特別話02 お隣さんと夏祭り①

「はぁ……洋服のお手軽さに敬意を表したい……」


 高二の夏休み。ある日の夕方。


 俺は自宅のリビングで、一人そうため息を溢す。


 なぜ急にそんなことを思ったかと言うと、現在浴衣を着るのに苦戦しているからに他ならない。


 ネットで調べれば余裕だろという考えが甘かったのを痛感したし、いざとなったら日本人の本能が覚醒して、身体が勝手に浴衣を着てくれるだろうという淡い期待も、呆気なく裏切られた。


 途方に暮れていると、ガチャリと玄関扉が解錠される音が聞こえる。そして、どうやら扉が開かれたようだ。


「颯太君、無事着られましたか~?」


 そう声を掛けながらリビングにやって来たのは、紗夜だ。彼女は既に浴衣に着替えている。


 俺は今の有様を見られて少し恥ずかしくなったので、誤魔化すために一つ咳払い。


「も、もうすぐ着られる予定だ……」


「でしょうね。私が来たから」


「うぅん……」


「だから、最初から私が着付けるって言ったんですよ。それなのに颯太君は『日本人なんだから浴衣くらい一人で着られるぞ』って強がって……」


「め、面目ない……」


「ほら、こっち向いてください」


 お願いします、と俺は観念して紗夜の方へ浴衣をただ肩から羽織っただけの無様な姿を向ける。


 そこからは早かった。


 紗夜がてきぱきと俺に浴衣を着せていく。


「はい、出来ました」


「サンキュー紗夜。助かった」


「ふふっ、このくらいわけありませんよ。それにしても颯太君、似合ってますね」


 紗夜が褒めてくれた俺の浴衣は、紺色の縦縞しじらで、帯は黒色。ごく一般的な色合いだが、紗夜が褒めてくれたため特別なもののように感じてしまうのは、流石に紗夜好き過ぎか。


「紗夜も凄く似合ってるぞ。凄く綺麗だ」


「あ、ありがとうございます……」


 照れた紗夜は、結い上げた黒髪にそっと触れる。差し込まれたかんざしの装飾がキラリと輝いて美しい。


 白地に青や紫の朝顔が咲き誇っている柄の浴衣。キュッと引き締められた濃紺の帯。それら全てが紗夜を彩っていて、目が離せない程に綺麗だ。


「では、颯太君。そろそろ行きましょう?」


「そうだな。バスに乗り遅れたら大変だ」


 俺は草履、紗夜は下駄を履いて玄関を出る。


 ――と、なぜこんな風に浴衣を着る状況になっているのかと言えば、話は今から三日ほど前に遡る。



◇◆◇



「紗夜ちぃ~! 見て見てぇ~!!」


「す、鈴音さんっ……そんなにスマホの画面を近付けられたら、見えるものも見られません!」


「えっへへ、ごめんごめん」


 夏休みの宿題を皆で一緒にしようということで、俺と紗夜だけでなく、鈴音と周も紗夜宅のリビングで机を囲っていた。


 今はその休憩中だ(かれこれ三十分は休憩している)。


「えっと、夏祭りですか……?」


「そうそう! ここからちょっと離れてるんだけど、毎年この時期は河川敷でいっぱい屋台が出て夏祭りやってるのぉ~! 花火も打ち上げられて、すっごく楽しいんだよぉ~」


 鈴音が瞳をキラキラと輝かせて紗夜を見詰めたあと、俺の方にも視線を向けてきた。


「つっしぃ~! みんなで一緒に行こうよぉ~!」


「夏祭りか。人多そうだな」


「うわぁ……着眼点がヒッキーだよぉ……」


「うっせ! そうじゃないっての。人込みで紗夜が疲れたりはぐれたりしないかちょっと……」


「そ、颯太君。それは過保護すぎですっ!」


 不満げに頬を膨らませて抗議してくる紗夜に、俺はごめんごめんと笑って誤魔化す。


 それを見た鈴音がやれやれと肩を竦める。


「まったく、つっしーは。紗夜ちー大好きなのはわかるけど、子ども扱いと勘違いしちゃだめだよぉ~」


「そ、そうですよっ! 私だって、きちんと颯太君の手を握ってさえいればはぐれませんし疲れない……それどころか体力回復ですっ!」


「いやこっちもこっちで愛が凄いっ!?」


 鈴音の的確なツッコミはさておき、俺は「そういうことなら……」と了承する。


 すると、周が腕を組んで首を傾げた。


「うぅ~ん。そうなると浴衣だよね。私服でもいいけど、折角ならみんなで浴衣着ない?」


「あっ、めぐるん良いねそれっ! 私も紗夜ちぃ―の浴衣姿見てみたい~! ねっ、つっしー?」


 ほれほれぇ、と鈴音がニタニタ笑みを浮かべて俺に話を振ってくる。


 すると、紗夜がこちらを確かめるように上目を向けてきた。


「そ、そうなんですか……颯太君?」


「ま、まぁ……見たくないわけないよな、そりゃ……」


 ――というわけで、俺達は少し離れたところにある河川敷で開催される夏祭りに参加することになったのだ。



◇◆◇



 時は現在に戻り――――


 俺と紗夜は、バスに揺られて夏祭りが行われている河川敷までやって来た。


 この辺りではそこそこ大きな規模の夏祭りであり、その分人の数もかなり多い。


「紗夜、はぐれないように――」


「――颯太君の手を握っておきますね?」


 俺は紗夜の方へ右手を差し出しながら提案し掛けたが、言い切る前に紗夜が俺の手を取って来た。


 どうやら言わなくてもわかっていたようだ。


「ま、人が少なくてはぐれる心配がなくても繋ぎますけどね?」


 何だろう、この可愛い生き物。


 っと、紗夜に見とれている場合ではなかった。鈴音や周との待ち合わせ場所に急がなくてはならない。


「じゃあ紗夜。手、離すなよ?」


「言われずとも。私はいつだって颯太君の隣にいますよ」


 そう言って微笑む紗夜の姿に、俺は今日何度目か見惚れてしまった。

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