第66話 お隣さんと一歩を踏み出す②
ソファーを背もたれ代わりに、俺と紗夜は床に並んで座っている。
夢で見てしまった内容を離す前に、一応前置きというか、警告的なものをしておくべきだろう。
「何というか、紗夜の機嫌を損ねる内容かもしれないし、俺を軽蔑する内容かもしれない」
「夢は見たくなくても見てしまうものですから。私はどんな内容でも気にしませんよ」
それで、そんな夢だったんですか? と聞いてくる紗夜。
純粋な興味で聞いてきているのがわかるからこそ、一層胸の内の申し訳なさがざわつく。
俺は一呼吸間を開けて答えた。
「何というか……紗夜が甘えてくる夢……」
「私がいつも颯太君に甘えてますが?」
「いや、そういうんじゃなくて。こう……刺激的というか、煽情的というか……」
「あ、あぁ……なるほど……」
どうやら伝わったようで、紗夜は反応に困ったように声を漏らした。
横に垂れる髪の毛を、指でクルクルと巻き取って弄んでいる。
紗夜がこの仕草をしているときは、恥ずかしがっているのだということは、俺ももう知っている。
「そ、それで……具体的にどんなことを……?」
「い、いや! 誓って何もしてない!」
確かに夢の中の紗夜に甘く囁かれて、誘われたり促されたりしたが、俺は何もしなかった。
「そ、そうなんですか? それはまたどうして?」
「いや……何というか、まだ早いと思ったし、衝動的にすることではないなと……」
そう答えると、紗夜はキョトンとしたまましばらく瞬きを繰り返してから、口許を押さえて笑った。
「ふふっ、夢の中でも紳士的なんですね」
「いや、見てしまったことに問題がある……」
本当にすまん、と俺が頭を下げると、紗夜は優しく「謝らないでください」といった、俺の頭を上げさせた。
「言ったでしょう? 夢は見てしまうものだって。別に私はこんなことで機嫌を損なったりしませんし、颯太君を軽蔑――ましてや嫌いになんてなったりしません」
その証拠だというように、紗夜は俺の肩に自分の頭を傾けて乗せてくる。
「ただ、その……聞いても良いですか?」
「何だ?」
「颯太君はその……やっぱり、そういうことに興味があったりするんでしょうか?」
「……まぁ、年頃の男子だからな」
「それは、私が対象……というか、私が相手でも、そうですか……?」
「……夢にお前が出たって言ったろ」
「……なるほど」
微妙な沈黙が流れる。
紗夜の体温を感じるし、紗夜の息遣いも聞こえてくる。
そんな中、俺が体重の支えとして床に置いてあった手に、紗夜が自分の手を上からそっと重ねてきた。
「あと一つ、良いですか?」
「ああ」
「夢の中の私は、魅力的でしたか……?」
その質問で、脳裏にワンピース型のパジャマを脱いで、妖艶に微笑む紗夜の姿が浮かび上がってきてしまったが、理性でその影を振り払う。
「紗夜は紗夜だ。夢だろうが現実だろうが俺には魅力的に映るよ」
「うぅっ……! は、はいかいいえで答えてくれればよかったんですっ!」
颯太君のバカっ、と意味不明に怒られてしまった。
また沈黙が過ぎる。
そして、再び紗夜が沈黙を破って口を開いた。
「少しおかしな話かもしれませんけど、私、ちょっとホッとしてます」
「え?」
「だって、二人きりでいるとき、颯太君は何もしてこないじゃないですか。てっきり私には魅力がないんじゃないかと思ってしまったり……」
「い、いや! 何かしたらマズいだろ!?」
「た、確かに颯太君が節操を持ち合わせてるのは知っていますが、それでもこう……何かあるんじゃないかなと思うんです」
「つまり、紗夜は俺に何かしてほしいのか?」
「そ、そういうことではないんですけど……」
自分でもよくわからないです、と曖昧に笑う紗夜。
「でも、もう大丈夫です。だって、颯太君は私を夢にまで連れ込みたいほど好き、なんですよね」
「な、何か引っ掛かる言い方だが……まぁ、そうだな。俺は紗夜が好きだ。魅力がないなんて初めて出会ったあの日から一度だって思ったことないぞ」
「も、もう……颯太君はそういうことをサラッと言ってしまうんですから……」
悪い人です、と紗夜は言葉とは裏腹に、嬉しそうに微笑んだ。
「テストが終わって、春休みになったら……学校もありませんから、のんびり出来ますね」
「そうだな」
「そうなったら、もっと私と颯太君の二人だけの時間を作れると思います」
「ああ」
紗夜が重ねていた手をキュッと握り込んできた。
「だから、その……春休みになったら、もっと関係を深めませんかっ……」
自分で言ったくせに、相当恥ずかしかったのか、身体がビクッと震えたのが伝わってくる。
そして、同時に覚悟も伝わってきた。
俺は握り込まれた紗夜の手を優しく握り返す。
「後戻り出来なくなるぞ?」
「……初めから後戻りするつもりはありません」
「……俺もだよ」
紗夜の方へ顔を向けると、ほぼ同時に紗夜もこちらに顔を向けてきた。
鼻の先端が触れ合いそうなほどの、互いの吐息すら感じられる超至近距離。
紗夜の大きな榛色の瞳と、その縁を彩る長い睫毛。
スッと通った鼻梁に、微かに色付いた柔らかそうな頬。
「目を閉じたら、何かが起こるんでしょうか……」
「どうだろうな。試してみたら良いんじゃないか?」
「そうですね」
紗夜はそう答えると、瞳を目蓋のカーテンの向こう側へと仕舞った。
何かが起きるのを期待するような表情。
俺の視線は、紗夜の薄桜色の唇に吸い込まれていた。
勇気を出すのに尻込みしていると、その口角が僅かに上がって言葉を紡いだ。
「どうやら、何かが起きるまでには時間が掛かりそうですね」
「う、うるさい」
再び閉じられた紗夜の口。
俺は呼吸と精神を整えるように一度息を吐いてから、紗夜の顔に自身の顔を近付けていった。
そして、そのまま紗夜の唇を奪う。
「ん……」
異常なまでに柔らかい感触が、唇越しに伝わってきた。
唇を離すと、紗夜が目蓋を持ち上げて、物欲しそうな甘えた視線を向けてきた。
言葉はなかったが、紗夜はもう一度目を閉じる。
それはまるで、また何かが起きるのを願っているようで――そして、その願いを叶えるのは俺しかいないのだ。
さっきより、勇気を出すのに時間は掛からなかった。
「ぅん……」
時折零れる紗夜の声が、静かなリビングに吸収される。
床の上で重ねられた俺と紗夜の手は、互いの指を探し、絡め合う。
溶けてしまいそうなほどに柔らかな紗夜の唇は熱を帯びており、温かい。
どれくらいの時間こうしていれば良いのかわからず、俺が少し離れようとすれば、指が絡まった紗夜の手が、放すまいと握ってくる。
触れ合っているからわかるはずなのに、まだ俺がここにいるかどうかを、キスしながら僅かにだけ目を開けて確認してくるのが、何とも可愛らしい。
その都度揺れ動く長い睫毛も、何とも色っぽい。
このファーストキスの感触と、初々しさ溢れるくすぐったい気持ちは、一生忘れることはないだろう――――
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