第47話 お隣さんは見えている①
紗夜の視力がまた少し回復したという、俺の誕生日から数日が経過していた。
まだ普通に見えていた頃と比べられるほど回復したわけではないが、それでも眼前三十センチくらいは見えるようになっているようだ。
目でモノを見ることが当たり前の人にとったらたいしたことのない変化かもしれない。
しかし、僅かかもしれないこの変化は、確かに紗夜の日常のちょっとしたところにも表れていた。
スマホを操作するとき、あまり目元まで近付けなくなった。
文字を書くとき、机と頭の距離が離れた。
歩くのも少し早くなったし、料理する手際も一層良くなり、行動全般若干スムーズになっただろうか。
そして、よく周りを見渡したりして景色を眺めるようになった。
本人曰く、ピントをまったく合わせずに撮った写真のような景色が広がっているらしい。
ただ、見るのが景色なら別に文句はないのだが、家で並んでソファーに座っているときや、対面でご飯を食べているときに、やたら俺の方をジッと見詰めてくるようになったので、それはどうにかしてもらいたい。
こちらとしては、非常に気恥ずかしくて居たたまれない気持ちになる。
まぁ、何にせよ。
そんな変化が表れている紗夜は、俺と一緒に生徒会室にやって来ていた――――
「いやぁ、二人とも助かるよぉ~。先輩達にこの部屋の整理頼まれたんだけど、何しろ生徒会は人員不足なものでしてぇ~」
長机の上に乱雑に積み重なった書類を取って、種類ごとにファイリングしていく神崎が、「はぁ……」とため息を吐きながら事情を説明してくる。
「そりゃ、お前みたいなのを生徒会に入れなきゃならん状況な時点で人員不足なんだろうなとは思ってたが……だとしてももう少し人手があるだろ」
「ひ、酷い言われよう!? つっしー私のことなんだと思ってんのっ!?」
「え、だって神崎って……神崎じゃん?」
「神崎を何かの形容詞みたいに使うの止めてぇ~! ってか、全国の神崎さんに謝れぇ!」
「あぁ、こんな神崎と同じ苗字だなんて……全国の神崎さん可哀想に……」
「うわぁあああん! 紗夜ちぃ~! つっしーが私のこといじめるよぉ~!!」
嘘泣き叫びながらも、書類を綴じ終わったファイルを紗夜に手渡していく神崎。
紗夜はそんな神崎から苦笑いでファイルを受け取ると、生徒会室の棚に順番に仕舞っていきながら口を開く。
「どうやら颯太君は、鈴音さんを見るなりいじめずにはいられない性分らしいので、許してあげてください」
「おい紗夜。言葉だけ聞くと、なかなか過激な趣味を持ってる奴と勘違いされそうなんだが」
「身体的に嬲るのではなく、颯太君は言葉攻めですもんね?」
「何かテクニシャンみたいに言うの止めてもらっても?」
「なら、ドSですかね?」
「ドはつかないな」
確かにSかMかで問われたら俺はSだと答えるだろう。
なら紗夜はどうだろうか。
からかってくるときはSっ気があるが、頭を撫でられて嬉しそうにしているときなどは、そんな感じではない。
「うぅん……よくわからん……」
「私がSかMかがですか?」
「あ、あぁ……ってか、相変わらずお見通しってワケか。最近、お前は心が読めるんじゃないかと疑ってるぞ」
さぁ、どうでしょうか? とクスクス悪戯っぽく笑ってくる紗夜。
こういうときは本当にSだろうなと言える。
「ねぇねぇ! 私は私は!?」
「考えるまでもなくMだろ」
「どう見てもMですね」
「即答ッ!?」
意外そうに目を丸くして驚いている神崎の横で、紗夜が「まぁ、どう見るも何もほとんど見えてませんけどね」と呟いて一人笑っていたが、俺は心の中で、最近見えてきてるけどな、と突っ込んでおく。
「えぇ~! どうして私Mぅ~!?」
「なら逆に鈴音さんに聞きますが、これから先、颯太君が弄ってくれなくなったらどうしますか? 二度といじめられなくなるんですよ?」
「えっ……う、うぅん……何かヤダ。寂しいよぉ」
「おい、俺でSM診断するな」
「キャー! 紗夜ちー! つっしーが睨んできてるよぉ~!」
「お前も睨まれて喜ぶな」
「ぁ痛ったいっ!」
要らなそうな書類を紐で縛って部屋の隅に置くついでに、神崎の額を一発指で弾いておいた。
「もぉう! 女の子に乱暴とかしたらいけないんだぞぉ~!」
「最近男女差別は流行らんぞ」
「そういうことじゃないんだよぉ! もう……これで顔が痣だらけとかになってお嫁に行けなくなったら責任取ってよねぇ~!」
「デコピンで大袈裟だな」
それに、俺が責任を取らなくても、神崎なら俺なんかよりよっぽど良い男と付き合うことだって出来るはずだ。
「それにしても、だいぶ片付いたんじゃないですか? 書類の整理もあと少しですし――きゃっ!?」
「紗夜ッ!?」
並んである椅子の足に引っ掛かった紗夜が、足を取られ重心を崩し、そのまま前に倒れ込む。
俺は反射的に駆け寄り、紗夜の身体を前から支えるように回り込むが、何しろ俺も咄嗟のことで、身体のバランスなんて考えていない。
紗夜の体重を身体の前面に受け、何とか腕で抱え込みはしたものの踏み止まることは叶わなかった。
ドサッ!
生徒会室に鈍い音が響くと共に、俺の背面をそこそこの衝撃と鈍痛が襲った。
「だ、大丈夫紗夜ちー!?」
神崎も勢いよく席を立ち、紗夜を心配する。
徐々に痛みが引いていき、俺も紗夜に「大丈夫か?」と声を掛けつつも、改めて自分の腕の中に紗夜がいることを自覚する。
身体の前面にしっかりと感じる二つの弾力。ちょっとの衝撃で折れてしまいそうな細い身体は驚くほどに柔らかく、自分との性別の違いを鮮明に理解させられる。
「ご、ごめんなさい颯太君っ! 颯太君の方こそ大丈夫でしたかっ!?」
「あ、あぁ」
紗夜が俺の身体の上に跨ったまま顔を覗き込んでくるので、紗夜の艶やかな黒髪がカーテンのように垂れてくる。
そのため、視界が遮られてしまって、紗夜の顔しか見えない上に、この吐息すら感じ取れる至近距離だ。
俺の心臓が悲鳴を上げている。
「この状態は色々とマズイぞ……」
「――ッ!?」
傍から見ればこの状況、紗夜が俺を床に押し倒しているようにしか見えない。
紗夜もそのことを理解したようで、みるみる顔を赤く染め上げていき、咄嗟に俺の身体の上から降りた。
「ま、まぁ……紗夜が無事で何よりだ……」
「ホントだよ紗夜ち~。心臓止まるかと思ったぁ」
「ごめんなさい。心配をお掛けしました」
紗夜はスカートを何度か叩いて埃を落としてから、ペコリと頭を下げた。
「目が少し見えるようになってきて、逆に注意が疎かになってしまっていました……」
確かに、今までだったら全ての行動に慎重さがあった。
しかし、こうして少し周囲の環境が見えるようになってきたからこそ、視覚に頼って油断が出来てしまったのだろう。
「それにしてもつっしー、ナイスカバーだったねぇ! 私が転びそうになっても助けてね~?」
「お前は転んでもケロッとしてそうだな」
「転ばさないで! 助けてよぉ!」
生徒会室に三人の笑い声が響いた――――
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