第1話B
「……あのー、席、どこに座ればいいですか?」
そうして見つめ合っていると、彼女の後方から声がする。
背後には、短い黒髪の少女が気怠そうに立っていた。切れ長の目と整った鼻梁が美しく、健康そうな小麦色の肌が瑞々しくて眩しい。
そして、目を見張ったのは背丈であった。恐らく百七十センチを超えているだろう。短くしたスカートの裾からは、筋肉質な太ももが覗いている。
出ているところはしっかり出ており、まさしくモデルのような体型であった。
「おっ、お好きな席へどうぞ。テーブル席でも……カウンター席でも」
僕は彼女らに対し、自由に座るよう促した。彼女たちはどちらにするか少し迷った末、カウンター席の方に来た。肩にかけているエナメルバッグを荷物かごに入れて着座する。
泉さんと思しき栗毛の少女が気になったが、更に気になることがあった。
それは制服である。彼女らが着用する紺色のブレザーは、僕の通う
それに加えて、彼女らのネクタイの色が、赤であった。
我が校ではネクタイの色で学年の判別が可能だ。一年は緑、二年は赤、三年は青となっている。僕は二年なので、当然赤だ。つまり、彼女たちは同級生なのだ。
同じ高校の生徒が来店したことは今までなく、それに途轍もない緊張を感じていた。
だが、彼女たちからは僕が同級生だと分からないのだから、焦る必要などない。
僕は冷たい水の入ったコップを彼女らの前に出し、オーダーを取るためのメモ用紙を後ろの棚の引き出しから取り出す。
短髪の女の子がメニュー表を手に取り、じっくりと眺める。隣に座った栗毛の少女も一緒に目を通している。
僕はじっと見るのも悪いと思い、もう一度本に視線を落とす。しかし、どうしても栗毛の少女を無意識的に見てしまう。生まれてこの方、僕が恋慕を抱いたことのある相手はただ一人である。その人の顔を忘れるはずがない。
すると、栗毛の少女は顔を上げる。その瞬間、少しだけ瞳がかち合ってしまう。
僕はとっさに目を逸らし、本を読むのに集中するように努める。
「あの……」
すると、栗毛の少女は僕に声をかける。彼女の耳に届いているのではないかと思うくらい、心臓が脈打って喧しい。
「どうかされましたか?」
「この店って、おすすめとかありますか?」
僕は口をほんの少し開けて、ぼんやりとしてしまう。てっきり僕自身のことについて問いただされるものと思っていたからだ。
おすすめを訊かれるのは初めての経験だったので、下唇を噛んで逡巡し、
「……全ての商品がおすすめです」
と、回答した。
「強気ですね。じゃあ、もし仮に一品挙げるとすれば?」
「ステーキですね」
「どうしてです?」
「値段が最も高いからです」
僕がそう言うと、二人は殆ど同時に失笑した。全てがおすすめなのだから、最も値段の高い料理を頼んでほしいのは至極当然である。
「正直ですね……でも、頼んだら夕飯入らないだろうし、このケーキセットで」
栗毛の少女はにこやかに微笑んで、メニュー表を指差して頼む。
「じゃ、あたしもそれで」
と、隣の短髪の少女も言って、同じものを注文した。
「かしこまりました」
サイフォンでコーヒーを淹れ始め、僕は一度厨房に向かう。保存してあるケーキを持って戻ってくると、短髪の少女にまじまじと見つめられる。そんなにじっくり見られるようなイケメンではないし、二度見されるほどの不細工でもないだろう。
「……どうかされましたか?」
目線がケーキでもサイフォンでもなく明らかに僕の顔なので、怪訝に思って見つめ返す。
「やっぱり」
と、短髪の少女は一言呟いて、
「君……大栄の生徒、ですよね……?」
と、恐る恐る問うた。
「人違いです」
「いや、絶対そう。一年の時に……見たことある気がする。あー、でも、どこで見たのか思い出せない……」
即座に否定するが、短髪の少女は腕を組んで思い出そうと試みる。
僕は彼女と面識がないし、全く会話をした記憶がない。それよりも栗毛の少女の方がずっと気になっていたし、多くの心当たりがある。
「…………あっ! 思い出した! そう、図書室で見たんだ! あたしの友達で本好きの子がいてね、ちょくちょく見かけてたんだ。君、一年の時に図書委員やってました?」
短髪の少女は、クイズ番組で解答を導き出したアイドルのように快活に笑い、大きな声を上げる。まだ素性が分かっていないからか、敬語とため口が混ざっていた。
「……やってました」
「ほら、やっぱり。正解したから今日の代金はサービスでよろしくお願いします」
「当店ではそのようなサービスは行っておりません」
僕はため息をつく。
「でもびっくり。学年は?」
「二年ですけど……」
「マジ? あたしたちも二年。ね、名前は?」
あたしたち、ということは隣の栗毛の少女も二年ということだ。
僕はグイグイ質問攻めをする短髪の少女に辟易しながら、抽出したコーヒーをカップに注ぐ。でき立てのそれからふんわりと白い湯気が立ち上って、香ばしい匂いがする。
「
「あたしは
「泉さん」
短髪の少女――沢田さんが紹介する前に、僕はそう呟いていた。
「
「……うん。そうだよ、石野君」
栗毛の少女――泉さんは小さく頷いた。いきなり名前を呼んだから驚かせてしまったのだろうか、少し瞳が潤んでいて恐縮そうに肩を窄める。
「あれま、二人は知り合いだったの?」
沢田さんは僕と泉さんを交互に見る。紹介する前に彼女の名前を言ったので、疑問に思うのは当然だろう。
「泉さんと、中学の時に知り合いだったんです。幾度か話す機会があって」
泉さんは少し悄然とした表情を見せる。
「知り合い? 私は、友達だと思ってたよ?」
唇を尖らせる泉さんは発言に僅かな怒りを宿し、僕の顔を睨み付ける。
「……友人の定義は、千差万別ですし」
僕は泉さんに友人だと認められていたことがひどく嬉しくて、今すぐ小躍りでもしたい気分だった。だがそれを表情や行動に出すのも恥ずかしいので、努めて平静を装う。
「……どうぞ」
僕はコーヒーの入ったカップとショートケーキを彼女たちの前に出した。商品名と代金の書かれたメモ用紙も一緒に置く。
二人はぺこりとお辞儀をした後、ゆっくりとコーヒーを啜る。
「……美味しい?」
「うん。美味しいよ」
沢田さんが怪訝そうな表情をして問うと、泉さんは安堵したような表情で頷いた。
僕も自分用のコーヒーを淹れ始める。何となく、彼女たちと長話でもしそうな予感がしたからだ。
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