003話 カイ、魔族に捕まる


 魔族とは、全人類の敵である。

 人間のような見た目をしているが、その頭からは2本の角が生えている。

 そして人間を超越した力を持っている。


 魔物という、人間社会が衰退する原因を作ったのは魔族だと言われている。

 人を襲う魔物が跋扈ばっこする世界になってしまったのは、魔族が原因だ。

 冒険者の、いや、人類の倒すべき相手が、魔族なのだ。


 そしていま俺は、その魔族の胸の中で、頭を撫でられている。

 なんで?


「私を助けるために、危険を顧みずに飛び込んできてくれたのね~、えらいわ~! 怖かったでしょ~。ほら、お姉さんがいい子いい子してあげる~」


 魔族の女性は子供をあやすような口調で、俺の頭を撫で続けながら言った。

 なんだろう、すごく恥ずかしい。

 美女の胸に顔をうずめて慰められてるという現状もさることながら、こうも子供扱いされると、決死の思いで飛び出した俺の覚悟さえも、児戯じぎのようなものに思えて気恥ずかしくなってしまうのだ。


「あ、あの……いきなり胸に飛び込んで、すみませんでした」


 やっとの思いで絞り出した俺の言葉は、しかしながら更に魔族を増長させた。


「や~もう~! 耳まで赤くしちゃって、可愛いわね~! あなた、お名前はなんて言うの~?」


 はしゃいでいる。

 完全に、はしゃいでいる。


 その魔族のはしゃぎっぷりたるや、物心ついたぐらいの年頃の甥と初めて会ったときに、子供のうぶな反応をからかって楽しむ叔母ぐらいのテンションだ。

 ここがダンジョンの奥深くではなく、俺が幼い子どもで、二人がそういう間柄であれば、さぞや微笑ましい光景になったことだろう。

 だが、目の前にいるのは人類の敵である魔族だ。


「あの、俺はもう大人なんで、その……子供扱いされると、困ります」


 俺はこの叔母的スキンシップを止めない魔族の、俺の頭を撫でる手を振り払った。

 この魔族の女性は、人間への敵意は無いのかもしれない。

 雄牛の魔物を退けてくれたのだから、俺の命の恩人と言ってもよい。

 それでも、出来る限りこの魔族から離れたほうがいい気がしていた。


 魔族に魅入られた人間は、例外なく破滅する。

 そんな噂を聞いたことがあったからだ。


 だが、魔族の女性はそんな俺の思惑などお構いなしだった。


「こらっ、あいさつはちゃんとしなきゃダメよ~! はじめまして、私はマーナリア。あなたは?」


「……カイです。カイ・リンデンドルフ」


「ちゃ~んとお名前、言えたわね。カイちゃん、えらいぞ~!」


 完全に子供扱いされている。

 だが、このマーナリアという魔族からしたら、俺はその程度の存在なのだろう。

 雄牛の魔物をあっさりと撃退するほどの実力者だ。

 俺なんて、赤子の手をひねるように簡単に倒せる相手と見ているに違いない。


 だからなおのこと、マーナリアの気が変わって殺されないないようにしつつ、早いところ立ち去らなくては。


「じゃあ、俺はこれで」


 俺はマーナリアから身を離し、そそくさと立ち去ろうとする。

 だがその動きは、背を向けた俺に抱きついたマーナリアによって、あっさりと封じられてしまった。


「だめよ。このあたりには魔物も出るんだから。あなた一人じゃ危ないわ~。いい子だから、大人しくしましょう?」


 マーナリアは優しく俺を抱きしめているが、その拘束は固い。

 こうなると、俺では逃げられないだろう。

 諦めの境地に至りながら、俺はせめてもの抗議をした。


「子供扱いはやめてください。その、恥ずかしいんで」


「それもそうよね~。ごめんなさい」


 俺が言うと、マーナリアはあっさりと了承してくれた。

 あまりにも聞き分けがいいので、俺のほうが驚いてしまった。

 けれども、続く言葉で俺はさらに驚かされる。


「じゃあ、私がカイちゃんのママになってあげる! そうすれば、恥ずかしくないものね~」


 なんで?

 マーナリアは妙案だと言わんばかりに微笑んでいる。

 念の為に言っておくと、俺の両親は故郷で健在だし、親の愛に飢えた不遇な幼少期を過ごしたわけでもない。

 ただ急に出会ったばかりの魔族が俺のママになると言い出しただけだ。


「あ、あの……そういうの間に合ってるので。帰りたいので、もう離してもらっていいですか?」


「うんうん、一緒におうちに帰りましょうね~!」


 マーナリアは俺の話など意に介さずに、ひょいと俺を持ち上げると、そのまま俺を抱きかかえて歩きだした。

 向かった先にあるのは、空間が歪んで出来た、人が通れるぐらいの大きさの謎の穴。

 穴の向こうには、奇妙な空間が広がっている。

 すごく嫌な予感がしたので暴れてみたが、マーナリアの力にかなわず、あっけなく取り押さえられてしまった。


「こら~! 暴れたら危ないわよ~! ほら、ちゃんと大人しくしましょうね~」


 もはや流れに身を任せるしかあるまい。

 意気揚々と空間に空いた穴に入るマーナリアとは対象的に、俺はすっかり気が沈んでいた。


 魔族に魅入られた人間は、例外なく破滅する。

 俺はもう、取り返しのつかない所まで来てしまっているのかもしれない。

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