第57話 お隣さんのチョコは想い②

「そのガトーショコラは……本命、です……」


 紗夜が胸に強く抱き締めた正方形のクッションには、幾本かのしわが走っている。


 恥ずかしさを隠すためか、紗夜の顔下半分はクッションに隠れてしまっているが、それでも頬や耳が真っ赤に紅潮しているのは見て取れる。


 俺はそんな紗夜の姿を視界の中心に映したまま動けずにいた。


 完全にまっさらな脳内で、紗夜の言葉の意味を必死に考える。


 ガトーショコラは本命……つまり、コレは本命チョコだったと?


 本命チョコというのは、すなわち好きな人に渡すものであって、渡されたのは俺。


 結論、紗夜は俺が好きだと。


「な、なるほど……」


「っ……!? わ、私の一世一代の告白を一言で済ませないでくださいよっ!」


「あ、あぁ、いや。何と言うか……現実味がないなと……」


「頬をつねって確かめてあげましょうか」


「あ、いえ。結構です」


 俺の反応に不満なのか、まだ微かに赤らみは残っているものの、紗夜の表情は非常に不服そうで、半目になっている。


 そんな状態で頬など抓らせようものなら、引き千切られかねない。


「何だか、思ってる告白と違いました……」


 もうちょっとムードが出るものだとばかり、と少し残念そうに肩を落としている。


「いや、それはあまりに突然だったからじゃないか? それに、ムードは告白したから作られるんじゃなくて、ムードが作られてから告白するもんだろ」


「何か名言っぽいですが、ご自分にその経験がおありで?」


「いや、ないな」


 甘酸っぱくむず痒い雰囲気など、もはやここには一切なかった。


 互いにクスッと笑みを溢し、少しの間沈黙を噛み締める。


「それで、その……完成度の方はともかく、私は告白したわけですけど……」


 何かないんですか? と紗夜がジッと視線で訴え掛けてくる。


 返答を求められているのはわかるが、貰ったのは本命チョコで、紗夜は俺に好意を寄せていたという事実を教えられた今の状況で、俺は何と返せばいいのかわからなかった。


 もし仮に「好きです。付き合ってください」なら、返答としたらイエスとノーがあるわけだが、「好きです」とだけ言われてるこの状況で、次に俺がすべきことは何なのだろうか。


 というか、それ以前に俺はあまり動揺していない気がする。


 もちろん、告白を受けて胸一杯に広がる幸福感があり、身体が僅かに熱くなっている。


 しかし、こうも冷静にいられるのはやはり――――


「何となく、気付いてた」


 紗夜がパチクリと瞬きを繰り返した。


 そして、「何を言ってるんですか」と若干呆れたように笑って、恥ずかしそうに目を細める。


「散々アピールしてきたんですから、そうでないと困ります。あと、気付くの遅いですよ」


「い、いやほら。単にお前が人と接する距離感が近めの人間なだけかもしれないとか、友達同士のスキンシップの延長のつもりなんじゃないかとかって思ってて……」


 それで気付くのが遅れた――と、そう言おうとして、俺は口籠った。


 それは多分、間違いではないが、正しくもないからだ。


「いや、ごめん。違うな……」


「颯太君?」


「俺は、お前の気持ちに気付かない振りをし続けてきたんだと思う。中学のときに、恋愛でろくでもない目にあったことがあってな……」


「罰ゲーム、のことですよね?」


「ん、何だ。知ってるのか?」


 紗夜が申し訳なさそうに、「奏さんから聞きまして」と言ってくるが、別に紗夜が引け目を感じることは何もない。


「それなら話が早くて助かる。ま、恥ずかしい話、そのせいで俺は恋愛というものにひたすら恐怖を覚えるようになったんだ」


 だから、俺は紗夜から向けられてくる気持ちを、友情や親しみと割り切って、無意識のうちに深く考えないようにしていた。


 そして、自分自身の気持ちにも。


 だが、いくら気持ちに蓋をしても、俺が紗夜に抱いている勘定の正体には、前々から気が付いていた。


 だから、節分の夜に遠回しな言葉で、出来る限りの気持ちを伝えたのだ。


「今までずっとそんな過去のトラウマから逃げてきた。でも、紗夜を見て、俺もしっかり向き合わないとなって思えたんだ」


「私を見て?」


「ああ。お前は俺なんかよりよっぽど辛い目にあった。でも、今こうしてしっかりと前を向けてる。今を見てる」


 そう、俺は過去ばかりを見ていた。


「だから、俺も前を向く努力をするよ。何とか、今を大切に出来るようになる」


「私が今こうしていられるのは、颯太君が立ち直らせてくれたからなんですよ? 私だけの力じゃありません」


「そんなことは――」


「――あります」


 紗夜が否定しようとする俺の口を人差し指で押さえた。


「だから、颯太君も私を頼ってください。私をずっと颯太君の傍に――隣に立たせてください。“特別な隣人”にしてください。そうすれば、隣人同士困ったときはお互い様で、助け合えますから」


「さ、紗夜、お前……“特別な隣人”って……」


「はい。節分の日の夜、颯太君が私に言ってくれた言葉ですよ」


 忘れたんですか、と淡く微笑んで小首を傾げてくる紗夜だが、まさか忘れるはずないだろう。


 あれは、遠回りで不格好で不完全だけど、俺の人生で初めての告白なのだから。


 言ったときは、果たして紗夜に“特別な隣人”の意味がきちんと伝わっているか判断出来なかった。


 ただ俺は、言ったことにひとまずの安心と達成感を覚えていたのだ。


 しかし、どうやら紗夜はその意味をしっかり理解していたらしい。


「意味、伝わってたんだな……」


「はい。それはもうバリバリに」


 そう言われると何だか少し気恥ずかしいが、告白とはそういうものなのだろう。


「それで、どうしたらいいんでしょうか……」


「うぅん……」


 互いに、互いの気持ちは伝わっている。


 しかし、俺はまだ少し、自分自身に納得がいっていなかった。


 紗夜はハッキリと自分の気持ちを口にしたのに対し、俺は直接は言えていない。


 中にはそんな告白もあるだろうが、やはりきちんと伝えたいという思いがあった。


「紗夜」


「はい――って、そ、颯太君……!?」


 俺は紗夜の手を引いて、自分の胸に優しく抱き締める。


 紗夜の身体が一瞬震えたが、それが嫌悪や恐怖ではなく、単純な驚きと困惑であることはわかる。


 少しして、身を完全に委ねるように脱力してきたのが何よりの証拠だ。


「紗夜、少しだけ時間をくれないか?」


「時間、ですか?」


「俺はもう一度お前に自分の気持ちをちゃんと伝えたい。でも、その前にやっておかないといけないことがある」


「……なるほど。確かに」


 どうやら紗夜は俺が何を考えているのかを察したらしい。


 本当に、紗夜は何でもお見通しだ。


「待っててくれるか?」


「はい、待ってます。でも、待たせすぎないでくださいね? 私、拗ねてしまいますよ」


「それはそれで見てみたくはあるな」


「もう……」


 紗夜は俺の腕に収まりながらも抱き締めていたクッションを離し、代わりに俺の腰と背中に手を回した。


 紗夜の体温がじんわりと伝わってくる。


「颯太君の要望に応えて待ってあげる代わりに、私からも一つ良いですか?」


「なんだ?」


「……恥ずかしがらずに、もっとしっかり抱き締めてくださいよ」


「ば、バレてましたか……」


「颯太君のことは、何でもお見通しです」


「こりゃまいったな……」


 俺は一層自分の鼓動が早まるのを感じながら、紗夜の身体を抱き締める腕に優しく力を込めた。


 夕日の差し込む暖かな色合いの部屋には、ただひたすら静寂が広がっている。


 聞こえるのは、自分の鼓動と、呼吸音と、紗夜がほんの僅かにだけ囁いた――――





「――好き」

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