第11話

 翌日。僕はいつも通り六時に起床した。

 七時からのモーニングタイムだけ店の手伝いをし、十一時を少し過ぎたあたりで家を出る。

 自宅の最寄り駅までバスで約ニ十分揺られ、そこから電車に乗って学校の最寄り駅までおよそ十分。降りたら徒歩十分で大栄高校に到着する。

 休日の学校は、平日より圧倒的に静かで人がいないから、何だか違う世界に来てしまったような不思議な感じがする。

 グラウンドの方へ向かうと、女子たちが監督を中心に集まっているのが見えた。白のユニフォームと、青のユニフォームの二チームだ。

 どうやら両チームともウォームアップを終えているようで、最終チェックをして、これから試合に臨むところなのだろう。

 白色のユニフォームが大栄高校だ。全身真っ白のそれには、黒色の背番号が張り付けられており、対照的でよく映える。

 僕はその中に、泉さんを発見した。短い黒髪の女子が多い故に、長髪で栗毛の彼女はかなり目立つ。ヘアバンドを付けて前髪を分けており、後ろの髪は低めのポニーテールにしていた。彼女は真剣に男性監督の話を聞き、仕切りに頷いていた。

 その近くには沢田さんの姿もあった。周りの女子よりずっと背の高い彼女は、チームで一際異彩を放っている。

 僕は校庭から少し離れた場所で、試合を観戦することにした。

 柔らかな芝生の上に腰を下ろす。ゴール裏ではなくタッチライン側なので、試合の状況も把握し易い。

 太陽が燦燦と地面を照りつけ、快晴の空模様が頭上にあった。気温も高過ぎず、湿気も少ない。サッカーをするには非常によいコンディションだ。

 選手たちが一列になってグラウンドに入場する。

 審判団、相手選手と握手を済ませ、ピッチへと広がっていく。

 円陣を組み、両チームから大きな声が上がった。各々がハイタッチを済ませ、自分のポジションへと散らばっていく。

 大栄高校はディフェンス四人、ボランチ二人、トップ下一人、そして前線に三人の4―2―1―3という攻撃的なフォーメーションであった。

 泉さんはトップ下の位置にいた。沢田さんはセンターFWのようだ。

 泉さんは14番、沢田さんは9番の背番号を付けていた。特に、沢田さんは二年生にもかかわらずエース番号を託されている。そのことから期待を寄せられていることが分かる。

 泉さんはなぜあの番号なのだろう。ヨハン・クライフへのリスペクトだろうか。

 ホイッスルの音が鳴り響き、沢田さんがボールを蹴って、試合が始まる。

 大栄高校は、開始早々最終ラインからゆったりとパスを繋いで、相手が前にプレスを掻い潜っていく。

 すると、前半五分頃、いきなりビッグチャンスが訪れた。

 泉さんが左サイドMFの7番にボールを渡すと、その選手が相手の右SBを軽やかに躱し、ペナルティボックスへ侵入していく。

 相手CBの5番が急いで寄せるが、7番は素早くグラウンダーでクロスを送る。

 中央で待ち構えていたのは沢田さんだった。

 相手のマークを外してフリーの状態になり、左足でダイレクトシュートを放つ。

 ゴール右隅に入ろうかというシュートは、GKが弾いて何とか防ぐ。

 そのこぼれ球に、すぐさま泉さんが走り込む。右足を強く振り、ゴールの左隅を狙う。

 コースは少し甘かったものの、体勢を立て直すのが遅れたGKは、それをセーブすることができなかった。

 泉さんは大事な先制点を、かなり早い時間にもぎ取った。

 チームメイトは歓声を上げて、泉さんの周りに駆け寄っていく。ハイタッチで祝福される泉さんは、面映ゆそうに下を向く。

「……上手いなぁ」

 僕は思わず呟いていた。最初に左サイドを駆け上がった7番の個人技はもちろんのこと、ゴール前でマークを難なく外してシュートまでいった沢田さんも、目を見張るものがあった。

 特筆すべきは泉さんだ。最初に7番にパスを出したのは彼女であった。その時はセンターライン付近にいたが、ゴールシーンではペナルティボックスの中に入っていた。仮に沢田さんがシュートを外したとしてもゴールに繋がるように、最初からこぼれ球を狙っていたのだ。

 その一連の考えられた動きに驚嘆した。後で調べて知ったことだが、大栄高校女子サッカー部は冬の選手権の常連らしい。今しがたのプレーからも、実力が確かなことは窺えた。

 試合はすぐに再開する。

 再開してすぐの前半七分頃、相手の前線への縦パスをボランチがカットし、泉さんにボールを預ける。

 泉さんのセンスは、一目見ただけで分かった。

 視野の広さ、プレーの判断力やスピード、それらはこのチームで群を抜いていた。

 もちろん、それに気付かない相手ではない。相手のボランチは、即座にボールを奪い取ろうと、猛然と泉さんにプレスをかける。

 しかし、泉さんはそれを分かっているのか、体を低くして素早くターンする。入れ替わられた相手選手は勢いを殺すことができず、呆然と見ることしかできない。

 息を呑んだ。栗毛を靡かせて駆ける彼女を見ていると、気負いなくピッチを駆け抜けていた自分の姿が、ふと思い起こされた。

 いつの間にか、泉さんの姿に、自分を重ねていた。

 大栄高校のカウンターになった。前線には三人の選手がいるが、相手ディフェンスは四人横一列に構えていて、数的同数の状態である。

(もし僕なら……)

 彼女の眼前の景色を、頭の中に想像する。

 先刻と同じように左サイドの選手にボールを渡し、自分はゴール前に走り込むのがいいだろう。だが、それは一点目と同じパターンであり、対策がされ易い。それは右サイドの選手に渡しても同じことだろう。

 しかし、沢田さんにパスを出そうにも、CBが二枚きっちり揃っている状態では、縦パスを入れるのも難しい。

 なのでこの場面は、味方全体の上がりを待った方が賢明だ。強豪校なだけあって、大栄高校は足元の上手い選手が多いし、数的優位を作った方がゴールに繋がる確率が高いだろう。

 だが、泉さんは走る速度を落とすことはなかった。

 それどころか、CBが構えている状態の狭いエリアにドリブルしていく。

(それはダメだ)

 僕は瞬時にそう思って、泉さんのプレーを嘲笑った。

 だが、僕がそうした瞬間、相手の5番が泉さんのボールを取ろうと寄せる。攻撃を遅らせるディレイディフェンスをやめて、ボールを奪いにきたのだ。

 その刹那、待っていましたとばかりに、泉さんはすかさず右足で縦パスを出す。

 そのボールを沢田さんがトラップすると、もう一方のCBを背負って泉さんに返す。ワンツーが上手く決まり、泉さんはディフェンスを置き去りにしてGKと一対一になった。

 そして、冷静に右足のインサイドでニアのコースを狙って優しくシュートを打つ。GKの左腕の下を抜けたボールは、ゴールの中に優しく吸い込まれた。

 泉さんは右拳を強く握り締めた。得点を取っても叫んだりはせず、すぐに自陣へとゆっくりと戻っていく。

 僕はその光景に瞠目する他ない。

 正直なところ、泉さんの先ほどのプレーはかなりリスクがあった。チーム全体の重心が前を向いている状態で、仮にCBの選手にボールを奪われたら、一転カウンターの恐れがあったからだ。

 だが泉さんは、そのリスクを背負ってでも賭けたのだ。

 自分の予測と技術、沢田さんがポストプレーでボールを戻してくれることを信じて。

 それらは絶対の自信と信頼があるからこそできるプレーだった。

 僕の頭の中に、もうそんなプレーは浮かばなかった。自分のミスから失点することに臆病になり、安全なプレーを選択していた。それが何となく悔しかった。

 結局、前半の終盤に沢田さんが右サイドのクロスからヘディングでゴールを決め、三対〇で試合を折り返した。

 ポゼッション率のデータがあるならば、かなりのパーセンテージになっていただろう。

 パスを繋いでゆっくりとゴール前に向かおうとした相手チームだったが、大栄高校の素早い前へのプレッシングに屈し、闇雲にロングボールを蹴り出すだけになっていた。

 相手チームは前線の選手に全くボールが渡らないので、結果的に大栄高校の波状攻撃になる。だが沢田さんと二人のサイドMFの決定力の低さもあり、三点しか差が開かなかった。

 泉さんはゴール前ではえげつないマンマークにあったので、試合の中盤以降は中々相手の深い位置でボールを触ることができなかった。

 後半も同様の状況が続くなら、ハットトリックは難しいだろう。

 僕は昼食用に用意したサンドウィッチを食べながら、両チームのベンチの様子を静かに見ていた。

 真剣な表情の中に、確かな余裕と喜びが垣間見える大栄高校の女子たち。なぜこうなってしまったのかと懊悩する相手チームの女子たち。モチベーションは雲泥の差であった。

 このままのペースでいけば、大栄高校の圧勝は自明の理である。まさか地区予選ベスト4のチームとここまで差があるとは思いもしなかった。泉さんが強気に出れた理由が納得できる。

 僕はしてやられたことを忌々し気に思いながら、保温水筒に入っているコーヒーを飲んでいると、

「お前……こんなところで何やってんだ?」

 突然、横から男が声をかけてくる。

「……久しぶりだな」

「……おう……本当に久しぶりだ」

 そう声をかけてきたのは、中学まで共にプレーしていた中川隆二であった。

 

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