火凰の塔

 手摺の向こうに果てが見える。

 緑青に底光りする暗闇は、夜明け前であっても、空と区切られる。水でもなく、風でもなく、虚無が湛えられた空白は、大地の抱擁と火炎の誘惑に擬態して、永遠に生者を欲し続けている。

火凰かおうの塔は、飛翔するもの達を統べる神族の居住地だけあって、見晴らしが良い。天の南限はひどく乾いた風が吹く。外階段を登るだけでも、頬をよく切れる刃で斬り付けられている心地がした。案内人が静かに謝罪を述べる。内部には階段が無く、翼の無い客はここを通るしかないのだという。抱えられて運ばれるよりは良い。が、高度に対して随分と華奢な造りをしていると思う。壊れた鳥籠を解体して編みなおせば、こんな形になるのだろうか。足場も屋根も、装飾にしては広すぎる隙間があちこちにある。塔の外壁に沿う螺旋階段は、黒色の大木に絡む白色の蔦のようだ。等間隔に浮かぶ火の玉が、蔦渡りの目印となっている。これだけの火に囲まれながら、熱を感じないことが気になった。火の制御は得意とする所だろうが、温度まで操れただろうか。問い掛けると、火の種類が違うのだという。これは、祝い火であり、火鳳族の翼を核として作られる、模造の火。金を流した朱色の翼の案内人は、平坦な調子で続ける。人や鉱物は燃やさないが、本を糧にする。内容の質は問わない。精神的熱量を多くかけて制作された書物を与えるほど、祝い火は長く保たれる。祝い火に限らず、良書を燃やすのは習慣であるらしい。火の内に保存してしまえば、二度と失われることはないという考えからだ。独占の思考だと気づいていない。紅蓮の揺らめきを完全に読み取れる神など、火凰族に連なる者しかいないのに。午睡猫の危機意識がどこから来たのかを知った。私の危機感も膨れ上がる。あの人は、本であるならば類まれな良書に入るからだ。言葉を選び、知識伝達の為に人をくべる事もあるかを尋ねる。すると案内人は冷たい怒気を垣間見せた。そのような穢らわしいものは忌み火に食わせると吐き捨てる。言葉を選び過ぎたようだ。人間ではなく人だと伝えなおしたら、平静な様子に戻った。純血を厳守して、ひとりの忘神わすれがみも出さなかった一族にしてみれば、当然の反応だろう。本だけだと伝えられ、緊張が緩む。人に火を使うのは伝達ではなく忘却だという言葉に、息が止まった。例えば、忘神わすれがみを脱し、新しい神族に迎えられた者に、歓迎の儀式として、過去一切を焼却させる時などに使われると。案内人は振り返る。お前はどんな権限を持って不可侵の儀式に立ち入るつもりかと。やはり最初から警戒されていたらしい。果てを見つめ続ける処刑階段から、全く足を踏み外さない私に焦ったのか。踊り場で向き合う私達を囲むように、青い火が手摺を覆った。これが忌み火か。穢れと呼ぶにはあまりに鮮やかだ。夜明け前の果てより、身を投げたくなる。もっとも、白日の最果てを見つめても、私は衝動にかられなかったのだが。案内人の方が、事態は深刻だ。炎を映した目で睨んできているが、翼が不規則な揺れ方をしている。果てに引き摺られているのだ。これでは日のある内に水晶林を訪れることも難しいだろうと思ったが、旅人でないのなら、天界の端から端を行く必要は無い事を思い出す。誤解を解いた方が良いだろう。あの人自身の選択に、異を唱えるつもりはない。ただ、新しい生を迎えるのなら、最後の挨拶をしたいだけだ。後悔だけはしないように。金朱色の大翼を背負う人はもう、私を見ていない。ふらふらと手摺へ歩き始める。危ないと、声をかけようとしたその時だった。

儀式は中止になったと、案内人が虚ろな声で言った。祝い火伝いに、伝言が来たようだ。忌み火が消失する。塔の中からも、呼びかける声が聞こえる。族長、こちらへ、と。案内人に扮していた族長が、私の手を引きながら隠し扉を開いた。階段が無いというのは嘘ではなかった。床も天井も見えない通路を、金朱色の翼の人々が飛び交っている。円形に配置された壁は外部と異なり、無数の扉があり、扉の間は石化した炎で飾られていた。私を抱え、無言のまま上昇する族長は、天井にほど近い扉を開ける。詫びの代わりにしてくれと呟いて、私を部屋へ下ろした。背後で戸が閉まる音を聞きながら、歩み出す。室内は酷く暗い。だが、ある一点から明かりが漏れている。迷い様が無かった。

 私は人工の洞窟を抜けた。

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