第3話 記憶の証明

 真意とはなにか、夢とはなにか。僕はすべてを知ることでしか死ぬことはない。


 墓地は丘陵のなだらかな斜面を活用して整備されており、百以上の墓石がひしめき合うように建てられている。その墓地の真ん中を、石畳でできた幅の広い道が貫いている。この墓地を喩えるならば、ローマのコロッセウムに観客が大勢座り込んでいるなか、真ん中の決闘広場は道になっていて、今まさに2人の男があいまみえる雰囲気を、固唾を飲んで見守っている場面である。ひっそりとする墓地に秋の午後の風がそよぐなか、2人以外には誰もいない。


 青年は石畳の上を歩きながら、車内での出来事を思い返していた。男が語った世界滅亡の情景が墓地へと収束することに疑問が尽きないのか、手を顎にやって考えこむばかりだ。タクシーの代金を未払いで済むことにもまだ納得いかないのだろう。ここで夏用のコートを着込んだ壮年は、呆然とする無知の青年の顔をうかがって、自ら出した謎を解き明かすと宣告した。


 「あなたは夢をみている。それは睡眠中にみる夢とは区別されるべき夢だと言おう。夢でなくてはなにかと言えば、一時的な麻痺状態だ」


 青年は眉をつりあげ、相手に対する訝しむ目付きを隠そうとはしなくなった。しばらくして憤った青年はせき止められていた感情を吐き出すように勢いのまま叫んだ。


「あなたこそ夢をみているのではありませんか。あなたの言動は常軌を逸している!タクシーで世界滅亡のばかばかしい話を聞きましたが、僕はそんなことは一言も信じておりません。僕は知っているんです。何日も前から、あなたが職につかずに駅前を歩きまわっていることを。これみよがしに博識ぶる癖があることを。僕にとってあなたは、上品ぶったり教養ありげに振舞ったりするsnobにしか思えませんよ。言いたいことはなんですか、はっきりと伝えてください」


 紳士は悠然、毅然の態度を崩さずに独り言のようにつぶやく。

 「あなたはもうすでに私のことをご存知でしたか。それはそうと、不愉快な思いをさせたことは反省しております。しかし、今からもっと不快な感情にさせることを前もって謝罪しておかなくてはなりません。付いてきてください」


 青年は拳を握りしめて苛立ち始めたが、冷静を保ち直して、これが最後と言わんばかりに紳士気取りの指さす墓へと歩いた。指の先には一つの墓がある。ピンクのユリが供えてある簡素な墓石には田崎と刻印されてあった。イギリス人によると家紋はコルチカムの花だそうだ。


 間違いようもなくそれは、青年の生家の墓である。そして青年自身の墓であった!墓には虚ろでやせ細った色白の顔写真、青年の遺影が立て掛けられていた。彼はまるっきり混乱させられてしまったのである。気を失ったかのようにその場でくずおれた。そして紳士の顔を、救いを求めるように弱々しい上目でみやっている。


 「あなたは死んでいません。いずれ来たるべき死に、まだ迎えられてはいません。あなたにとって奇妙な私、タクシー代、そしてこの遺影、すべての謎を解く手掛かりはあなた自身でとっくに持っているのですよ」

 青年は青ざめた顔でただ相手を見つめる。


「右手を開いてごらんなさい」

言われた通りに右の手のひらをみせる。なにか物を握りしめている訳でもない、ひどくやせ細った凡庸な手。


「その手は無限の存在です。なにも持たないからこそ、なんでも持つことができるのです。その意味で、あなたは産まれたときから自由でした。ーーーいや、端的に言います。あなたは記憶をなくしてこの仮の世界でさまよっている。いま私たちのいる仮の世界では同じ日常が繰り返されています。あなたが私を毎日往来で見かけたのは偶然ではありません。それはこの世界では同じ日常を繰り返している、という事実をあなたが知らないからです」


「私は随分前からこのループ世界とは馴染みがあるので、あなたのことを、墓地のことを、そしてループの正体を知っているのです。実は知り合い同士なのに初対面の再会を幾度もやり直しているのですよ!毎朝、お互いの記憶は消えてリセットされるけれど、1000度も繰り返せば記憶の片隅に焼き付いてしまうのです。だからこそ、終わらない世界の中で今日、あなたをここまで連れてくることができたんじゃありませんか!」


 紳士のメッセージは熱を帯びながらも、青年の方へと歩みよる親しさが込められていた。


 「記憶は、経験は、水平に流れ去る時間には生きていません。垂直に積み重なる時間にこそ、記憶と経験は息をしているのです。だから、私たちは過去の出来事を想起することができる。この想起は言葉そのままとらえて欲しいのですが、過去を生き直していることを意味します。思い出すことは脳内の活動ではなく、現実に過去のその瞬間に戻って生きているのです。実際この世界ではそうなのですよ」


 紳士は息を吐いてから意を決したふうに顔を引き締め、手からステッキを落とした。それからかがみこみ青年を正面に見据える。目を逸らさずにきっぱりと問うた。


 「あなたはこの世界でも、あの少女と会っていますね」

 

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