第76話 お隣さんと初デート①

「――くん。颯太君、起きてください」


「ん、うぅん……?」


 フッ、と海の底から海面に浮上してくるように、意識が呼び覚まされる。


 寝起き特有の胡乱とした意識の中、重たい目蓋を開けると、まず最初に飛び込んできたのは朝の眩しさ。


 そして、真上に俺の顔を覗き込むようにある紗夜の顔。


「おはようございます、颯太君。ぐっすり眠っていましたね」


 バッチリ寝顔を見てしまいました、と笑う紗夜だが、別に俺の寝顔なんて見ても特に面白いものでもないだろうにと思う。


 しかし、朝目が覚めたらすぐ紗夜が見られるというのは幸せでしかない。


「昨日夜遅くまで、お義母様とお義父様に質問攻めにされましたもんね。疲れてしまうのも無理ありません」


「ああ、そう言えばそうだったな……」


 紗夜の言葉を聞いて、昨晩の記憶が脳裏に蘇る。


 確か、普段俺と紗夜がどうやって過ごしているのかとか、互いをどう思ってるんだとか、馴れ初めを聞かせろだとかで、父さんと母さんから質問攻めにされたんだった。


「さ、もう朝ご飯が出来ていますよ? 早く降りてきてくださいね」


「わかった」


 紗夜が部屋から去ったあと、意識が鮮明になるのを待ってから俺も部屋を出て階段を降りる。


 ダイニングテーブルには俺の分のトーストサンドとコーヒーが置かれていた。


 どうやら皆すでに朝食は済ませてしまったらしい。


 俺が黙々と朝食を取っていると、タブレットで新聞を読んでいた父さんがリビングのソファーから声を掛けてきた。


「颯太。今日は晴れてることだし、紗夜ちゃんを外に連れて行ったやったらどうだ?」


「あー、確かに。桜の見頃だしな」


 俺はコーヒーを飲み終え、食器をキッチンへ持っていきながら、奏と話をしていた紗夜に声を掛ける。


「紗夜。今日どっか出掛けてみるか?」


 うっわ雑な誘い方、と別に奏に言ったわけでもないのに、奏がドン引きしたような表情を見せる。


 その隣で、紗夜が顔を明るくして立ち上がった。


「デートですねっ?」


「んー、あー、確かにそうなるのか」


 特に何も考えていなかったが、こうやって二人でどこかへ出掛けるのはデートだろう。


 まぁ、それなら今までに何度もしていることになるが、恋人という関係になり、それをデートと認識して出掛けるのは初めてのことだ。


「この街、河川敷に桜並木があるんだが、見に行かないか?」


「はい、もちろん行きます。では準備してきますね?」


「お、おう」


 紗夜は一言奏に「部屋お借りしますね」と断って、奏の軽いノリの「おっけー」を聞いてからリビングを後にする。


 随分と行動の早い紗夜に若干戸惑ったが、リビングの方へ視線を戻すと、父さんと母さんが何やらニヤニヤとこちらを向いてきており、奏に至っては無言で「ちゃんとエスコートしなさいよ?」と睨みを利かせて伝えてきていた。


 俺はそれに「わかってるよ」と苦笑い混じりの視線で答える。


 さて、俺もさっさと顔洗って歯磨きして着替えなければ――――



◇◇◇



「大丈夫か? 歩き疲れてないか?」


 家から桜並木のある河川敷まではやや距離がある。


 紗夜の歩幅に合わせているつもりではあるが、ここまで歩きっぱなしなので疲れていてもおかしくはない。


 すると、紗夜は俺の右腕に絡めた手をキュッと引き寄せて微笑んできた。


「疲れています、と答えたら負ぶってくれるやつですか?」


「い、いや……それは流石に恥ずかしいというか……」


「ふふっ、冗談ですよ。まったく疲れていませんので安心してください」


「からかうなよ……」


「颯太君の反応を見るのは飽きなくて良いですね」


 完全に紗夜のオモチャになりながら歩くこと数分。


 ようやく河川敷の堤防までやってきた。


 階段を上ると、堤防の河川敷側に桜が等間隔に植えられており、それら全てが豪華に花を咲かせている。


 河川敷では、そんな桜を眺めながらレジャーシートの上で軽く飲み食いしている人も多く、花見客で賑わっている。


「これは……綺麗ですね……!」


「だな」


 隣に視線を向けると、紗夜が榛色の瞳を大きく見開いていた。


 今の紗夜の視力では、この桜並木もぼやけてしか見えないだろうが、それでも紗夜が心からこの景色を美しいと思っているのがわかる。


 ただ、俺は何度も見たことのあるこの桜並木の景色より、紗夜の横顔に注意が行ってしまって、横目で盗み見るばかりになってしまっている。


「颯太君、もっと近くに行きましょうっ!」


「わ、わかったから引っ張るなって」


 どちらかというと俺が紗夜を引っ張っていかなければならないはずが、この景色に魅了された紗夜のテンションは高く、今は俺が紗夜に手を引っ張られている始末。


 しかし、本当に今が丁度見頃だったんだな。


 最高潮に咲き誇った桜の花弁が、風に乗ってはらはらと舞っている。


 恐らくあと二日もすれば、ほとんどの花が散ってしまっているだろう。


「ん、紗夜。髪に花弁付いてるぞ」


 どこですか、と自分で頭を触って探ろうとする紗夜を制止して、俺は紗夜の髪の毛に絡まった花弁をそっと取り払う。


「ありがとうございます」


 この桜並木の風景をバックにして微笑む紗夜は、最早一枚の絵になっていた。


 俺はカバンからスマホを取り出し「写真撮って良いか?」と確認を取る。


「別に構いませんよ。あとで一緒のも撮りましょう」


「オッケー」


 俺は紗夜から少し距離を置き、カメラのピントを紗夜に合わせる。


 はいチーズ、というまぁ王道な掛け声でシャッターを切る。


「撮れましたか?」


「ああ。最高の一枚だな」


 ホーム画面の壁紙にしよ、という俺の呟きもどうやら聞こえたようで、紗夜は「だ、誰にも見せないなら別に構いませんよ?」と恥じらいながら言ってくる。


 まぁ、覗き込まれない限りは俺から誰かに見せる予定はないので、大丈夫だろう。


「えっと、次は二人で一緒にだったか?」


「はい!」


 乗り気な紗夜がグッと身体を寄せてくる。


 俺の右腕に当たっている柔らかな弾力の正体を何とか考えないようにしながら、俺はスマホを左手に持ち替え、内カメラにして前方に突き出す。


 自撮り的なことは一度もやったことがないので、カッコよく撮れるアングルとかは知らないから、そこは気にしないことにしておこう。


「んじゃ、撮るぞ?」


「二枚連続でお願いします」


「お、おう」


 再び俺の「はいチーズ」でワンシャッター。


 続けざまに撮影ボタンに指をあてたその瞬間――――


 フワッ……、と温かくて柔らかな感触が頬に伝わり、その正体を理解する前にシャッター音。


 戸惑いが消えない中、撮影した写真の二枚目を見てみると、そこには紗夜が俺の頬にキスをしている姿が映っていた。


 それに、そのときの俺の驚き顔が間抜けで恥ずかしい。


「さ、紗夜……」


「誰も見ていなさそうだったので、おいたしちゃいました」


 仕掛けた自分もどうやら恥ずかしかったようで、紗夜の顔は赤く染まっていた。


「これはお仕置きが必要だな」


「お仕置きですか? ――って、ひゃぁ!?」


 俺は紗夜の頭を撫でると見せ掛けて、耳に優しく触れた。


 紗夜はビクッと身体を震わせて、このあと俺は散々紗夜に優しく怒られたのだった――――

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