すずなり林檎の森

 鈴の音が、朝の森に響いた。

 すずなり林檎が、揺れているのだ。この小さな赤い実は、傾くたびに小さく音を鳴らす。一つだけなら溜息よりも微かなものだが、幾万と集まれば、澄んだ音色となる。深緑をまとった木々のあちこちに隠れながら、すずなり林檎は収穫の時期を迎えていた。

森に棲む銀雀族ぎんすずめぞくの人々が、籠を持って木々の合間を飛び回っている。銀色の翼が木漏れ日を弾きながらはためく様は、林檎の音と人々の歌うようなお喋りと相まって、一種の舞踏のようだ。頭上の踊り子たちの邪魔をしない為に、私は静かに森を歩いていく。

肥沃な土と熟した蜜の香りが、まろやかに森を包んでいる。銀雀の森、ではなく、すずなり林檎の森、とここが呼ばれる理由も、理解できるような気がした。朗らかな銀翼の小人達にいくら摘まれていっても、甘い鈴の実はこの森に深く染み渡っている。

息を吸えば、舌の根がじわりと甘味を覚えた。林檎樹の根元に咲く花も、しっとりと朝露を含んでいる。果実の影を映しているのか、白と紫の野花は慎み深く咲いているのに、熱を帯びているように見えた。もしかしたら本当に温かいかもしれない。確かめようと花弁に指を伸ばそうとした、ちょうどその時だった。

音と呼ぶのもためらうような、軽い気配を真横に感じて目をやれば、銀雀の子供が一人、隣に着地した。背中の翼によく似た明るい銀色の瞳でこちらを注視すると、ニヤリと笑った。収穫の手伝いをしていたのだろう。林檎の香りが濃く漂う。子供は、握りしめた両手を突き出した。どっちだと首を傾げて私に尋ねる。どちらかの手を選べという意味だろうか。薄い右手を指でそっと叩くと、子供はパッと手を開いた。すずなり林檎が一つ、小さな掌にのっていた。間近で見る果実は、匂いたつように赤く、見るからに柔らかだった。掌に顔を近づける私に気を利かせたのか、子供は林檎を指に持ち替えて、私の唇に押し当てた。背が足りない分翼を動かして、指に力を籠める。無防備な果実は、そのまま私に飲み込まれた。噛み損ねた為、果肉は味わえなかったが、体内を転がり落ちる鈴の音は聞くことが出来た。貴重な体験が出来た感謝を述べ、宙に浮く子供と目を合わせた。そこで初めて、子供がとても美しい顔立ちをしていることに気が付いた。ありがとうお嬢さんと一礼すると、子供は曖昧な笑みを浮かべた。はずれ。小さな唇は確かにそう動いた。私は林檎を当てた筈だが。

疑問は瞬く間に解けた。巻き毛の族長が、大樹の天辺から銀雀の男の子を呼びかける。子供は、その呼びかけに応じて飛んでいく。華やかな瞳の少年は、最初と同じ、悪戯な笑みをこちらに向けて、空中へ去った。

銀色の後姿をぼんやり見送って、足元に目をやると、野花は冷たい色になっていた。花弁に触れるのは止めにして、また歩き始める。体の奥から、笑うような鈴の音が聞こえた。

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