっきりと表していた。
「じゃ、また、連絡するね。ごちそうさまでした」
「あぁ、助かる。またね」
泉さんは席を立ち、手を振った。僕もそれに振り返して、彼女の背中を見送った。
また、という単語を聞いて、思わず笑みがこぼれた。最近、その言葉を聞くことが多くなった気がする。それが自然に口から出ることが、何だかおかしくて堪らなかった。
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