第4話 過去編 中学二年の雄輝
泉さんと出会ってからは、何だか過ぎる時間が早く感じる。それだけ日々が充実していることの表れなのかもしれない。
紅葉が跡形もなく消え去り、雪かきをひいひい言いながらも仕方なく行う季節が訪れる。
その頃になれば、僕の足は殆ど問題なく動かせるようになっていた。
ただ、パフォーマンスという部分では、あまり十分と言えなかった。
ボールが足に吸い付くようなトラップは稀にしかできなくなった上に、踏み込みからのトップスピードも明らかに落ちていた。
それでも、ボールを自由自在に蹴れる喜びをひしひしと感じていたし、これから向上も見込めると考えれば、多少は気持ちが楽だった。
そして来週の日曜日、春に向けた練習試合が組まれた。
本来であれば冬に練習試合をすることはないのだが、雪上での練習は足腰の強化にも繋がるからやってみようという、単純な監督の思い付きから組まれたものだった。
チームの調整ということもあり、相手校は然程力のないチームだった。復帰戦には持ってこいの相手だろう。というより、強豪は試合を組んでくれなかっただけかもしれない。
本日の部活も滞りなく終了する。既に午後六時頃であるが、冬の空はもう真っ暗である。
部員らがボールなどを片付け、グラウンドを綺麗に
「石野、足の具合はどうだ?」
「はい、特に問題はないです」
「そうか、じゃあ、来週の試合は出られそうか?」
「はい、痛みもないですし、十分にプレーできると思います」
「よし……恐らくベンチからになると思うが、状況次第では出すぞ」
「っ……ありがとうございます!」
監督のその発言に、僕の胸は高鳴る。遂に待ち焦がれた日が訪れるのだ。
僕が軽やかな足取りで部室に行くと、まだ幾人かの生徒が残っており、銘々に試合のことやゲームのことなどを話していた。
「おい、どうした? そんなにウキウキして。猿でもそんなにウキウキしないぞ」
そこで、着替えの途中であった隆二が話しかけてきた。
「僕、そんなに上機嫌だったか?」
「あぁ、かなり分かりやすく」
もしかしたら、自然と口角が上がっていたかもしれない。
「いやな、今度の試合で復帰できるかもしれないんだ」
「マジか?」
「マジだ」
「マゾか?」
「サドかマゾかと問われれば、どちらかと言えばマゾだ」
「知りたくなかった情報もついでにありがとう」
隆二は歯を見せて笑い、ワイシャツのボタンを下から一つ一つ留めていく。
「いやー、雄輝もやっと復帰か。長かったな」
隆二は感慨深げにそう言う。彼は僕が病院にいた時、いの一番に駆けつけてくれたし、学校でも症状がどうかを幾度も尋ねてくれていた。彼なりに喜んでくれているのだろう。
「あぁ……本当に、長かった」
「雄輝ちゃん、ちゃんとパス出せまちゅか?」
「そんなに退化してねぇよ。僕の足は腐ってない」
隆二の小馬鹿にした言い方に若干苛立ちを覚えながら、制服に着替え始める。
「いやお前、腐ってるだろ。主に精神面で」
「僕にそんな趣味はねぇ」
僕は断じて女が好きである。男が好きな趣向もあっていいとは思うが。
「試合、楽しみが一つ増えた。アシスト頼むぞ」
「出れたらな」
そうして僕らは着替えを終えて、共に帰路についた。
そしてもう一人、伝えたい人に会うのが途轍もなく楽しみであった。
試合の前週の日曜日。
僕と泉さんは凍結した歩道を注意深く歩き、駅へと向かっていた。閉館時間である午後六時に図書館を出ると、空は藍色に染まっており、遠くにはちらほらと雲が浮かんでいる。
「あぁ、そうだ、泉さん。僕、来週の試合で復帰できるかもしれない」
「……本当?」
「うん。本当に」
「……よかったね」
泉さんに復帰できることを伝えると、彼女は柔らかくはにかんだ。
「あのさ、泉さん。もしよければだけど、来週の日曜日の復帰戦、観に来てくれないか? 多分、途中出場になるかもしれないけど」
僕が泉さんにそう言うと、彼女は困惑した表情になる。キュッと唇を引き結び、両指を忙しなく交差させている。
「いや、ごめん、無理にとは言わないよ。休日だし……」
「いやっ、行きたくない訳じゃないんだよ! むしろ、行きたいって思ってるよ!」
泉さんはすぐに否定したが、「でも」と付け加える。
「石野君が頑張ってきたのは知ってるし、純粋に凄いなって思う。やっと試合に出れるくらいになって、私も本当に嬉しいし、プレーしてるとこを観たい。だから、もし監督さんが出さなかったら、何で出さないんだーって思うし、絶対にムカつくと思う」
泉さんは真っ白な歯を見せ、目を細めて笑う。
「だからね、もし石野君の試合を観に行くなら、ちゃんとスタメンを取り返して、安心できるようになったら観たいかな。その方が、よくない? ダメかな?」
泉さんは、遠慮がちにそう提案した。
僕はそれに、少しだけ胸が痛くなった。心が荒んだ時、泉さんがいなかったら僕はどうなっていたか分からないし、彼女がいたからこそ大怪我を乗り越えられたのだ。
だから、やはり復帰した姿を、最初に見てほしかった。
だが、僕は泉さんの意見に賛成する気持ちもあった。
時間をかけて僕の中学校に足を運んでくれたのに一秒もピッチに立てないとなると、申し訳ない気持ちになるし、罪悪感に苛まれる。
それに監督は出場させるとは明言したが、チームの状況次第ではそうしない恐れもある。
であるなら、しっかりとスタメンが確約されるような水準に戻ってからの方が賢明だと思った。逸早く泉さんにプレーを見せたいという気持ちはあるが、不完全な姿を見せるのも、あまりいい気分ではない。
「そうだな。絶対その方がいい。どうせ、試合を観れるチャンスは、いくらでもあるんだし」
僕はそう結論を出し、泉さんの意見に同意した。
「ごめんね……試合、頑張ってね」
「あぁ、出られたら、だけどな。じゃ、またね」
僕はそう言ってバスに乗るためにターミナルへと歩き始める。
泉さんは電車に乗るために改札へと向かった。
「ねぇ、石野君」
泉さんが僕の名を呼んだ。振り返ると、泉さんは僕のことをじっと見つめていた。首元が寒いのか、巻いたもこもこのマフラーを鼻までしっかりと覆っている。
「石野君は、どうして頑張れるの?」
泉さんはほんの少しだけ悲しそうな瞳で、僕にそんなことを問うた。
僕は泉さんのことを見返して、迷いなく言う。
「自分の力を、信じているからかな」
僕は短くそうとだけ伝えると、泉さんは何も言わずに僕の顔を凝視する。その真剣な眼差しを直視できず、僕は頬を掻いて俯いた。雪に覆われた地面には、数えきれないほどの足跡が刻まれていた。
「そっか、かっこいいー! じゃ、またね」
「あ、あぁ」
泉さんが笑ってそう言い、手を振った後、走り去っていった。
僕の頭の中で、彼女の言葉が何度もリピートされる。それは単純に男としてなのか、茶化す意味で言ったのかは分からないが、頬が非常に熱くなっていることは確かだった。
だが深読みをしても仕方がないと思い、僕はまた歩き出す。
吐く息は白く虚空に現れ、すぐに霧散した。
もし次の試合に出場できたら、泉さんとの距離を縮めよう。まずは連絡先を交換し、今度こそ試合を観に来てもらい、僕のプレーを彼女に見せる。そして可能ならば、泉さんの試合も観に行って、互いに助言をして高め合っていきたい。
僕はのろのろと走ってきたバスに乗り込んで、白銀に染まる窓外の景色を眺めながら、胸を躍らせていた。
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