第46話 お隣さんは祝いたい④

「よぉ~し! 私はそろそろお暇しようかなぁ~」


 ケーキを食べ終わり、しばらく三人でお茶を楽しみながら雑談に耽っていたが、スマホで時刻を確認した神崎がそう言って立ち上がる。


「あ、なら送って――ちょぉいっ!?」


 俺も同じように立ち上がり、前のように神崎を家まで送ろうと思ったのだが、突然グッと腕を引かれ、神崎が俺の耳元に顔を近付けた。


「(バカ! 本当につっしーバカ!)」


「(な、何がッ!?)」


 恐らく紗夜に聞こえないようにするためだろう――神崎が潜めた声で突然罵倒してきた。


「(そこまで空気読めないと、ほんっと愛想尽かされちゃうよぉ~?)」


「(さっきから何のことだ?)」


「(わっかんないかなぁ~。まぁ、わかんないんだろうねぇ~)」


 こりゃ駄目だと言わんばかりの呆れ顔でため息を吐く神崎。


 俺の耳元から顔を離すと、そのまま一人玄関の方へ歩いていく。


「ともかく、今日は送ってくれなくていいから~! 誕生日を楽しむんだぞつっしぃ~!」


「はぁ……?」


 戸惑う俺に構わず、神崎はそのままリビングから姿を消し、やがて玄関の扉が閉まる音が聞こえた。


「何だったんだアイツ……?」


 一度玄関の鍵を閉めに行ってリビングに戻ってきた。


 すると、ソファーに腰を下ろしたままだった紗夜が小さく笑って「鈴音さんに気を遣わせてしまいました」と呟いている。


「何に気を遣うんだ?」


「えへへ。ちょっと待っててください」


「あぁ」


 紗夜は一言言って席を立つと、一旦自室に入ってから、少しの間を置いてリビングに戻ってくる。


 その手には、リボンで綺麗に結んである見慣れない小袋があった。


 紗夜は改めてソファーに腰を下ろし、身体ごと俺の方へ向ける。


「颯太君、改めてお誕生日おめでとうございます。これは、私からのプレゼントです」


「おぉ……!」


 差し出された小袋を受け取り「開けても良いか?」と確認すると、紗夜は「もちろんです」と淡く微笑む。


 俺は丁寧にリボンを解き、中に入っているものを取り出す。


「キーケースか!」


「は、はい。その……颯太君の欲しいものではないかもしれませんが……」


 紗夜が不安げに視線を伏せたので、俺はそんな紗夜の下がった頭に優しく手を乗せる。


 紗夜のことだ。

 俺のために本気でプレゼントを考えてくれたに違いない。


 そして、それを渡したときに喜んでもらえるかどうか不安でもあったのだろう。


「そ、颯太君?」


「ありがとな、紗夜」


 紗夜の不安げな瞳は徐々に大きく見開かれていき、キラリと部屋の照明を大きく反射した。


 そして、屈託のない笑顔を浮かべて、頭に乗せられた俺の手に擦り寄る。


 口にはしてこないが、それが撫でて欲しいアピールであることはすぐに理解出来たので、少々胸がざわつくが、しばらく好きなようにしてやった。


「それにしてもレザーとは、なかなか洒落てるな」


 もういいだろうと思って紗夜の頭から手を離すと、紗夜が「ぁ……」と物寂しそうに声を漏らした。


 微妙に申し訳なさが芽生えたが、今は折角もらったキーケースの中も見てみたかったのだ。


 パチッとボタンを外し、中を開くと――――


「あれ……? もう鍵がある……?」


 一瞬見本的なやつかなとも思ったが、それにしては明らかに作り込みが精緻だし、何より、俺にとっても凄く身近な形状の鍵だった。


 ゆっくり紗夜に視線を向けると、気恥ずかしそうに横に垂れる髪を指で巻き取って弄っていた。


「これ、このマンションの鍵だよな?」


「はい。えぇっと……この家の、合鍵です……」


「あ、合鍵ッ!? な、なぜ……」


 思わず裏返りそうになる声を何とか抑えながら聞くと、紗夜が一瞬ビクッと身体を震えさせるが、一度咳ばらいを挟んでから答えた。


「ほ、ほらっ……颯太君、家によく来るようになりましたし、毎回インターホンを鳴らして私が鍵を開けに行くっていうのも手間じゃないですか?」


 なんだか妙に言い訳染みた口調だが、確かに紗夜の言っていることは一理ある。


 目のあまり見えない紗夜にとったら、慣れた家の中だとしても極力移動は避けたいはずだ。


 それを、俺が来るたびに玄関まで足を運ぶというのは、もしかすると結構な負担になるのかもしれない。


 しかし、不用意に他人に合鍵などを渡さない方が良いというのも事実。


 うぅん、と俺が唸りを上げていると、紗夜が小首を傾げながら恥ずかしそうに上目を向けてきた。


「それに……」


「それに?」


「すでにここは、颯太君の帰ってくる場所になってるんですよ……?」


「な、何か誤解を生むような表現だが……確かに……」


 そう。確かに最近は紗夜の家でくつろいでいる時間が長い。


 学校から帰れば着替えてここに来るし、ご飯もここで食べる。


 逆に自宅ですることと言ったら、入浴と睡眠……強いて言うなら着替えくらいなものだ。


「私、颯太君といると何だか落ち着くんです。地元では感じられなかった温かさとでも言いますか……」


 紗夜は静かにそう呟きながら、俺の手にあったキーケース――正確には、その中に付けられた合鍵にそっと触れる。


「だから、私と同じように、颯太君にとってもここが落ち着きを感じられる場所になってくれれば良いなって……そう、思って……」


 俺も、紗夜と同じだ。


 中学の頃のトラウマがあって、あれ以降女子から――いや、出来るだけ人から距離を置くような生活をしてきた。


 そんなことをしてもトラウマが克服されるわけもなく、むしろそれから逃げてばかりいる自分に虚しさすら感じていた。


 でも、紗夜と出会って、一緒にいる時間が増えていって、気が付けばいつも当たり前のように隣にいるような存在になっていた。


 不思議と怖くなかった。


 また裏切られるとか、良いように使われてるとか思わなかった。


 それが、紗夜も俺と同じように過去や地元に負い目を持っているためなのか、それとも別の理由があるのかは定かでないが、俺も紗夜の隣にいると――――


「――落ち着くよ」


「え?」


「俺も、紗夜といると落ち着く。この家に入り浸ってしまうほどにはな」


「颯太君……」


 驚きと不思議が入り交ざったような何とも言えない表情で、ポカンと見詰めてくる紗夜。


 恥ずかしいからあんまり見ないでくれと言う意味を込めて紗夜の頭に手を伸ばし、ワシャワシャと撫でるが、その手を紗夜が両手で優しく包み込むように掴んで、やはり俺を見詰め続けてくる。


 何度もその大きな榛色の瞳を瞬かせている。


 そして、黙りこくっていた紗夜が、鈴を転がすような声を出した。


「颯太君……顔、真っ赤です……」


「う、うっせ! こっち見ん、な……? え?」


「颯太君の顔が赤い……」


「さ、紗夜……? お前……目がっ……」


 紗夜は一度大きく瞳を見開いてから、嬉しそうに目を細めて、まっすぐ俺を――――

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