第60話 お隣さんとの特別な関係③

 最近ではすでに慣れた午前七時前になるスマホのアラームで目を覚まし、さっさと朝の支度と、学校に行く準備を整える。


 元々こんな早くに学校に行くのは、紗夜と一緒に登校しているところを他の生徒に見られて要らぬ誤解を生まないためだったが、昨夜ハッキリと互いの気持ちを口にした今の俺と紗夜の関係というのは恋人……で間違いないはずだ。


 間違い、ないよな?


 となると、別に一緒にいるところを見られても、恋人なのだから別に気にする必要はないわけだ。


 ただ、相当な大騒ぎになること間違いなしだろうから、関係をばらしていくとしても少しずつの方が良いだろう。


 となると、最初に伝えるべきはやはり周か。


 そんなことを考えながら、紗夜の家に向かおうと自宅の玄関を出たら、丁度そこに紗夜が立っていた。


 どうやら同じようなタイミングで家を出たらしい。


「おはようございます、颯太君」


「ん、おはよ」


 見慣れたはずの紗夜の微笑みが、どこか新鮮なものに見える。


 関係性が変わっただけで、こうも景色の見え方が違うものなのか……驚くことばかりだ。


「颯太君、大ニュースです」


「どうした?」


「この距離から、颯太君の顔が見えます」


「なっ……つまり、また視力が回復したってことか!?」


「どうやらそのようですね」


「おぉ……!」


 俺と紗夜の彼我の距離は大体四十センチ強といったところか。


「どの程度見える?」


「そうですね……正直なところ鮮明に、とはいきません。でも、颯太君の表情の変化とかはわかりますよ」


「なるほど……視力で言ったら0.3あるかないかってところか」


 当初に比べたらかなり視力が戻ってきている。


 ということは、紗夜が抱えるストレスが徐々に解消されていっているということなのだろう。


 しかし、紗夜の視力障害は近視とは違う。


 眼鏡やコンタクトで矯正したりできないため、逆に言えば紗夜の視界は半径四十センチの円――それより先はぼやけて霞みがかった世界のため、危ないものは危ない。


「ま、でも、良い傾向だな……良かった」


「さ、私の視力のお話はこの辺りにしておいて、早く行きましょう」


「ああ、そうだな」


 いつものように、俺の右腕に紗夜の手がそっと掛けられる。


 マンションのエントランスを出て、学校に向かって歩く。


 そして、その途中でふと思った。


「ってか、歩く分には一人で問題ないんじゃないか?」


 車道側は俺が歩いているし、躓きそうなものがないことも確認済み。


 特に段差もないこの道だったら、わざわざ腕を組まなくても良くなったということではないのだろうか。


「そうですね。歩く分には問題ないと思います。というか、階段だって普通に登れると思います」


「え、じゃあ、その……コレは?」


 俺は紗夜の手が掛かっている自分の右腕を少し持ち上げてみせる。


 すると、紗夜が「それは……」と若干頬を赤く染めながら口籠る。


 そして、チラッと横目を向けてきた。


「……特に理由はありません。私がこうしていたかったからですけど……ダメ、でしたか?」


「い、いや、そんなことはないぞ」


 今までは紗夜の補助という理由があって繋いでいた手だが、こうしてただ繋ぎたいから繋ぐというのは、やっていることは同じはずなのに、妙に気恥ずかしく感じてしまう。


「そ、その……私達、恋人……ですよね?」


 恥ずかしさを帯びながらも、どこか不安げな視線を向けてくる紗夜。


 やはり紗夜も気になっていたのだろう。


 俺も紗夜も互いに好きだということは伝えあったが、別に付き合おうとは言っていなかった。


 では、俺と紗夜は付き合っていないのかというと、それは違うだろう。


「ああ、恋人だ」


「えへへ……」


 紗夜がはにかみながら、少し身体を寄せてくる。


「紗夜?」


「颯太君の隣は、いつまでも私のポジションです」


「最高の隣人を持ったな、俺は」


「それは私もですよ」


 まったく。

 客観的に見たらどんな小恥ずかしい話をしていることかわかったもんじゃない。


 だが、この気恥ずかしさが心地良い。


 心の底から、紗夜と一緒にいたいと――隣にいたいと思える。


 他愛のない話をしながら、まだ登校してきている生徒の少ない時間帯に、下校時と同じく裏門から入った。


 そのとき、そういえば話しておかなければならないことがあるのを思い出す。


「あ、そうだ紗夜。その、これまでは要らぬ噂を立てられないようにってことで、学校では関わらないようにしてたが……えっと、これからはどうする?」


「颯太君はどうしたいですか?」


「俺は……別に知られても良いかなって。ただ、騒ぎ立てられるのを覚悟しておかないとだけど」


「私も別に構いませんよ。というか、むしろ学校で颯太君と話せない方が寂しいです」


 多分それはこれまでのことを言ってきているのだろう。


 紗夜が不満げな半目を向けてくるので、俺は顔を引きつらせてしまう。


「わかった。これからは学校で知らない人の振りをするのはやめよう。でも、いきなり親し気にしてると一気に騒ぎが大きくなるから――」


 わかってますよ、と紗夜が俺の言葉を遮って優しく微笑む。


「徐々に関わる機会を増やしていく、ということですよね」


「そういうことだな」


「でも、颯太君? もちろん私も颯太君との恋人関係を楽しみたい気持ちは溢れんばかりにありますが、学校生活を疎かにしてはいけませんよ?」


「どういうことだ?」


「ほら、もうあと一週間後ですよ。学年末テスト」


「……あ。忘れてた」

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