第59話 お隣さんとの特別な関係②

「おかえりなさい、颯太君。夕食出来てますよ」


「ああ、ただいま……って、何かこのやり取りは色々とレベルが高い気がする……」


「ふふっ、いずれはこういうやり取りも自然に出来るようになりたいですね」


「お、おまっ……そういうことをサラッと……」


 神崎を家まで送って帰ってきた。


 その過程で一事件あった――というか、今回はそのために神崎を家まで送っていったのだが、どうやら紗夜はそのことを察しているようで、特に触れてこない。


 すでにダイニングテーブルの上には今晩の夕食が並んでおり、俺と紗夜はいつものように向かい合って食べた。


 そして、食後はこれまたいつものように紗夜の入れたお茶をすすりながら、ソファーでくつろいでいたのだが、やはり互いに神崎の話題に触れようとしないためか、若干気まずい雰囲気がある。


 そんな中、湯飲みをコトンとテーブルに置いて、最初に口を開いたのは紗夜だった。


「バレンタインの日の放課後。鈴音さん、生徒会があるのに颯太君が来るまで私と一緒に待っていたのを覚えてますか?」


「ん、ああ。バレンタインチョコをくれるためだろ?」


「まぁ、それもあったんですが、私にも用事があったんですよ」


「紗夜に用事?」


 紗夜は静かに首を縦に振る。


「あの日、鈴音さんが颯太君に抱いている気持ちを教えられました。まぁ、鈴音さんが颯太君を好きなことくらいわかってましたから、たいして驚きませんでしたが」


 その言葉を聞いて、俺は神崎が独り言のように呟いていたあの言葉を思い出す。


『でも、そっかぁ~。つっしーが私にこんな話をしてきたってことは……紗夜ちー、上手くいったんだね……』


 そして、紗夜がその言葉の意味を説明するかのように、バレンタインの日の俺の知らない出来事の話を続ける。


「てっきり私、颯太君の取り合いのような関係になってしまうのではないかと思ったんですが、そうはならなくて……」


「神崎はなんて?」


「『諦めさせてよね』って、そう言われました」


「なんか、アイツらしいと言えばらしいな……」


 まったくです、と紗夜はどこか呆れたような笑みを浮かべた。


「鈴音さんなりの背中の押し方だったんでしょう。そう言えば、なかなか告白に踏み出せずにいた私が一歩踏み出せる――いや、踏み出すしかなくなるので」


 だが、それだと神崎の恋は実らない。


 自ら放棄する行為だ。


 今回は俺を巡ってのことだったが、もし俺が逆の立場――例えば紗夜を巡って他の男子と取り合うような形になったら、間違いなく俺は諦められない。


 だったら、神崎はそこまで俺のことが好きではなかったから諦められたのだろうか?


 そんなふと浮かんだ疑問は、次の紗夜の口から出た言葉で解消された。


「鈴音さんは『私はつっしーが好き。でも、紗夜ちーを見てるつっしーのことも好きなんだよ』と、そう言ってました」


「な、何かその言い方だと、いつも俺がお前のこと見てるみたいな……」


「え、見てくれてないんですか?」


「あ、いや……」


 俺が返答に戸惑っていると、紗夜はクスッと笑って俺の顔を覗き込んできた。


「私はずっと見てましたよ? ここに引っ越してきてからずっと、颯太君のことを」


「ん、うぅん……」


「まぁ、実際あまり見えていないのはご愛敬です」


「出たよ。いつものことながら、余計な一言」


 俺は一人クスクスと笑う紗夜にジト目を向けながら、一口お茶を口に含む。


 紗夜の好きな黒豆茶の芳ばしい風味が口一杯に広がって、鼻から抜ける。


「それにしてもまぁ、何というか。俺なんかのどこが良いのかさっぱりわからんな。ましてや美少女二人から好意を寄せられるような魅力があるとは到底思えない……あれ、何か自分で言ってて悲しくなってきたぞ」


「颯太君はまたそうやって自分のことを卑下するんですから」


 悪い癖です、と深いため息を吐きながら紗夜が言ってくる。


「謙虚なのは颯太君の魅力の一つですが、それも行き過ぎるとただの自虐思考ですからね」


「ま、まぁ、確かにそうなんだが……」


「逆接で話を続けようとしないでください。私は人を見る目には自信があります。そんな私が颯太君には魅力があると言ってるんですからそうなんです。それとも颯太君は、私の目を疑ってるんですか?」


「ずるいな。そんな言い方をされると否定できないのを知ってるくせに」


「女はときにずるい生き物なんですよ」


 紗夜はそう言いながら、俺の肩にコトンと頭を乗せてきた。


 俺も特に払い除けることはせず、紗夜の好きなようにさせる。


「さて、颯太君は今、私を待たせている状況です。やっておかなければならないことを済ませた今、颯太君は私に何か言わなければならないんじゃないですか?」


「せ、急かすなよ……」


「あまり長く待たせられると拗ねますよって言ったはずですよ」


「まだ一日しか経ってないだろ」


「乙女心を募らせた一日は意外と長く感じるものです」


「わ、わかったって……」


 俺は一度呼吸と精神を整えるように息を吐き、一度閉じていた目蓋を開く。


 目蓋の裏には、トラウマになる原因となった中学の頃の記憶が広がっていたが、目を開いて今を――紗夜を見る。


 紗夜も一旦俺の肩から頭を離し、俺の方へ真っ直ぐ視線を向けてきている。


「紗夜」


「は、はいっ」


「……何でお前が緊張してんだよ」


「うるさいですっ。早くしてください!」


 ポコッ、と力のないボディーブローを繰り出してくる紗夜の顔は、すでに赤く染まりつつある。


 なので俺は軽く「ごめんごめん」と謝っておき、飛んできた手を下げさせる。


「何というか……正直お前が隣に引っ越してきた当初は、こんな付き合いになるとは想像もしてなくてな。ただ、同じ一人暮らしで隣人同士、特に紗夜は苦労が多いだろうから、そういうときは手伝ってやろうかっていうくらいにしか思ってなかった」


「そこで手伝ってやろうかって自然と思えるのも、颯太君の美徳ですね」


 世話焼きとも言いますが、と口許を手で隠して笑いを溢す紗夜に、俺は「お前も世話焼きだけどな」と返しておく。


「でも、なんだかんだ隣人付き合いしていくうちに、お前のことを深く知っていって……もちろんその中で、紗夜の辛い過去も聞いた。でも、それでも前を向いて進もうとするお前に眩しいものを感じたというか、魅力的に感じたというか……」


「何だかハッキリしませんね」


「う、うるさい。でもまぁ、そんなお前の隣には俺が立っていたいって思ったんだよ。わかりやすい言葉で言えば、独占欲っぽい気もするけど、別に紗夜を俺の傍に縛り付けたいんじゃなくて、紗夜に頼られたいし、紗夜の助けになりたいって思えたんだ」


「そ、颯太君……」


 俺はソファーに座ったまま、右隣に座る紗夜の方へ身体を向ける。


「ま、まぁ、つまり、何だ……」


 いざ言葉にしようとすると、異常に気恥ずかしい。


 心臓は口から飛び出そうと表現するに相応しいほどに早打ちしているし、顔は燃えるように熱い。


 しかし、目の前の紗夜のどこか期待するような表情を見ていると、自覚しないうちに自分の口から言葉が零れ出ていた。


「好きだ、紗夜」


 その言葉が、この部屋に沈黙を作る。


 永遠にも感じられる数秒間、俺と紗夜の視線が交わり続ける。


 そして、紗夜が浮かべた恥じらいながらも甘くとろけたような微笑みが、沈黙を破った――――


「私も好きですよ、颯太君」

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