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 その時の名前は……なぜだか思い出せない。

 祀莉の前世にあたる人物はずっと病院のベッドで過ごしていた。

 病弱なため、病室の外に出ることは許されなかった。

 ただ時間が流れるだけの日々を過ごしているだけ。


 毎日が退たいくつで仕方がないとぼうになっていた時、友達が気をつかって与えてくれたものがあった。

 年頃の女の子が好むようなれんあいもののまんや小説。

 それが前世の自分に最高のらくを教えてくれた。


 退屈な入院生活が本さえあればいいと思うほど、いつしか夢中になっていた。

 そんなある日、彼女は容態が急変し、そのまま他界した。

 楽しみにしていた小説を読み終えないままに──。


(あぁ……、なんてもったいないことを……!)


 病気に勝てなかった前世の自分を責めたくなる。

 もし容態が急変しなければ、続きをキュンキュンしながら読み進めていただろう。

 いや、実際に容態が悪化しても読み続けていた。

 最後の記憶は看護師に小説を取り上げられているところだった。


 てこでも小説を放そうとしなかった前世の自分に痺れを切らした看護師が、「後でいつでも読めるから!」と言って小説をうばっていったのだ。

 ……うそつきめ。




 そして思い出した。

 前世で最後に読んでいたのは、特に気に入っていた作者の恋愛小説。

 なんの因果か、祀莉はその小説の世界に転生していた。


(どうして今まで思い出さなかったのでしょう……)


 しよみんのヒロインが、セレブばかりが通う学園に入学して、素敵な恋をするシンデレラストーリー……だと思われる。

 何しろ冒頭部分しか読めていないので、その先はすいそくするしかない。


 ヒロインの名前はすずはらさくら


 入学して早々男子生徒と出会っていた。きっとその生徒がヒロインの相手役だ。

 なんという名前だったのか、いったいどんな人物だったのだろうか……。

 自分の前世の記憶よりも、小説の内容を思い出すことに専念した。


(………………あら? えっ? ま、まさか!?)


 ヒロインの相手を探っていただけなのに、とんでもない事実を知ってしまった。

 その相手は祀莉の婚約者であり天敵でもある──北条要だった。



 まさかこんなにも身近な人間が同じく小説の登場人物だとは……。


(って、ちょっと待ってください! 要がヒロインの相手だとすると……──)


 頭の中で物語を読み進める。

 途中までしか読めていない上に、一言一句すべてを覚えているわけではないから、記憶が正しいとは限らないが……一つだけ確実に思い出すことができた。

 要とヒロインが出会ったすぐ後で、祀莉も登場していた。


 悪役令嬢よろしくヒロインに絡み、いちゃもんをつけているところに要が止めに入るというありがちな展開。

 要はヒロインをかばい、婚約者であるはずの祀莉には謝罪するよう要求していた。

 登場の仕方からして、これは明らかにライバルのポジションだ。



(──わたくしが悪役……!? それに、要がまさかのヒロインの相手……)



 容姿たんれい、頭脳めいせき、スポーツも芸術分野も難なくこなすパーフェクト人間。

 見た目やステータスだけを見ると、この上なくヒーローとして申し分ない。

 現在は華皇院学園の中等部に通っている。

 要と同じ中等部に通う弟からの情報によると、生徒たちから〝王子様〟と呼ばれているらしい。


(それは要の本性を知らないから……)


 幼い頃からよく知っている祀莉には、でっかい態度でふんぞり返っている王様が目にかんだ。昔はさんざん彼に振り回されたものだと感傷に浸る。

 そんな要もいずれヒロインにメロメロになっていくのかと思うとこれは見逃せない。

 ヒロインといえば……彼女は祀莉たちとはちがい、ただ名前を書いただけでは学園に入学させてもらえない。小説の中で、特待生枠を利用して入学したと語っていた。


(今年の特待生が〝鈴原桜〟なら……)

 ──調べなくては。




 祀莉は父親に頼み、今年の特待生についての情報を得ることに成功した。

 父親いわく、特待生は鈴原桜で間違いないらしい。


(やっぱりです!)

 推測するにもおよばず、この世界は前世で読んでいた小説と一致している。


(つまりそういうことだったんですね! ああ……なんて幸運!)


 最後まで読めなかった後悔と、続きを読みたいという必死な願いを、神様が聞き入れてくださったのだ。

 欲を言えば完全にぼうかんしやとして見守りたかったが、そこまでわがままは言っていられない。与えてくださった奇跡に感謝しよう。

 己の立ち位置が悪役令嬢と知ったからには、大人しくしておくのが自身のためなのだろうが……ライバルがいなくては物語を動かすことができない。

 祀莉が父親の頼みを拒否できなかったのも、きっと物語を修正する力が働いたからだ。


 自分好みの物語を書く作者だったので、この作品もきっと満足のいくラストなのだろう。

 最後はハッピーエンドなのでしょう、そうでしょう。

 幸せそうに寄りう二人を思いえがき、祀莉はうっとりとした笑みを浮かべた。

 ライバルの令嬢からもたらされる数々の嫌がらせや、いくの困難を乗り越え、最後はハッピーエンドで結ばれる。

 だいたい恋愛小説の流れってこんなものだろう。


(見たい! すごく見たいです!!)


 嫌だと思っていた時とは打って変わり、早く入学式が来ないかと胸をおどらせた。

 どうせ自分は当て馬。要とは親同士で勝手に決められた婚約だし、本人同士は「あ、そうですか」程度の認識。

 むしろ昔からぼうじやくじんな要にきようして過ごしてきた祀莉にとっては、笑顔で押しつけたい相手だった。

 目の前で小説の続きが見られる上に、人を人とも思っていない婚約者から解放されるという素晴らしい展開が待っている。


 ──よし、

「わたくしの願望のために、ヒロインと要をくっつけましょう!」




 西園寺祀莉。

 己のよくぼうのために婚約者を差し出すことも辞さない、ある意味悪い令嬢だった──。


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