第17話
決勝戦、当日。
僕は十二時に家を出て、バスで最寄り駅まで向かう。
そこから降りて五分歩けば、試合の行われる会場に到着する。
会場には家族の勇姿をこの目で確かめようと、保護者や子供たちが多く来場しており、非常に和やかな雰囲気であった。海がすぐ近くにあるので、ほんのりと潮の香りがした。
スタジアムに入ると、丁度ピッチに選手たちが入場する。
真っ白なユニフォームの大栄高校と、真っ赤なユニフォームの文清学園だ。
彼女らは芝生の上に立ち、玉の汗が太陽の光を浴びて爛々と輝いている。
僕は観客席の一番上へと行き、鉄柵に寄りかかった。
陸上トラックがあるのでピッチからは少し遠いが、試合を観戦する上で問題はない。全体がよく見渡せるので、どういう流れで試合が行われているか把握し易い。
インターハイの地区予選決勝ではあるが、我が校の応援は自由参加である。もし泉さんと再会していなかったら、僕はこの場にいなかっただろう。学校によっては応援を強制するところもあるらしく、スポーツに興味のない人が駆り出されるのは可哀そうだとも思う。
今日は快晴の空模様で、風もそんなに強くない。試合を行うには最高のコンディションであった。
握手を交わした後、選手たちは自分たちのエンドに向かう。
円陣を組んで、大きな声を上げて気合いを入れる。両チームの応援団が、チームのチャントを高らかに歌う。会場の熱気が少しずつ上がっていく。
この高揚感、はっきりと覚えている。期待や緊張や不安の入り混じったあそこにしかない感覚。遠くに聞こえる歓声は、時にプレッシャーになり、時に力になる。
僕はそれに懐かしさと、もう二度と踏むことのない芝の柔らかな感触を思い出して、少しだけ寂しさが湧き上がった。
各々がポジションについた後、女性審判の笛が鳴らされる。
十二時半きっかりに、三十五分ハーフの決勝戦は、大栄高校のボールで始まった。
大栄高校は、以前観戦した練習試合の後半のフォーメーションだった。
ディフェンスライン四人、アンカー一人、インサイドハーフ二人、そして前線スリートップである。泉さんはインサイドハーフ左に位置し、沢田さんがセンターFWにいるのも同様だ。
対する文清学園は横並びで4―4―2のスタイルだった。がっちりと統率の取れた守備陣形が組まれ、中央を厚く守るタイプであった。
文清学園は最終ラインを低く保ち、サイドを殆どがら空きの状態にする。恐らく、大栄高校にサイドからだけで攻めさせようという考えだろう。
準決勝は3―4―3、もしくは4―3―3と攻撃的な陣形を使い分けていたが、大栄高校の力量を分かっているのか、守備的な戦法にシフトしていた。
文清学園の戦術は、非常に理に適っている。
大栄高校のキーマンは、泉さんと沢田さんの二年生コンビである。
沢田さんには徹底的なマークをして、決してボールを渡らせようとしない。
泉さんに対しては高い位置にいる際にしっかりと寄せ、後方にいる時だけボールを持たせるように仕向けている。
泉さんに敵陣の深いところで攻撃に参加されると、相手としては非常に対応し難い。なので圧倒的な個の力を持つ二人には、絶対に自由にプレーをさせないという意思が見て取れる。
大栄高校は試合が経過するにつれて最終ラインが上がる。現在はセンターライン付近にCBの選手がいる。
これはこのチームの癖のようなものであった。前半の冒頭からアグレッシブに圧力をかける大栄高校は、どうしても全体が前がかりになり易い。そうなれば背後には広大なスペースができて、相手のFWに裏へ抜けだされるとピンチを招きかねない。
もちろん、そこはやっている本人たちも分かっていてプレーをしているだろう。多大なリスクをかけてでも、点を取りに行くスタイルは悪いことではない。
ゆったりとした立ち上がりを見せ、お互い慎重にプレーを続けていた中、前半の十分で遂に最初の決定機が訪れる。
「ゆっきー!」
沢田さんの大きな声が響く。彼女は敵のゴールからかなり低い位置まで降りて、ボールをもらいに来る。試合が始まってからボールを殆ど触っていないので、痺れを切らしたのだろう。
泉さんは沢田さんにボールを渡し、前線に上がっていく。沢田さんも一度サイドの7番にボールを預け、同じようにペナルティエリアに向かっていく。
マークの受け渡しがズレた相手は後手になり、大栄高校の主軸である左サイドからの攻撃がスタートする。
7番は中央へとカットインしていき、ペナルティエリア近くで待ち構えていた泉さんにグラウンダーでクロスを送る。
泉さんは右足ですかさずシュートを打ったが、ポストの左隅に外れていった。
ゴールこそ奪えなかったものの、膠着した状態の中でシュートまでいけたことはよかったと感じる。特に、今の攻撃は泉さんと沢田さんが大きく関わっている。文清学園としては二人への警戒心が一層増したことだろう。
それは大栄高校にとってありがたいことだ。二人にマークが集中すれば、他の選手がフリーになる機会が必然的に増加する。サッカーは十一人でやるスポーツであり、人数を活かすことが重要なのは言うまでもない。
文清学園は先刻の攻撃を受けて、引き気味に戦うのはまずいと考えたのか、最終ラインを高く保つようになる。
序盤から大栄高校の高くなったラインの裏を取る戦術を取っていたが、大栄高校のアンカーの素早いインターセプトを掻い潜れず、CBの高い壁を乗り越えることもできなかった。
だから文清学園は、ロングボールを中心とした攻撃をやめ、繋ぐサッカーにシフトした。
どの試合でもそうだが、サッカーにでは先制点が大きな意味を持つ。
特に、今日のような決勝戦は必ずシビアな戦いになる。緊張から本来の力が出せない場合もあるし、平時の試合よりも慎重に戦うので、ゴールチャンスは多くない。
試合を有利に進めるだけでなく、気持ちに余裕を持たせる意味でも、先制点は是が非でも欲しいのだ。
文清学園はそのためか、フォーメーションを変化させた。ツートップをやめて、片方の選手がトップ下気味になり、両サイドの選手が高い位置を取るようになった。
大栄高校の対策で陣形を変えていたが、不慣れな戦術よりも本来の形に戻した方がいいと判断したのだろう。
だが、大栄高校としては、その方が好都合だった。
前半十六分、大栄高校の左サイドバックの2番が、文清学園右サイドの17番との一対一を制してボールを奪い取り、近くにいた泉さんに繋ぐ。
文清学園のボランチの8番がすかさず寄せ、一対一の場面になる。
しかし、泉さんは全くものともせず、一度跨ぎを入れてから加速する。
そして、相手の股間をあっさりと抜き、敵陣へとドリブルしていく。
観客席から歓声が上がった。その一瞬の足さばきに、試合を眺めている誰もが見惚れた。
まるで魔法にかけられたようだった。
小柄な体格に似合わない力強い走り。ピッチで靡く明るい栗毛。大きな瞳はゴールだけを見て輝いている。それらは僕たちの心を掴むのに十分なものだった。
そしてそれは、僕が憧れ、渇望していた姿そのものであった。
泉さんはCBの背後を走り出す沢田さんに、鋭いスルーパスを送った。
ペナルティアーク付近で、沢田さんはピタリとボールをトラップする。
GKは取れると判断したのか、ボールにかなり近い距離まで接近している。
沢田さんはGKの位置を確認し、左足を思い切り振り抜いた。
ボールは相手GKの開いていた股下を通る。
低く打たれたボールはネットへと一直線に向かっていき、パシッと乾いた音を響かせた。
「いっ、よっしゃあ!」
沢田さんは男勝りな低い声で叫び、右拳を天空に振った。
審判がゴールを確定させる合図の笛を吹く。
快晴の空の下、大栄高校応援団の黄色い歓声と、保護者の拍手が沸き起こる。
沢田さんはサムズアップをして、泉さんに駆け寄る。
沢田さんと泉さんはチームメイトにもみくちゃにされ、特に泉さんは髪の毛をぼさぼさにされていた。億劫そうにヘアバンドを付け直して下を向いた顔からは、喜びが滲み出ていた。
僕も一連の美しい流れに拍手を送った。もし僕が文清学園の選手だったならば、ゴールを取られたことよりも、二回も股を抜かれたことの方ががっかりするだろう。
ゴールは取り返そうと思えば取り返せる。けれど、スキルは一過性のものではない。相手にそういう絶対的な差を感じてしまうと、途端にモチベーションが低下する。
だが、文清学園はそんなやわな連中ではなかった。今もキャプテンを中心に、奮起しようと声をかけ合っている。まだまだ前半も序盤であるから、それほど気落ちはしていないようだ。
両チームのチャントが響く中、試合が再開する。
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