第50話 お隣さんと鬼退治②

 夕食は冷蔵庫に十分な量の食材が揃っていたため、それを使って紗夜が作った。


 調理器具がどれも上物だと紗夜が目を輝かせていたが、ほとんど料理をしない俺と神崎はよくわかっていなかった。


 そして、三人家族にしては広すぎるダイニングに堂々と陣取る、見るからに高級な長テーブルに紗夜の料理が並んだ。


 洋風な空間で、恵方である北北西を向きながら黙々と紗夜お手製の恵方巻を食べたときは、心の中で「和洋折衷極まりないな」と突っ込んでしまった。


 そして、戻ってきた神崎の自室――――


「いや、お前。豆買いすぎだろ」


「あはは……」


 俺が視線を向けた先には、段ボールにピッタリと入った大きな豆の袋――その数十二袋。


 どうやら、文字通り箱買いしたらしい。


 これにはさすがの紗夜も、呆れ笑いを禁じ得ないようだ。


「大は小を兼ねる! 多は少を兼ねる! 足りないなんてことがあったら駄目だからねぇ~」


「このサイズだったら一袋で充分だろ!? 絶対食べきれないからなコレッ!?」


「ま、まぁ、炒ってあるので日持ちします。コツコツ食べていくしかないですね……」


 呆れる俺と紗夜の心中など露知らず、神崎はそそくさと段ボールから一袋取り出し、開封。

 大きな袋の中には個包装された豆があり、神崎はそれらを俺と紗夜に手渡す。


「箱っぽいのもあるけど、どーする~?」


「掃除大変だし、撒かずに普通に食べよう」


 紗夜に「それで良いか?」と確認すると、「正しいやり方ではないですが、掃除が大変なのも事実ですしね」と頷いてきた。


「味付いてる豆もあるからねぇ~」


 早速ボリボリと食べ始める神崎。


 俺と紗夜も個包装の袋を開けて、食べ始める。


 美味しいのは美味しいのだが、こう豆ばかりを食べていると、口内の水分が持っていかれてしまう。


 しかし、そのことは神崎も想定していたようで、お茶とグラスが用意されていたので、そちらへ手を伸ばそうとしたところ――――


 ――ポン。コロコロ…………


 何か腕に小さくて軽い衝撃を感じたと思ったら、床に豆が一粒転がっていた。


 ……まぁ、あとで拾っとけば良いか。それよりお茶お茶を――――


 ――ポン。コロコロ…………


 再び小さなものが当たる感覚。床に転がっている豆が一つ増えていた。


「……おい」


「な、何かなぁ」


 ジッと睨むと、神崎は素知らぬ顔をして首を傾げる。


 視線は泳いでいるし、表情は強張ってるしで、ポーカーフェイスのポの字もないが、そのお陰で証拠はここに上がっている。


 俺は自分の袋から豆を一粒取り出して、人差し指と親指の間に挟み、コイントスの要領で神崎に向けてファイア。


「――痛てっ!?」


「ふっ」


 俺がニヒルな笑みを湛えて勝ち誇っていると、神崎は「やったなぁー!」と仕返しにまた豆を投げてくる。


「やったなー、はこっちのセリフなんだよ!」


「だってだって! 鬼は外じゃんっ!」


「言ってる意味がわからん」


「つっしーいつも私のこといじめてくるもんっ! 鬼だよ鬼ぃ~!」


 そう言いながら、今度は豆をいくつか手に握って投げてくる。


「そうか、わかった……」


 俺は覚悟を決めた。


 そう。別にここは俺の部屋じゃない。

 いくら汚れようが、あとの掃除が大変になろうが、俺の知ったことではないのだ。


 あぁ、なぜそんな簡単のことに今まで気が付かなかったのか。


 俺は自分の袋に手を突っ込み、豆を握り込む。


 そして――――


「ほりゃぁ――」


 豆は下手投げで撒くものらしい。


 だから、俺はしっかりとアンダースローで手首のスナップを利かせ、無数の豆を投擲する。


 まるで散弾銃ショットガンから射出された弾丸の如く、宙に散乱する豆は、まっすぐ神崎の身体に襲い掛かった。


「いったいっ! もう! 仕返しだぁ~!!」


 そう言って神崎も応戦してくるが、正確には俺の方が仕返しする立場であって、神崎は仕掛け人だろうに。


 しかし、そちらが仕掛けたなど、一度始まった戦争には意味のないことだ。


 宙を飛び交う無数の弾丸まめ


 部屋に鳴り響く楽しげな悲鳴。


「こら、二人とも。子供じゃないんですから」


「ごめん紗夜ちー。ときには引けない戦いっていうのがあってね……今がそのときなんだよっ!」


「と言うわけだ。悪いな紗夜」


 まったく……、と呆れながらも柔らかい表情を浮かべている紗夜の前で、俺と神崎の激闘が繰り広げられる。


「ちょっと、暑いね……!」


 神崎は制服のブレザーを脱ぎ、リボンを外して、シャツの第二ボタン辺りまで外す。


 中にカーディガンを着ていたからよかったが、もし着てない状態で第二ボタンまで開けたら、目の毒になりかねないモノが見えていただろう。


 しかし、敵前にして隙だらけ。


 俺はこんな神崎に一瞬でも心臓を跳ねさせてしまった事実を心の内に隠しながら、右手に豆を握り込み――――


「隙ありッ!!」


「ちょ、たんま――!?」


 パチパチパチ――と、豆が神崎に襲い掛かった。


「お、ちょうど豆がなくなったか。でもまぁ、俺の勝ちだろ」


「……」


「ん、どうした神崎?」


 てっきり「まだ勝負は終わってないもん!」とか「つっしー容赦なさすぎぃ~」とか言ってくるかと思ったが、予想を外れて神崎は黙りこくっていた。


 妙な沈黙の中、神崎が不満げに口を尖らせて、ジト目を向けてきた。


 微かに頬が赤く染まって見えるのは、割と激しく運動したからだろう。


「もう、服の中に豆が入ってきたよぉ」


「そりゃ、そんだけ襟首開けてたらそうなるだろ」


 俺の知ったことではないので、「ふぅ」と一度息を吐いて呼吸を整える。


 そんな俺の前で、神崎はスカートに入れ込んでいたシャツを外に出し、身体を揺する。


「あれぇ、豆が出てこない?」


「んじゃ、入ってないんじゃないのか? 気のせいとか」


「いや、今も違和感が……って、あ……」


「何だよ」


「……つっしーの豆はエッチ何だからぁ……」


「ブッ――!? ば、馬鹿変なこと言うな!? 何かそういう隠語がありそうに聞こえるだろうが!?」


「だってぇ~。下着の中に入ってるんだも~ん」


「知るか!」


 隣から紗夜の視線が痛いが、微妙にこの距離は紗夜の視界の範囲外なので、俺の表情までは見えていないはずだ。


「って、おまっ……そういうことはせめて後ろ向いてやれっ!」


「大丈夫だよぉ。すぐ取れるからぁ~」


「そういうことじゃなくてだな……」


 シャツの下から手を突っ込んで、上の下着の中に入ったらしい豆を取ろうとする神崎。


 捲れたシャツの下からしっかりと引き締まったウエストが丸見えだし、さらに言えば直接見えていないとはいえ、胸の辺りで手をモゾモゾされると、その下で一体何が行われているのか勝手に頭が想像してしまう。


 俺はスッと視線を逸らしておく。


「あ、そうだぁ~」


 神崎の声色が、妙に悪戯っぽく聞こえた。


「ねえねえ、つっしー!」


 どうやら豆は取り終えたようなので、俺は視線を神崎の方へ向けると――――


「――ッ!?」


 宙ばら撒かれた無数の豆が俺の視界を塞ぐ。


 咄嗟に目を閉じて手で豆の直撃を防いだが、どうやらその間に神崎が距離を詰めてきたらしい。


「あーん」


「あ、あーん……って豆……?」


 あーん、と言われて半ば本能的に口を開いてしまったところに、神崎が何か入れてきたので、試しに嚙んでみると、普通に豆だった。


 そして、普通に美味しい。


「これがどうかしたのか――」


 ――と、俺はそこまで口にして、神崎のちょっぴり恥ずかしそうにしながらも、してやったりと言わんばかりの表情を見て嫌な予感を覚えた。


「……お、お前……まさかこの豆っ……」


 顔が一気に熱くなる。


 そんな俺の耳元に神崎が自身の口を寄せてきて――――


「(さぁ、どうだろうねぇ~?)」


「っ……!?」


「(紗夜ちーばっか見てると、足元すくわれちゃうぞぉ~)」


 意味不明なことを囁き、距離を取った神崎は、悪戯っぽく笑っていた――――

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