第2話 世界の終わりと
墓地へゆく道は、ずっと国道にそって走っていた。その目的地、つまり横浜市営三ツ沢墓地まではタクシーで40分ほどかかった。
車内では、あの男が一方的に、キリスト教の世界観やら文学における終末論やらをまじめくさって述べたてた。他には、SFじみた世界の滅亡を描出してみせた。地球が物理的に滅んでゆくさまを、詳しくかつ繊細に紡ぎだしたのである。ここで注目すべきことは、彼がまだ発生していない地球の滅亡をことに真実味を帯びた調子で話したことである。歴史家が歴史を語るよりもはるかに確かな響きをもって聴こえることである。
この異様な語りの一部だけでも読み取れたならば、僕の表現が大げさではくて腑に落ちるということを、その身できっと理解してくれるはずだ。
「少年の頃の話になります。両親は私が日本祭りに憧れを抱いていることを知って、わざわざ関東地方まで連れて来てくれたのでした。私が日本へ初めて降り立ったその日は、八月の蝉がけたたましく鳴く蒸し暑い日でした」
「夏祭りは山奥の神社で催されるので、私たち家族は会場から近い村の木造宿を借りました。周りには背の高い木々や広い田畑、それから野草の生い茂る平原までありましたっけ。借りた古い宿の庭にも緑がたくさん生えていました」
「荷物を部屋に置いて外へ出てみると、太陽が真上に昇っていました。体が頭から火照ってもうろうとしてきて、青黒い石には夏の陽が照りつけています。庭の地面が朱色に染まって、地平の果てに蒸気が立つのは世の亡ぶ兆しのようでした。麦田には風が低く打ち、おぼろで灰色。飛びゆく雲の落とす影のように田を過ぎるプロペラ機がある。私は野原を走って行ました。希望を唇に噛みつぶして血を滲ませながら感じた。あぁ、生きていた、私は生きていた」
「湖まで駆けていきました。水面には揺らめく波の雲が波紋となっています。水で血の流れる唇をゆすいで、また走りました。その時には世界が地面から崩れていく地震と地殻が飲み込まれていく音が重なり合って、破裂した響きがサイレンのように……鳴り止まなくなって」
彼は息がつまって、しまいまで言えなかった。じっと耳を傾けていた僕は、彼の物語ることを信じるのが怖かった。だから信じなかった。まだどっちともとれる言葉の中に、僕はどちらにしろもっとも正確な、もっとはっきりした意味をつかもうとして、はげしく苦悶していた。
紳士はふっと息を吐いて、タクシーの窓から横浜の街を見送った。ビルのひしめき合う下で、街ゆく人はだんだんと肌寒くなってきた風をおもい、肩を縮めて歩道を急いでいる。
そのまま窓の内から過ぎ去っていく景色を眺めている間に、車は墓地に着いた。僕が運転手に運賃を払おうと財布を取り出すと、イギリス人はいいからとだけ言って、僕の袖を引いて車の外に連れ出した。訝しがる僕をよそ目に、タクシーはもと来た道へと走り去った。
「運転手にお金を支払わなければ」と慌てた僕は、あわよくばタクシーに追いつこうと考えて阿呆丸出しの無茶な走り方をした。後ろでは、例の気難しそうな男が快活に笑っていた。墓地の入り口に戻りながら、つられて笑いだした僕は打ち解けて冗談を飛ばした。
「横浜のタクシーはボランティアでまわっているんですか」
しかし、男は自明であるかの如くはっきりと、平然とした顔で答えた。
「いえ、違います。タクシードライバーに夢の中でも金を払う必要はないというだけですよ。
ええ、聞き違えじゃありませんよ。ーーー私は夢と言いました。どうしました、英国人にはdreamと言って欲しかったのですか」
この文脈において、どの定義で夢を使うのか僕は疑った。もしかすると、国柄の差で夢自体を広義に捉えているのかとも推測した。だが、彼の述べたことは僕の想像を打ち砕き、現実の苦しみを舐めさせるには充分な返事だった。
「覚えていらっしゃいますか。あなたと話した新宿で、私はたしかに告げましたよ。あなたがついて来れば、真意を掴ませると」
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