025話 ラミリィの過去①

[ラミリィ視点]


 カイさんの背中に隠れて、あたしは戦いを見守ることしか出来なかった。


「どうしたガキィ! 守ってばっかじゃ、俺を倒せないぜぇ。かかってこいよぉ!」


 チーザイの怒鳴り声を聞くと、あたしの体がかってにすくみ上がる。

 情けない。

 どうして、思い通りに動いてくれないんだろう。


 カイさんが防戦一方な理由も分かっている。

 あたしを庇っているからだ。

 あたしなんかがいなければ、きっとカイさんはすぐにでも飛びかかって、あの大男を倒すに違いないのに。


 もう疑わない。

 疑いようがない。

 カイさんは、あたしがどんなに役立たずでも、あたしを見捨てたりしないだろう。


 だというのに、あたしはさっき逃げてしまった。

 役立たずだからと追放されるのが怖くて。

 傷つく前に、自分から逃げ出してしまった。

 その結果、パーティーが分断された状態で戦うハメになった。


──あんたのせいだ。


 嫌な言葉を、思い出す。

 ああ、そうだ。

 あたしはろくでもない女なんだ。


 だというのに、上手く立ち回ろうとして、結局は失敗する。

 あたしはヘタッピだ。

 弓も、人生も。



■□■□■□



 少し、昔話をしよう。

 カイさんには言えなかった、あたしの過去の話。


 あたしの生まれ育ったクーレル村は、半年ほど前に滅んだ。

 別にそれで不幸ぶる気はない。

 辺境を切り開く開拓村では、よくある話だから。


 いやいっそ、悲劇のヒロインとして振る舞えれば、もっと器用に生きられたのかもしれない。


 魔物の群れに呑まれていく故郷を見た時、あたしは自分の本性を知った。


 わらっていたんだ、あのときのあたしは。


 自分が嫌いなものなんて、ぜーんぶ無くなってしまえばいい。

 それが、ラミリィ・クーレルハイムという人間の本性だったんだ。




「あんたが生まれたせいで、あたしはこんな目にあってるのよ!」


 それが、母の口癖だった。


 あたしの家は、クーレル村の村長を務めていた。

 なぜなら、母がクーレル村周辺を治める貴族の娘だったからだ。

 だった、というのは、あたしが生まれたときにはもう、母は貴族ではなくなっていたから。


 これもよくある話だ。

 婚約を破棄された貴族の令嬢が、実家を追放されて辺境の村で余生を過ごす。

 母の身におきたのは、まさにそれだった。


 けれども、母の場合は完全に自業自得。

 婚約者がいるにも関わらず、一時の勢いに身を任せ、知り合ったばかりの男と一夜をともにした。

 そうして、あたしを身ごもったのだ。


 事情を知った婚約者は、母に愛する人がいるのなら、政略結婚でそれを奪うわけにはいかないと身を引いて、婚約を破棄したらしい。

 婚約者はかなり偉い人だったようだ。

 母が「婚約破棄さえなければ王宮暮らしだったのに」とボヤいたことがあるので、もしかしたら王子様だったのかもしれない。

 ともかく、そんな偉い人との婚約を破棄することになってしまったので、貴族の祖父はカンカンに怒って、母を追放したそうだ。


 そしてせめての情けとして、生活に困らぬように、父と母にクーレル村の村長夫妻の地位をあてがった。

 けれども母は、毎日にように「こんなの実質、流刑じゃない! あたしに死ねっていうのね!」と嘆いていた。


 これでも、せめて父と母が本当に愛し合っていたなら、救いのある話だっただろう。

 だけど、あたしは知っている。

 この両親の間に、愛情なんて無いことを。


 母はワガママだった。

 家事は一切やらず、いつも自分の境遇に嘆いてばかり。


 父は、そんな母をよく殴っていた。

 とくに酒が切れると乱暴になるので、家には村から集めた税金で買った酒がたくさん置かれていた。


 部屋が汚れていると父も母も不機嫌になるくせに掃除をしないので、いつしか部屋の掃除はあたしの仕事になっていた。


 ともかく、そんな幼少期を過ごして、あたしの体が少しずつ大人になってきた時のこと。

 酒に酔った父が、あたしを押し倒したのだ。


 必死に抵抗しても、大人の力には勝てなくて。

 もう何もかも諦めたときに、出かけていた母が帰ってきて、現場を目撃した。


「ラミリィ、あんた、なんてことしてるのよ」


 どうしてあたしが責められるのか、まるで分からなかった。

 あの時の母の、おぞましいものを見るような目は、いまも忘れられない。

 ともかく父の強姦は未遂に終わり──


 翌朝、起きると母が首を吊って死んでいた。




「掃除しておけ」


 それが、母の遺体を目撃した父の、最初の一言だった。


 母の葬式はつつましやかに行われた。

 参列者は父と、あたしと、あたしの様子を見に来てくれた親友のイリアちゃんだけだった。

 他の村民は慰めの言葉さえなかった。

 あたしたち一家は自分たちの暮らしのためだけに税を増やしたため、村民から嫌われていた。


「ラミリィちゃん、悲しいときは泣いていいんですよ」


 イリアちゃんの言葉に、あたしは戸惑った。

 何が悲しいのか、分からなかったからだ。


「イリアちゃん、何を悲しめばいいの? お母様は、生きていてずっと辛そうだった。いつも何かに嘆いていたわ。でも、それが終わったの。もうお母様は、苦しむことも、嘆くこともない。生きる苦しみから解放されたのよ。悲しむことなんて、なにもないわ」


 イリアちゃんは何も言い返さなかった。

 かわりに泣きながらあたしを抱きしめた。

 それでようやく、あたしは何か間違ったことを言ったんだと理解した。


 いつも明るくて優しいイリアちゃんが、こんなにも泣いているのだから、きっと悪いことを言ったのだろうと。




 母が死んでから、父があたしを襲おうとすることが多くなった。

 そして父はあたしが抵抗すると殴るくせに、その後で必死に謝りながら泣くのだ。

 どうしたらいいか、あたしには分からなかった。


 そんな中で、親友のイリアちゃんだけが、心の支えだった。

 そのイリアちゃんは、その年の冬に、奴隷として売られることになった。


 イリアちゃんの家が生活に貧して、冬を越せなくなったからだ。

 どうしてイリアちゃんの家が貧しいのかあたしが気づいたのは、ずっと後のこと。


 ともかく、とある冬の夜に、イリアちゃんが別れの挨拶に来たのだ。


「ごめんなさい、ラミリィちゃん。あたしもう、ラミリィちゃんとは会えなくなります。遠くに行くことになったんです。どこかは分からないけど、遠いところに。だから、お別れです」


 「どうして?」と聞いたあたしに、イリアちゃんは言いよどんだ。

 今にして思えばあれは、自分の父親の重税のせいで自分は売られていくんだという話をあたしにしないための、イリアちゃんの優しさだったのだろう。

 代わりにイリアちゃんは、別のことを言った。


「ラミリィちゃん、ずっと前に言えなかった返事を言いますね。お母様の死の、何を悲しめばいいのか」


 イリアちゃんは、私の手を優しく握った。

 冬の夜で冷え込んだその手は、どこまでも冷たかった。


「あたしたちは、きっと、誰もが幸せになる権利があると思うんです。それなのに、手に入らなかった幸せを思って嘆き、悔やみながら死んでいく人生なんて、これ以上に惨めで悲しいものがありましょうか。幸せになれずに死んでいったこと、それが悲しいのです」


 イリアちゃんの言葉で、あたしはいつも何かを嘆いている母の姿を思い出した。

 きっと、母の時間は実家を追い出された時に止まってしまったのだろう。

 そこから一歩も進めないまま、自ら死を選んだのだ。


「幸せになれないのは、悲しいことなの?」


「ええ、きっと。だからラミリィちゃん、あたしたち、幸せになりましょう。この先にどんなに辛いことが待ち受けていたとしても、最後には幸せを掴みましょう。だって、そうでもないと、あたしたち、何のために生まれてきたのか……!」


 溢れる涙を見て、あたしはイリアちゃんを励ましたくなった。

 ただこの時のあたしは、きっとイリアちゃんは遠くに行くのが嫌なんだろうな、ぐらいのことしか考えていなかった。

 だから子供ながらに、こんな提案をしたのだ。


「だったら、二人で約束しましょう。あたしたち絶対に、幸せになるって。それに、約束のおまじないをすれば、どんなに離れていても二人は繋がっていられるでしょ! 遠くに行ったって、へっちゃらよ!」


「おまじない……そうですね、やりましょう! あたしたち、幸せになります! 絶対に!」


 そうして二人で交わした、”幸せになる”というおまじないは、あたしにとって最悪の呪いとなった。

 なぜならあたしには、その”幸せ”が何なのか分からなかったからだ。

 あたしの周りには、”幸せ”を持っている人がいなかったから。

 分からないものに、なれるはずがない。


 どうすれば手に入るかも分からないものを追い求めて生きることを、たった1人の親友と約束してしまったのだ。


 それからしばらくしてイリアちゃんはどこかへ連れ去られた。

 あたしは父と2人きりで家にいるのが嫌になり、なるべく近くの森で過ごすようになった。


 結局、幸せとは何なのか分からない日々を送った。

 けれど普段から森にいたおかげで、魔物の襲撃があった時に幸運にも助かったのだ。


 全部無くなってから、ああ、自分はこの村が嫌いだったんだなと気づいた。

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