第1章

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 西さいおんまつ。中学三年生。私立の女子中学校に通っている。

 そろそろ進路を決めないと、という時期にかのじよに転機が訪れた。……悪い方に。


「祀莉、ちょっといいか?」


 学校から帰宅し、玄関ホールに足を踏み入れて早々、父親に呼び止められた。

 いつもほんわかとした父親のふんがどこか重苦しく感じる。



(わたくし、何かしでかしてしまったのでしょうか……?)



 不安になりながらも近くにいた使用人に荷物を預けて、父親のもとへと向かった。


「あの、お父さま──」

 何かご用ですか、と続ける前に父親は口を開いた。


「祀莉、高校はおういん学園に通いなさい。いいね?」

「……はい?」


 父親は今なんと言っただろうか。数秒かけて言葉の意味を一つ一つ飲み込んでいく。

 高校……華皇院学園……通いなさい……、────っ!?


(待ってください! その学園にはかれが……!)



 私立華皇院学園。


 祀莉もその存在自体は知っていた。通う生徒は政治家、弁護士、医師、資産家等、メディアで耳にしたことがある名字、もしくは会社を経営する一族の子息れいじようがほとんど。

 祀莉自身も多くの会社を経営している四大資産家──ほうじようとうだいなんじようと並ぶ、西園寺グループの令嬢。名前を書いて判を押せば、すぐに入学手続きは整うだろう。

 本来なら祀莉も中等部から通っていてもおかしくないのだが、中学はあえて女子中学校をせんたくした。


 ──ある人物から逃げるために。




 しつこくかみりんとしたひとみを持つ男の姿が脳裏をかすめる。

 いつもげんそうで、笑ったと思ったら他人を鹿にしたような黒い笑み。

 口を開けばいやばかりで、言い返すことができた試しがない。


 その男の名は、北条かなめ

 祀莉にとっては幼なじみであり、婚約者でもある。


(不本意ですが……)


 二人の婚約は南条家の令嬢と東大寺家の子息がこいに落ち、結婚すると言い出したことに始まる。

 当然反対されていたが、二人の努力のかいあって、最終的には結婚を認めてもらえることとなった。

 しかしこの結婚により四大資産家のバランスがくずれてしまうおそれがある。

 祀莉と要の婚約は、それをしてなされた対策だと聞いている。


 そのころからだった。祀莉に対して要が意地悪になったのは。

 顔はこわいし、口は悪いし、態度もでかい。それなのに、とてもよく整った容姿が人々の心をりようし、だれもが彼とお近づきになりたいと思っている。

 小学校時代には彼のせいでクラスでりつするはめになってしまった。


(要と同じ学園ということは、またあの時の悪夢が……っ!?)



『嫌です、嫌です! 絶対にやめた方がいいです!』

『そうです! またあの時と同じ、ごくの日々が待っているに決まっています!』



(わたくしの中の天使もあくきよしている……)


 つまり本能が止めているのだ。断れるものなら断りたい。

 この学園の入学、卒業は家にとっても自分にとっても、かなりのステータスになるようだが、そんなものはどうでもいい。

 祀莉には二つ下の弟がいるので跡を継ぐ必要もない。しかし……。


「頼む! この通りだ祀莉!!」

「…………わかりました」


 真剣にお願いする父親を見て、「嫌です」とは言い出せなかった。


「本当かっ! よ、よかったぁ……」

 父親はあんの声を上げ、近くのソファーへとこしを下ろした。


(うぅ……この小心者め)


 返事をしてしまったからにはもうくつがえらない。意志の弱い自分がにくらしい。

 中学を女子校にと望んだ時みたいに、わがままを言えば考え直してくれるだろうか。


「あの、お父さま……」

「ほら、祀莉! これが来年から通う学園のパンフレットだ! 目を通しておきなさい」


 期待を持って呼びかけたが、それをさえぎるように笑顔でふうとうわたされた。


(わたくしが通うのは決定事項ですか、そうですか……)


 流されるままに返事をしてしまったことに、今になってこうかいが押し寄せてきた。

 どうにかして数分前にもどれないだろうか。


(……なんて考えても、もう遅いですね)


 潔くあきらめて自室へと向かい、手渡された封筒をじっとながめる。

 手触りのいい上質な紙にきんぱくの校章が施されていた。

 中の書類を取り出して、まず目に入ったのは高校の名前。



 ──私立華皇院学園。


 金色の文字とごうなデザインで大きく印字されていた。

 かつて、華族や皇族の子息令嬢が通ったとされるめいある学園。


「なんてぎようぎようしい字面だこと……」

 そう口にしたしゆんかん、おかしな感覚におそわれた。



(──あれ? 以前も同じことを思ったような……)



 幼い頃とか、そんなのじゃない。もっと前。

 そう、たとえば生まれる前に……。

 聴覚ではなく視覚から取り入れた学園の名前。

 それによってだんだんとあふれ出てくる何か──。

 泉の底に眠っていたものが、投じられた小さな石でき上がってくるように……もんが広がるように、一瞬で頭の中が他人のおくで満たされた。


(なんでしょう……なんだか見覚えがあるような、なつかしいような……)


 まるで心当たりがない記憶の存在に、不思議な感覚を味わいながら、祀莉はついにその正体をつきとめた。



(──これは……前世の記憶、でしょうか?)



 前世が存在するなんて、まるで物語のようだ。

 そう思いながらも冷静に頭の中に溢れる情報を整理してみることにした。


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