005話 デス・オコジョ・エンゲージ


 それから俺たちは、火照った体を冷ますのも兼ねて、庭でお茶会をすることになった。

 マーナリアの「美味しいパイを焼いてくるから、カイちゃんはここで待っていてね~」という言葉に素直に従って、俺はガーデンチェアに腰掛け、ハーブティーを飲みながらぼんやりとしていた。


「よう! お前、新入りだな?」


 少し湯あたりしてしまったのもあって、俺に話しかける軽妙な声に気づくのが遅れてしまった。


「おいっ! 聞いてるのか? まさかもう、抜け殻になっちまったわけじゃあねえよなっ!?」


 ようやく声に気がついて、あたりを見渡す。

 だが、花々で彩られた広い庭に、人影は見当たらない。


「こっちだこっち! 下だぜ!」


 声に促されて下を見る。


「……ネズミ?」


 テーブルの上に、真っ白な毛をもつ、ネズミの胴体を長くしたような動物がいた。

 二足歩行で、前足を組んで立ちながら、俺を見上げている。

 もちろん普通のネズミは、こういうポーズはしない。


「おいおい、俺様をあんなちんけなげっ歯類と勘違いしてもらっちゃ困るぜ。俺様は<死の銀鼠デス・オコジョ>のディーピーだ! そこんとこよろしくな!」


「<死の銀鼠デス・オコジョ>?」


「そういう名前の魔物だぜ」


「あっ、そうなんだ……」


 魔物の中には、野生動物が変異して魔物化したものも多い。

 オコジョという動物に聞き覚えはないが、きっと<死の銀鼠デス・オコジョ>もその類だろう。


「えっと、ディーピーだっけ。俺はカイ。それで、君は何者なんだ?」


「よくぞ聞いてくれた! 俺様は今でこそあのババァマーナリアの使い魔だが、かつては銀嶺ぎんりょうの覇者とも呼ばれた由緒正しきエリアボスでな……って、今はそんな話をしてる場合じゃねえ!」


 ディーピーはその小さな前足を、俺にむかってビシッと指した。


「おい、お前! 壊れたく死にたくなければ、さっさとここから逃げ出すんだ。お前が望むなら、俺様が協力してやっていい」


「逃げるって……どうして?」


「ああ、もうっ。さっそく取り込まれ始めてやがるな。ここに居続けたら、お前は廃人になっちまうぞ!」


 急に不穏な単語が出てきた。

 マーナリアは、何か目論見があって、俺をここに連れ込んだのだろうか。


「廃人になるって、どういうこと……?」


「マーナリアの目的は、お前を身も心も骨抜きにすることだ。その様子だと、あいつのバブみはもう味わったんだろう?」


 バブみって何。


「あいつはそうやって、人間を堕落させるのを至上の喜びとしている魔族なんだぜ。気に入った人間を捕まえては、極限まで甘やかし、健康なまま寿命を迎えるまで愛情を注ぎ続ける、恐ろしいやつなんだ」


「な、なるほど……?」


「あいつに一度でも心を許したが最後、もう二度とあいつ無しでは生きられない心と身体にされちまう。俺様はもう、そうやって死んだやつを何人も見てきたんだ。いいか、ここにいると、毎日美人で巨乳なママに愛されながら、一生働かずに美味しい食事を食べて生涯を終えることになるぜ! そうなりたくなかったら、早く逃げろ!」


 その生活のデメリット考えるから、ちょっと待って。


「……というか、君は確かマーナリアの使い魔なんだよな。俺を逃がそうとするのは、主の意志に反することなんじゃないのか?」


 魔術についてはあまり詳しくないが、使い魔というのは主の命令に従う存在のはずだ。

 マーナリアの使い魔のディーピーが、どうして主の不利になる言動をするのか。

 俺の質問に、ディーピーは万感の思いを込めて答えた。


「そんなこたぁ分かってるぜ。だが俺様はもう限界なんだよ! お前みたいな見た目が小柄で童顔なショタ野郎が甘えるのはまだいい! だが、ヨボヨボのしわしわ爺さんになってもママァママァって赤ちゃんプレイしている姿を見るのは、さすがにもうしんどいんだ!」


「それは確かに……ちょっと分かるかも……」


「それにあいつは今でこそ落ち着いているが、かつてはそのバブみをもって近隣諸国に攻め込み、人々をオギャらせた恐ろしい魔族でな……」


 ごめん、だんだん何言ってるのか分からなくなってきた。


 俺が困惑の苦笑いを浮かべていると、ディーピーが急に喋るのを止めて硬直した。

 俺の後ろを見ているようだ。


 振り返ると、そこには焼き上がったパイと取皿を持ったマーナリアが、微笑みを浮かべて立っていた。


「ディーピーちゃん? いったい何の話をしているのかしら~」


「おっと、俺様はここらでスタコラサッサだぜ」


 危険を察知したのか、ディーピーは機敏な動きで逃げ出した。

 マーナリアはそれを咎めることはせず、テーブルにパイを置きながら小さくため息をつく。


「知られてしまったのなら、仕方ないわね。正直に話しましょう。実は私は、人間に母親としての愛情を注ぐのが大好きなの」


「いえ、それはもう分かってます」


 それともあれか。

 いままでのは準備運動に過ぎず、本当のバブみはこれから見せてやるとか、そういう話しなんだろうか。


「本当は、このパイは私には必要ないのよ」


 マーナリアは、焼いたパイを俺の分だけ切り分けて、皿に乗せながら言った。


「聞いたことあるかしら? 魔族は感情を糧にするって」


 俺は魔族については、噂や物語で聞いた知識しか持っていない。

 だから、知っていることをそのまま答えた。


「そういえば確か勇者と魔王の物語で、魔王が『人間の絶望こそが、我が糧なのだ』って言ってるシーンがありましたね」


 それは、この世界に暮らす者なら誰もが知っている英雄譚。

 かつて世界を支配していた魔王を倒し、人類を魔族の支配から解放した勇者の物語。

 勇者と魔王が対峙した時、「なぜ人々を苦しめるのか」と勇者が問いただした際に魔王がそう答えたのだ。


「それ、言葉どおりの意味なのよ」


「言葉どおりって……」


「人間がパイを食べて栄養を摂るように、魔王は人間の絶望という感情を摂って生きていたのよ。それが、魔族という生き物なの」


 魔族は人間の感情を食べて生きている。

 夢魔が、夢を食べるようなものなのだろうか。


 幼い頃、勇者と魔王の物語を聞いたときに、なぜ魔王は勇者が現れる前に人間を滅ぼしてしまわなかったのか不思議に思ったが、疑問が解けた。

 人間の感情を糧とする以上、魔族は人間を滅ぼすわけにはいかなかったのだ。


「そうすると、マーナリアさんが人間を甘やかすのは、もしかして……」


「もうっ、ママって呼んでいいのよ! それはそれとして、想像の通り。私は、ママ~って頼られる気持ちを糧にして生きている母性派魔族なの。だから、い~っぱいママに甘えてくれると嬉しいわぁ~。どんどんオギャってね、カイちゃん!」


 人間の絶望とオギャりの落差で湯冷めしそう。

 ともかく、マーナリアが俺を捕らえて甘やかす理由は分かった。

 マーナリアは人間を甘やかすことで力を得る魔族ということらしい。


 俺は、差し出された温かいパイに目を落としたあと、再びマーナリアを見据えて言った。


「ごめんなさい、マーナリアさん。でも俺、やっぱり冒険者を諦めきれない」


 ここにいれは平穏無事な暮らしが出来るのだろう。

 マーナリアに甘やかされる生活に魅力がないわけではない。


 だけど、ディーピーから話しを聞いたときに、ふいに思ってしまったんだ。

 ここから出られなくなると、冒険者は諦めなくちゃいけないんだなって。


 それは、嫌だ。


「ろくに戦う力のない俺が言うのはおこがましいんだけど、マーナリアさんが魔物に襲われそうになってるとき、気がついたら体が動いてたんだ。その時に分かった。俺は、そういう生き方をしたかったんだって。だから、ごめんなさい……」


 あなたと一緒にここで暮らすわけにはいかない。

 そう言葉を続けようとしたが、マーナリアの顔を見た途端、言葉が出なくなった。


 馬鹿げた話だが。

 俺はマーナリアの態度にほだされて、すっかり忘れていたのだ。

 目の前の人物が、人類種族を超越した存在である、魔族であることを。


 マーナリアは目を細めて、獲物を前に舌なめずりするような、攻撃的な笑みを浮かべて言った。



「逃がすと思う?」

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