第51話 お隣さんは譲れない①

 神崎邸での、名付けて『豆戦争』が集結したあと、部屋中に散らばった豆を掃除するのが大変だったが、なんとかそれも片付け、今こうして紗夜と帰宅中である。


 辺りはすっかり夜闇に包まれており、等間隔に灯る街灯の明かりが、点々と夜道を照らしている。


「……」


「……」


 この時間帯独特の背徳的な静けさの中で、俺と紗夜の間にもどこか気まずい沈黙が流れていた。


 何か、紗夜の機嫌が悪い気がする……。


 俺の右腕にいつものように手を掛けて隣を歩いている紗夜だが、見てみれば僅かに口先が尖っているし、目も半目に近い。


「な、なぁ、紗夜」


「何でしょうか」


 返事がやけに素っ気ない。


「えっと、俺なんかやっちゃいましたかね?」


「……別に」


 僅かな間を置いてから、紗夜の口から返答される。


「いや、明らかに不機嫌そうというか……無自覚で俺が何かやってしまったのなら、すまん」


 しばらく紗夜は黙ったままだったが、やがて「はぁ……」という重たいため息が沈黙を破った。


「いえ、こちらこそごめんなさい。別に颯太君のせいではないんです」


 俺の腕に添えられた紗夜の手に、微かに力が入り、キュッと握られる。


「別に颯太君は誰のものでもないのに……嫉妬、と言うやつです……」


「嫉妬?」


 自分にこんな独占欲があるとは知りませんでした、と紗夜はどこか残念そうにため息を溢す。


「私にとって、颯太君も鈴音さんも大切な友人です。多分、颯太君も鈴音さんのことを友人と認識していると思います」


「まぁな」


 いちいち騒がしいし、お馬鹿な行動も目立つが、不思議と鬱陶しいとまでは感じない神崎。


 それらも明るい性格と割り切ることが出来るし、まぁ、俺にとっても友達だ。


「でも、その……颯太君と鈴音さんが二人で楽しそうにやり取りしているのを見ると、鈴音さんに対して『私の方が颯太君と長い付き合いなんだぞ』っていう気持ちが芽生えてしまうんです」


 紗夜は自嘲気味に笑って、「何だか私、重たい女みたいになってますね」と呟くが、人間誰しもそういった感情はあるだろう。


 別に意識的に友人にランク付けしなくとも、やはり付き合いの長さであったり会話の頻度、性格の調和性……色んな要因で、そうしても個々人の中で親しい関係の中にも上下が生まれてしまう。


「もう一度言いますが、私にとって鈴音さんは大切な友人。これからも仲良くしていきたいと心から思っていますし、そのための努力を惜しむつもりもありません」


 少し間を置いて、「でも――」と紗夜は続ける。


「やはり、私は颯太君の一番の理解者で、一番近しい存在としてありたい……颯太君が鈴音さんと仲良くなってくれるのは私としても嬉しい限りですが、その……私より颯太君が鈴音さんと近しい関係になるというのは少々思うところがあります……」


 ある街灯の下で、紗夜が静かに立ち止まる。


 右腕からその感覚を察して、俺も足を止めて紗夜の方に振り返る。


 今どきでは少し珍しい、まだLEDに取り換えられていない街灯の明かりは淡い暖色で、頭上から紗夜の黒髪を照らす。


 瑞々しい白肌は、街灯の明かりを反射して淡く発光しているようにも見えるし、何より、こちらへ真っ直ぐ向けられた紗夜の榛色の瞳が、高純度の宝石のように燦爛と煌めいている。


 口には出さないが、息を呑むほどに綺麗で、可愛いと思った。


 目が釘付けになるとはまさにこのことで、ペースメーカーが狂ったかのように鼓動が早打ちしているはずなのに、その音は全く聞こえず、むしろいつもより格段に昇華された集中力が全て紗夜に向けられている。


「こんな質問は最低だと思います。嫌われるかもしれません。軽蔑するならそれも受け入れます。でも、聞かせてください……」


 俺の右袖をキュッと摘まんだ紗夜は、恥ずかしそうに顔を赤らめながらも、真剣な表情を向けてくる。


「私と鈴音さん……どちらの方が大切ですか……?」


「そ、それはっ……」


 俺は口籠った。


 当然長い付き合いで、毎日料理も振舞ってくれる紗夜だと迷わずに答えたい。


 しかし、ならば神崎は大切ではないのかと問われれば断じて否だ。


 もしここに神崎も同席しているのであれば、誰であろうと答えられないはずだ。


 でもここにはいない。


 紗夜は俺の返答を絶対に外部に漏らしたりしないだろうし、ここは素直に聞いてきている本人の方が大切だと答えてしまえば問題ないはず。


 しかし、そんな薄っぺらな回答じゃ、紗夜は見抜いてくる。


 心からの言葉でないと、意味がない。


「颯太君が鈴音さんと接するときには、遠慮がないと思います。文字通り、言葉通りの気の置けない仲……眩しいです。憧れます。羨ましいです……」


「い、いやっ。それは紗夜とだって同じだ! 俺は別に紗夜に対して何かを遠慮したりしているつもりは――」


「――でもっ! 颯太君は私の前では見せない顔を、鈴音さんには見せています! 私は颯太君に叩かれたことも、怒られたことも、馬鹿みたいにはしゃいだこともありませんっ! それは、颯太君が私と一定の距離を置こうとしてるからじゃないんですかっ!?」


「ち、違うっ……キャラとかがあるだろ! 人それぞれ接し方が違うのは別に変なことじゃないだろ!?」


「そんなことわかってますっ! そんな正論が聞きたいんじゃありませんよっ!」


 紗夜が俺の袖を思い切り掴む。


 所詮は線の細い女子の力で、少し身体が引っ張られる程度ではあったが、それ以上に重く感情が引っ張られた気がした。


 気が付けば、紗夜の瞳にはジワリと薄く涙が滲んでおり、降り注ぐ街灯の明かりのせいで、その涙を一層際立たせていた――――

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