2-6


 しっかりかぎをかけた要は震えている祀莉をソファーに降ろした。

 そときをがせて来客用のスリッパを足元へ置く。

 さっきの恐怖を拭いきれない祀莉はただ下を向いていた。


「……で? なんであんなところにいたんだ?」


 ため息まじりに言いながら隣に座った要の雰囲気が恐ろしくて自然と体が震える。

(怒ってます……! ヒロインとの甘い時間を邪魔されたことに腹を立てて!)


 ここの窓は室内からしか見えないとくしゆなガラスで、祀莉の行動は丸見えだったようだ。

 窓の向こうに不審な動きをする人間を見つけてしまったら、気が散ってイチャイチャできるわけがない。不機嫌な顔とドスの利いた低い声はきっとそれが原因だろう。


「……怖い顔で睨んだのは悪かった。いい加減、機嫌直せよ」


 下を向いたままビクビクしている祀莉の態度が気に入らないらしい。

 そんなことを言われても六年間で積み上げられていた恐怖はそう簡単には消えない。


「……要」

「なんだ?」

「あちらに行っていただけませんか?」

「……!?」


 机を挟んだ向かいのソファーには桜が座っている。

 彼女はわたされたげん稿こうを手に持ってこちらをうかがっていた。

 祀莉はその隣の空いているスペースを指差す。


(せめて、ヒロインとのツーショットでわたくしの心をいやしてください……)


「……そんなに俺の隣は嫌かよ」


 要は軽い舌打ちとともに嫌味を吐いて立ち上がった。

 桜の隣に移動し、苛立たしげにドスンと座る。

 脚を組み、さらに腕も組んで不機嫌そうに祀莉を見ていた。


(何か違います……。というか、どうしてわたくしを見るんですか! 隣に可愛い可愛いヒロインがいるというのに……!)


 キラキラっとしたものを想像していたのだが、要の態度で台無しだ。

 もっといい雰囲気でヒロインと絡んでくれたら素敵だったのに……。


「あのぅ……北条君。ちょっといいですか? これって誤字ですよね?」


 桜が体を寄せて、持っていた原稿を要に見せた。

〝ここ〟と指差された箇所を確認するため、覗き込むように要は顔を寄せた。

 その瞬間を祀莉は見逃さなかった。


(これは……! これです! わたくしが求めていたものは!)


 目をかがやかせて食い入るように二人を見つめる。脳裏に焼きつけるのだ。

 あと数センチで肩が触れ合うというのに、彼らの間はぜつみような距離を保っている。

 左右から押してやりたいが、こればかりは本人たちのペースに任せるしかない。

 話しているのは原稿の内容だが、祀莉の脳内では都合よく変換されていた。

 緊張している桜に要が気を遣って話しかけている。しよみんてきな話題を選んだつもりだがやはりセレブ、どこかずれていたそれを桜に指摘され、ほおを赤くする。


(なんですかコレ、トキメキが止まらない……)


 ゆるみそうになる口元を必死に抑え、できるだけ無表情で絵になる二人を凝視した。

 祀莉の視線に気づいたのか、突然こちらを向いた要と目が合った。

 と思ったら、気まずそうな表情で桜から距離を置いて座り直した。


(なぜ離れるんですか!? あっ、わたくしがいるからですね!)


 仮にも祀莉は彼の婚約者。

 堂々と目の前でイチャつくほど無神経ではないということか。

 ならば去るとしよう。本当はもっと観察したかったのだが、これ以上ここにいてはストーリーの邪魔になる。なみだをのんで祀莉はソファーから腰を上げた。


「あの、わたくし、そろそろ講堂へ参りますね」

「わかった。俺も行く」

「えっ、でも要は挨拶が……」

「どうせ俺も講堂に行くんだ。それにお前、ここから昇降口の場所がわかるのかよ」

「はい?」


(講堂に行くと言っているのに、どうして昇降口?)


 言葉の意味がわからず首をかしげると、要は祀莉の靴を手に取ってかかげた。

 なるほど、靴をき替えろと言っていたのか。


「ほら、行くぞ」

「えっ……あ、はい。鈴原さん、えっと……ごめんなさいねぇ」


 せめてヒロインに対して悪役令嬢の印象をしっかりつけておかなくては。

 祀莉は自分なりの精いっぱいの悪い笑みを浮かべておいた。


「いえ、一人で大丈夫です。どうせ後で合流しますし」


 くやしそうな顔をすると思いきや、意外にも冷静に対応されてしまった。

 もっとがんらないといけないのは自分の方かもしれない。

 早くしろ、と要に腕を引かれて代表者控え室から出た。


「……さっきの、勘違いするなよ」

「え? あ、はい」


 ろうを歩きながら要が念を押してきた。仮にも自分の婚約者が来客用のスリッパで式に出たり、迷子になっていたなどとうわさされては己の価値が下がる。

 お前のためについてきたわけではない、勘違いするなと言いたいのだろう。

 はいはいちゃんとわかってますよと心の中で呟く。

 昇降口に辿り着き、学園で用意されていた上履きに履き替えた。


「履き替えたならすぐ行くぞ」

「あ、はい」


 再び祀莉の手を引いて講堂へと足を進める。

 周りの生徒を睨んでいるのは舐められないようにかくの意味を込めてだろうか。


(誰もあなたを敵に回そうとは思わないでしょうに……)

 いや、それとも桜と離れてしまったイライラをぶつけているのだろうか。


(さっきからよく人と目が合いますね……)


 それは仕方がない。西園寺家の令嬢なのだから興味を持たれるのは当たり前だろう。

 だが、不思議なことに男子生徒は祀莉から視線を要に向けた後、みるみるうちに顔色が悪くなって、おびえるように逃げていってしまう。


(ただ見ていただけなのに、あんなに怯えてわいそうに……)


 ──西園寺家の令嬢をめずらしがって見ていたら、隣にいる不機嫌な要のとばっちりをくらって逃げた。そうかいしやくした祀莉は彼らに同情した。


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