滅びゆくデートをこの無限世界で!!
有理
第1話 ある出会いの再構築
あの見知らぬ男が新宿の広場ではじめて僕の目をひいたあの秋の午前から、もう2ヶ月ばかり経っている。
大きな広場にはわずかな人影があちこち動いているだけだった。冷たい、秩序めいた輪郭と灰の直線とを柔らかな薄青い空から浮き立たせている、あの無愛想に突き放すビル群の下では、かすかな風の中に旗がいくつもひるがえっていた。
正面のオブジェの前には、パン屑を撒いている一人の少女のまわりに、おびただしい鳩の一群が集まっていて、同時に新しいのが四方からどんどん飛びつどって来る……それはたとえようもなく明るい晴れがましい美しさの眺めであった。僕はその光景を、何度も眺めてきた気がする。
その時僕はあの男に出会ったのである。こうやって思い起こしているうちにもあの男の姿はほうふつとして眼の前にある。背は並よりも高いくらいで、足早に背中をまるめて、うしろに回した両手でステッキを持ちながら歩く。僕はなんということもなく、イギリス人だなと思った。
年は30ぐらいだろう。あるいは50かもしれない。顔は品よく整っていて、心持ちくすんだ肌と、だるそうに物を見る灰色の眼とがある。口もとにはわけのわからない、やや内気な微笑がたえずただよっている。ほんの時々眉を挙げては、探るようにあたりを見回す。また足もとへ眼を落とす。二言三言独りごとをいう。まあ、こんな調子であの男は根気よく広場を行ったり来たりしていたのである。
この時以来、僕は毎日あの男を観察した。それはあの男の仕事というのが、天気のいい日でも悪い日でも、午前でも午後でも、いつも独りぼっちで、いつも変わらぬ奇妙なものごしで30回も50回も例の広場を往来することよりほかには、なんにもないように見受けられたからである。
僕の念頭にあるその昼には、ある学生団体の合唱があった。僕は新宿駅のテラスに設置された木製ベンチの一つに座っていた。合唱曲「cosmos」の披露が終わって、それまでこみあった流れを成して、あっちこっちへ波打っていた群衆が散り始めた時、あの未知の男は例のごとく微笑しながら、僕のそばの空いた椅子に腰を下ろした。
時が過ぎて、あたりはだんだん静かになってきた。見渡す限り、もうどの椅子も空いてしまった。時々まだぶらぶら通りかかる人があるかないかくらいである。おごそかな静穏が広場いっぱいに立ちこめて、空には所々に雲が出ている。
僕は隣の男に背を向けたまま詩集を読んでいたが、やがてその男を独りそこへ残して行こうとした途端に、どうしてもその男の方へ半ば身を向けざるを得ないことになった。というのは、今まで身動きの音さえ立てずにいたその男が、その時いきなり話をはじめたからである。
「ここへ来るのは数年ぶりでしょうな、あなた」と男は流暢な英語で尋ねた。僕が骨を折って英語で返事をしてやったら、男はちっとも訛りのない日本語で話をつづけた。低いしわがれた声でたびたび咳払いをして、それを澄ませようとするのである。
「あなたはなにもかも懐かしくご覧になるのですな。それでご期待に背かないのですな。ーーそれどころか、あるいはご期待よりもまさっているのですかね。ーーははあ。これよりきれいだとは考えておられなかったのですかね。ーー本当でしょうね。そうおっしゃるのは、幸福な、うらやむべき人間だと思われたいためばかりではありませんかね」
男はうしろへもたれて、しきりに瞬きをしながら、なんとも説明しがたい顔つきで、じっと僕を見守った。ふとはじまった沈黙は、長い間つづいた。僕はどうやってこの変妙な会話を進行させたものか見当がつかなかったので、またもや腰を上げようとした。すると男は急いで身を乗り出した。
「あなたはご承知ですか、滅亡とはどういうものだか」と男は両手でからだをステッキの上にもたせながら、低い声でしかも迫るように問うた。
「地球が、この全人生が終わりを迎えるあの滅亡です。いや、確かにあなたはご存知ない。ところが私は若い時分からそいつとはおなじみでしてね、そいつのおかげで、私は孤独な不幸な、それからちっと風変わりな人間になってしまったのですよ。それは自分でも認めていますともーーこう言っただけではわかっていただけるはずがありませんな。でも、私の行く場所へついて来てくださるならば真意はつかめるはずですよ」
男は僕の目を覗き込むと、後ろを振り返りもせず、杖をつきながらも確かな足取りでロータリーへと歩き出した。僕はこの奇妙な男の向かう地まで同行することにした。
それは彼のいう滅亡と真意を知りたいがためではない。ただ、僕は自分の運命に引っぱられているのを感じた。願いの実現が近いのを感じた。僕はそのために自分のほうからなにもすることができない焦燥に狂おしくなった。
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