第5話 過去編 中学二年の雄輝
試合当日、僕は先週言われた通りベンチスタートとなった。
寒空の下、僕は重ね着をして猫のように丸く縮こまり、出番を今か今かとわくわくした気持ちで待っていた。
父と母はわざわざ店を閉めて試合を観に行こうと計画していたらしいが、それをするのはリーグ戦や大会などにしてほしいと懇願した。二人は不服そうであったが、最終的には承諾してくれた。
午後二時、雪に覆われたピッチで、僕たちのボールで試合が開始する。三十分ハーフの二本勝負である。
前半開始早々、僕が怪我をしてから試合に出られるようになったボランチの
相手のディフェンスラインの背後に飛び出したFWの隆二は、左足で前方向にトラップする。
そのままトップスピードでドリブルし、
隆二はボールとGKの姿を視界に収め、右足のインサイドでシュートを打った。滑らかなカーブを描いた低弾道は、相手GKの左脇の下を抜ける。
ボールはそのままゴールに吸い込まれ、ネットに突き刺さった。
「よっしゃー!」
隆二が声高らかに叫び、右拳を振るうのを見て、僕の体は熱く燃え滾る。すぐにでも試合に出たいという欲求が駆り立てられる。
その後、前半の終了間際にチームはPKを獲得し、
同級生の加藤は、チームで隆二と共にツートップを組んでいる選手だ。気性が荒くて王様系である彼は、隆二と異なりチームよりも自分の活躍を常に優先するタイプである。
彼は冷静にボールをゴール右隅に決め、PKを成功させた。逆を取られて意気消沈するGKの顔を見ると、非常に喜ばしい気持ちになる。
相手はカウンターを主体とするチームだが、僕たちのチームはロングボールを入れられてもDFでキャプテンの
結果として、前半は二対〇で折り返し、上々の試合運びを見せた。三年生が抜けて随分と経つが、かなりよいチームに仕上がっている。
僕はかじかむ手を擦りながら、後半のためにウォームアップをする。
ボールを蹴る感触も悪くはない。少なくとも狙っていない方向へ蹴ってしまうほど下手にはなっていない。足に痛みを感じることは全くないし、いつでも出られる状態であった。
インターバルはすぐに終わり、レフェリーの笛が鳴らされて後半が開始した。
僕はグラウンドの端で準備運動を続けながら、戦況を静かに見守った。
後半は前半と一転して、膠着状態が続いた。
相手も格下とはいえど、前半を見て修正ができないほど愚かなチームではない。きちんとした守備ブロックを組み、決して中央を攻められないようにコンパクトな陣形を保っていた。
後半は打って変わって、隆二と加藤はあまりボールを触ることができなかった。加藤に至ってはその状況に対して、あからさまに苛立ちを見せていた。
両チームともこれといった決定機がなく、時間だけがただただ経過していた。
「石野、出るぞ」
監督は試合時間が残り五分というところで、僕を呼んだ。
(来た……)
胸に熱が迸る。約八ヶ月振りとなる試合、緊張をしないはずがなかった。
「このまま試合を終わらせにいこう」
「分かりました」
僕は監督からの指示を受け、一点目をアシストした稲田とハイタッチして、雪のピッチに足を踏み入れた。シャリシャリと優しい音が耳に優しく届く。
右側のタッチラインで、僕らのチームのスローインから試合が再開する。右SBの2番がポストプレーをしにきた加藤にボールを投げる。
だが加藤は相手選手を背負った状態になり、前を向くことができなかったので、一度ボールを下げる。
ボールをトラップした右サイドMFの7番は「一回作り直そう!」と叫び、僕にパスをした。
僕がボールを受けると、勢いよく相手選手が接近する。相手は残り五分という時間帯で、攻勢を仕かけた。練習試合であるが、あくまで勝ちを狙いにきたのだ。
思わず身が震え、あの瞬間がフラッシュバックする。
もし彼を躱したら、また後ろから同じ目に合うのではないか。
そんな考えが、刹那、頭の中に浮かぶ。
もちろん、彼が怪我をさせた選手と別人なのは、理解している。
だが、僕は立ち竦んでしまった。
練習中のチームメイトとは違う、本気の眼差し。
それは、僕を委縮させるには十分な力を宿していた。
僕が静止した隙を見逃さず、相手選手は猛然とプレスをかけてくる。
僕はまずいと思い、半ば強引にバックラインの味方にパスを出した。
(やばい!)
そう思った時には、もう遅かった。パスは自分が思っているよりもずっと弱く、力ないものだった。なので、ボールを相手のFWにいとも簡単に掻っ攫われた。
そこから相手チームは、一気にカウンターを仕かける態勢になった。
「戻れ!」
キャプテンであるCBの熊野が指示を出した。
僕らも相手に合わせて切り替えをスピーディーに行う。僕も自分のミスを何とか取り返そうと、全速力で自陣に戻る。
相手のFWは右サイドの選手にボールを渡してゴール前に駆けていく。
ペナルティエリアにはCBが二枚しっかりと並んでいる。相手はボックス内に一人だけなので、難なく対応できるだろう。
僕は安心して、走る速度を緩め、ボール保持者を見つめていた。
だが、その判断は甘かった。右サイドの選手はマイナス気味に素早いクロスを送る。それは僕の近くをすんなりと通り過ぎていく。
すると、後ろから別の選手が駆けて上がってくる。
そして、その選手が右足のインサイドでシュートを打った。
僕は決死のスライディングで足を伸ばすも、ボールは無情にもその上を通り、ゴール左隅に流し込まれた。
相手のチームの選手が一気に沸き立つ。スコアは二対一となった。
僕は両手で目とおでこを覆い、強く悔恨した。
試合勘の欠如から、基本の守備位置を忘れていた。怪我をする前、当たり前にできていたことができなかった。その悔しさが体をじわじわと痛めつける。
その上、今の失点は僕のパスミスからであった。その実感が湧くと、体が鉛のように重くなる。このようなミスは以前ならあり得なかった。
怪我の影響は、僕が思っていた以上に、精神面にダメージを与えていた。
立ち上がれずにいると、熊野が僕の腕を掴んで立たせ、背中を押した。
「気にすんな」
「……あぁ」
そう言って熊野は励ましてくれたが、僕の気持ちは沈んだままだった。
試合が再開する。相手チームは勢いを衰えさせることなく、前へとプレスをかける。
僕らはパスを素早く回してプレスの網を掻い潜り、敵陣深くへとボールを繋げていく。
僕は敵陣の少し後方で待ち構えていた。
現在、あくまで僕らのチームがリードしている。このまま勝ち切るためには、守備に重きを置いてプレーするべきだ。
相手チームは攻撃をするために、ディフェンスラインが非常に高くなっている。
だからロングボールで隆二が裏に抜け出せれば、追加点を奪うこともできるし、無理に前がかりになる必要はない。
それに、監督から言われた通り、試合を勝利で終わらせることが最優先である。焦って無闇にチーム全体を押し上げてしまったら、それこそ相手の思う壺だ。
しかし、チームは左サイドから素早く攻めようとする。相手が格下という前情報が、辛勝ではなく圧勝でなければならないという思いを駆り立てていた。
それは強迫観念のようなもので、間違いなくチームに悪い方向へと作用していた。
相手チームの統率の取れた守備を掻い潜ることができず、一人一人にがっちりマークが付き、パスを出すところが消え失せる。
「こっちだ!」
僕は自分に付いていたマークを外し、ボールホルダーに声をかける。
11番の左サイドの選手は、僕を一瞥した。
しかし、彼はパスを出さなかった。
フリーになっていて、安全な状態である僕に対し、パスを出さなかったのだ。
彼は強引に個の力で突破しようとするも、一対一で簡単に負け、ボールを奪われる。
僕はカッとなって、ボールを奪うために走り出す。背後から「石野! ディレイだ!」と熊野が言ったが、そんなことは気にしていられなかった。
この場面では、相手の攻撃を遅らせて、こちらの守備陣形を立て直すのが定石である。
しかし戦術などは度外視して、一目散に走っていた。
チームメイトが自分を信じなかったことへの恨みと、何とかミスを取り返さなければならないという焦燥感が体に纏わり付いて、正常な判断ができなくなっていた。
僕は相手選手にスライディングをするが、軽やかにダブルタッチで躱される。
我に返っても、もう遅い。相手チームはまたカウンターを仕かける。
ボール保持者は、中央の選手にボールを一度預ける。そこから先ほどと同じように右サイドにボールが渡る。右サイドの選手が今度は山なりにクロスを上げる。
それを相手のFWがヘディングし、ゴールが決まった。
ものの三分で、同点にされた。長い時間、大きな問題のない試合運びができていたにもかかわらず、僕が投入されてから、いとも簡単に追いつかれた。
罪悪感に苛まれ、ただ呆然と立っていることしかできなかった。
「まだ同点だ! 気にすんな! 俺が取る!」
隆二が頼もしい発言で檄を飛ばす。僕も同じように叫びたい。
しかし、今のような悲惨なプレーをしていては、そんなことができるはずもなかった。
試合はあと数分で終わる。逆転できなくても引き分けで終われれば御の字である。相手は格下のチームだが、今の状況はこちらに分が悪い。
試合が再開し、センターマークにいる隆二は僕にパスを出す。
僕はゆっくり立て直そうと考えて、ボール最終ラインまで下げる。
「何やってんだよ! 前に寄越せよ!」
前線にいる加藤が叫んだ。彼はこの状況から勝ち越すつもりらしく、ロングボールを送るように指示を仰いだ。
その指示もあって、熊野は前に大きくボールを蹴り出す。
それは相手選手のヘディングで簡単にクリアされる。
ボールは、僕の前に転がってきた。
(流れが悪い……無理に出したって意味ない。ここはゆっくりやった方が)
僕はそう思い、すぐにボールを前に出さなかった。前方からはまた文句が聞こえる。
ベンチにいる監督は何も言わず、顎に手を当て、ただ試合を見守っている。
(いや……ここは勝ち越しを狙いにいく方がいいか……?)
一瞬、その考えが頭に浮かぶ。現在、チームは点を取りにいくという共通認識があった。試合を終わらせるという当初の作戦は、立ち消えたようなものであった。
だから、多少のリスクがあっても点を取りにいくことが重要ではないか。
その考えが仇になるとは、ほんの少しも思わなかった。
僕は右サイドのフリーの選手にロングパスを出すが、相手選手に難なくカットされた。
前に出したい気持ちと、どこかで後ろに出したい気持ちが混在していて、ひどく中途半端なパスになってしまった。
ここの試合の関係者、全てが「まただ」と思っただろう。
僕のパスミスから相手のカウンターになるのは、二回目だ。
相手選手はドリブルでそのまま持ち込んでいく。ペナルティボックス付近に来ると、カットインして右足を振り抜いた。
斜め四十五度のシュートは、横っ飛びしたGKの指を掠めて、枠の中に入った。
今日一番の大きな歓声が響いた。相手チームの選手たちは満面の笑みで抱き合い、僕らのチームはみな肩で息をしてへたり込む。
そのまま試合終了のホイスッルが、冷たい雪のピッチで鳴り響いた。
僕が投入されてから、三失点で敗北。
僕は、全ての失点に絡んだ。
言葉が出なかった。
相手チームの健闘を称える感謝の言葉が、自分への嘲りのように聞こえてならなかった。
「この負けを糧にしよう。なぜ負けたのかを考えるんだ。敗北はチーム全員の責任だ」
監督はそう言って僕たちを労った。両手を勢いよく叩くと、乾いた音がグラウンドに響いた。
だが、誰も監督の言葉に頷くことはない。
ミスは全員の責任と言うけれど、みな口にしないだけで、戦犯を糾弾したい気持ちに駆られているはずだ。
その戦犯は、ただ俯いて、周囲の視線から目を背けた。
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