第12話
彼の身長はかなり伸び、恐らく百八十センチは確実に超えている。中学時代は辛うじて幼さの影が残っていたが、その面持ちは大分変化していた。
ツーブロックの黒の短髪、太い眉に一重にしては大きい瞳、シュッとしたシャープな顔の輪郭が凛々しい。体操服から盛り上がった胸筋と、鍛え上げられた太くて長い足が男としての逞しさを感じさせる。
「おい! 隆二、何やってんだ?」
「悪い! 先行っててくれ!」
隆二は友人と思われる男から呼びかけられたが、そう促してから僕の隣に座した。
「大栄に入学したんだな……石野」
「それはこっちの台詞だよ……中川」
隆二が僕のことを石野と呼んだので、僕もそれに合わせて彼を名字で呼んだ。
小、中学生時代は下の名前で呼び合っていた僕らだが、もうそうした間柄ではない。その精神的な距離に、言葉にし難い寂寥感を覚えた。
「というか、青森に行ったんじゃなかったのか?」
隆二、もとい中川は、小学校の頃は能力が高い方ではなかったが、中学二年の時には上背が百七十センチを超え、サッカーのレベルでも一目置かれるほどになった。僕がまだサッカーをしていた頃、彼は教師から青森にある中高一貫のサッカー強豪校に、高校からの編入を勧められていたと言っていた。
「ここのサッカー部はそれなりに強いし、できれば高校までは親元離れたくないしな。サッカーに打ち込むのもいいかもだが、俺は普通に高校生したい。石野、何組にいるんだ?」
「三組」
「そっか。俺は五組」
中川はグラウンドを見つめながら苦笑した。
大栄高校の男子サッカー部は、インターハイや冬の選手権の地区予選を突破し、全国に行ったこともある。ただ、近年は勉強第一の校風もあってか、全国には進めていない。
また、偏差値も六十程度はあるので、大学への進学を加味してここに入学する人も多い。中川がこの高校に入学することは、それほどおかしな話ではない。
「てか、何で横に座る? 仲のいいお友達と、一緒にいればいいじゃないか」
「仲のよくない友人といるのも、また一興だろう?」
「それ友人じゃないだろ」
僕が呆れたように言うと、中川はフッと笑った。
彼の体操着には、恐らく練習に邁進していたのだろう、これでもかというほど土が付着していた。
半袖の裾からは太い腕が伸びており、腋窩から黒々としたものが覗いていた。寒くないのだろうかと心配になる薄着である。
「んで、マジでどうしてここにいるんだ? サッカー、またやる気になったのか?」
中川はグラウンドに散らばっていく女子たちを見ながら問うた。
「まさか、そんな訳ないだろう」
僕はサンドウィッチを食べ終えたので、リュックに入れ物を片付ける。
両チームは円陣を組んで、試合の開始前と同じようにハイタッチをした。
「じゃあ、何でここにいる? あ、好きな女でもいるのか?」
中川はからかうように歯を見せて笑う。
「そんなんじゃ、ない。ただ……何となくだ」
僕はそう言葉を濁した。泉さんと知り合いで、彼女に誘われたから行こうと思ったと言いたくなかったし、何となく泉さんと中川を近づけたくない、ある種の独占欲のようなものがあった。付き合っている訳でもないのに、そんな感情が湧くのはおかしなことだが。
「そうか……ま、仮に好きなのが鈴……二年の沢田鈴。あの一番前にいる背の高い子。あれは無理だから諦めろ」
中川は沢田さんを指差すと同時に、後半のキックオフの笛が鳴らされた。
僕は知り合いの名が中川の口から出たことに驚きを隠せない。
「どうして?」
「もう俺のだから」
僕が理由を問うと、中川は自慢げに微笑んでいた。
僕はその中川の表情を見て、眉間に皺を寄せる。ニヤリと笑う彼の顔を、右拳で思い切り殴打してやりたい気持ちに駆られる。
だが、まさか沢田さんの言っていた彼氏が中川だとは思いもしなかった。僕が思っている以上に世間は狭いようだ。
「そうか。願っているよ」
「何を? 長く続くことをか? ならありがとう」
「早く別れることに決まってんだろ」
「やっぱ今の撤回」
僕らはそんな他愛のない会話をしながら、試合を観戦する。後半も怒涛のプレスをかける大栄高校に、相手チームは最終ラインを上げようにも上げられない。
僕は泉さんの姿を目で追っていた。後半は中盤の陣形を少し変え、アンカー一人、インサイドハーフ二人にしているようだった。泉さんはインサイドハーフの左にいた。
「お前、ずっと泉さんのこと見てるな。好きなのか?」
「何でそんな思考に繋がる……プレーが気になるだけだよ」
あながち間違いではないかもしれないが、今は少なくともプレーが気になるだけだ。
「あぁ……似てるしな、石野と」
何が似ているかは、中川が言わずとも自覚していた。プレースタイルが、だ。
「泉さん、上手いよな。ちらっと練習見たことあるけどさ。このチームだと群を抜いてる。パス、ドリブル、トラップ、シュート……諸々やばいね。背がもう少しあればよかったがな……」
僕も中川と全く同じ感想だった。泉さんの技術は凄まじい。それに加えてファンタジスタ気質であるから、彼女がボールを持つとわくわくするし、自然と目が釘付けになる。
「じゃ、俺、そろそろ行くわ」
「あぁ」
中川はゆっくりと立ち上がる。
「……ごめんな」
僕はピッチから目を離し、中川を見上げた。
中川の顔には、無理やり作った不自然な笑みが張り付いていた。
「あぁ、後半が既に始まってるのに、非常に観戦の邪魔だった」
「そうか。すまない……ってそのことじゃねぇけど……まあ、それでいいや」
「じゃあな、お猿さん」
「何じゃそりゃ?」
「お前の愛しの彼女に訊け」
中川は一瞬訝し気な顔をしたが、特段気にした様子はなく、足早に立ち去った。
僕は遠ざかる中川の背中を黙って見つめた。彼と会話をするのはサッカーを辞めてから初めてだったので、少々緊張した。
そして、彼の謝罪の意味するところを察せないほど、僕は鈍感ではなかった。
中川も結果的に、あの練習試合の後、僕に声をかけなかった。彼が当時何を思っていたのか知る由もないが、他の選手と同じように、少なからず不満はあっただろう。
それに、中川の謝罪は、もう何の意味もない。
それは今されたところで単に傷を抉られるだけで、彼の自己満足にしかならないのだ。
そうして傷心していると、グラウンドからまた歓声が上がった。
振り向くと、ゴールの中でボールがバウンドしていた。
泉さんが両拳を掲げていた。
バイタルエリアにいる彼女にチームメイトが駆け寄っていく。「今のミドルやばっ!」と、誰かが叫んだ。
泉さんはチームメイトとハイタッチを交わし、満面の笑みを浮かべていた。
どうやら泉さんがミドルシュートを相手のゴールネットに突き刺して、得点をしたようであった。
僕はがっくりと項垂れた。泉さんは有言実行を果たした。そのため、これからは僕の小遣いから彼女の注文の代金が支払われる。
でも同時に、自然と口端が上がっていた。
天を仰いで長嘆する。名前も知らない鳥が鳴き声を上げた。
それは僕を馬鹿にしたものだろうか、祝福するものだろうか。
恐らくその両方だろう。
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