第48話 お隣さんは見えている②
新年を迎え、初詣があったり、紗夜の凛清高校への初登校があったり、俺の誕生日があったりと、なかなかイベント盛り沢山だった一月が終わりを告げた。
これまで過ごしてきたどの一月よりも密度が高かったというか……それも、クリスマスの夕方に紗夜と出会ったことがすべての始まりだったのだ。
紗夜がいなければ、初詣も適当に参拝する程度――下手したら神社に行かなかったかもしれないし、三学期の開始だって特に代わり映えもしなかっただろう。
まして自分の誕生日なんて祝いもしなかったはずだ。
そう考えると、こう充実した毎日を過ごせているのは紗夜のせいと言うかお陰と言うか…………
そんなことを考えながら、自宅で制服から部屋着に着替えた俺は、合鍵で紗夜宅の扉をガチャリと解錠する。
「お邪魔しまーす」
一言声を掛けていつものように靴を脱ぐ。
若干籠ったような声で「どうぞ~」と聞こえたので、もしかすると紗夜はリビングではなく自室にいるのかもしれない。
案の定リビングに入ったら人影はなく、少しして紗夜の部屋の扉が開いた。
「すみません。着替えていたのもですから」
そう言いながら部屋から出てきた紗夜は、厚手のパーカーにロングスカートといった、ゆったりとした格好をしている。
「あー、そうだよな。俺ももうちょっと時間ずらして来た方が良かったかも」
「いえいえ。お気になさらず」
「いや、気にするだろ。もしお前がリビングとかで着替えてるところに俺が合鍵で入ってきたら大事件だ」
これまで特に何も考えず、紗夜から貰ったキーケースに入れてある合鍵で入って来ていたが、鍵を開ける前に何かワンアクションあった方が良いかもしれない。
気をつけよ、と小さく呟いて自分に言い聞かせながらソファーに座る。
紗夜はキッチンに向かい、お茶を出す準備をするようだ。
「別に大事件と言うほどでは……まぁ、そういうことがあるかもしれないと思って極力自室で着替えるようにはしていますし」
でも、と紗夜が続ける。
「別に颯太君に多少見られても気にしませんよ?」
そんな言葉に、俺は反射的にキッチンに立つ紗夜の方へ視線を向けたが、紗夜は今こちらに背を向けた状態のため顔が見えなかった。
平然とそんなことを言ったのか、それとも恥ずかしがって……?
まぁ、紗夜のことだ。
いつものように無自覚でとんでも発言をしてしまったのだろう。
「気にしろバカ……」
「颯太君は風邪引いたとき、私の前で急に脱ぎだしましたけど?」
「な、懐かしいな……って、語弊を生むような言い方するなっ。汗拭くために上だけ脱いだだけだろ」
「なら、私が汗を拭きたいからって、颯太君の前で上を脱ぎだしたらどうしますか?」
お茶の入ったポットと湯飲みを紗夜がお盆に置いたので、俺はソファーから立って取りに行く。
お盆を受け取った俺のことを、紗夜がチラッと見てきたような気がするが、手に持っているものを落としては大変なので、注意をそちらに向けた。
「どうしますかと言われても……止める以外の選択肢あるか?」
「颯太君は良いのに、私は脱いだら駄目というのはいささか理不尽ですね」
「全然理不尽じゃない。男子の上裸なんてそう珍しいもんじゃないが、女子となってくると話が別だろ」
「私にとったら男性の上裸の方が珍しいものですよ?」
「そりゃお前が女子だからな。自分の上裸なんて見慣れてるだろ」
「最近はあまり見えませんでしたが」
「……突っ込みづらいからやめてくれ……」
「ふふっ」
俺はリビングテーブルにお盆を置き、俺と紗夜の湯飲みにお茶を注ぎ入れる。
この湯飲みはもう完全に俺専用になってるな――と、そんなことを思いながら一口お茶を口に含む。
そして、ソファーの背もたれにグッと体重を預けていると、紗夜が顔を覗き込ませてきた。
「何だよ……?」
「颯太君の顔を見ていました」
「そりゃ見たらわかる。その理由を知りたいんだが」
「今まであまり見えていなかった、颯太君の細かい表情の変化とかが気になってしまって」
「見ても面白いもんじゃないぞ」
「そうですか? 私はずっと見ていられますよ」
「おまっ……」
「あ、赤くなった」
そりゃ、急にそんなことを言われたら赤くもなるだろうに。
紗夜はそんな俺の顔を見て、クスッと可愛らしい笑顔を作る。
「俺なんかより、お前のこと見てる方がよっぽど目の保養になるぞ」
「そんなことは――」
「――ある」
紗夜がひたすら見詰め続けてくるので、俺も仕返しとばかりに紗夜に視線を送り続ける。
俺と紗夜の間に何とも言えない沈黙が訪れる。
しばらく紗夜は不思議そうに目をパチクリと瞬かせていたが、見詰め合うのが恥ずかしくなってきたのか、次第に頬から耳の方へと紅潮させていく。
しかし、この見詰め合いが知らぬ間に、先に視線を逸らせた方が負けなのではないかという空気感を作り出してしまっていた。
「……」
「……」
互いに一歩も引けないし、一センチたりとも視線を動かせない。
「そ、颯太君。そんなに見詰められると困ってしまいます……」
「隣人同士困ってるのはお互い様だな」
「隣人は関係ないじゃないですかっ。もうっ、お願いですから見ないでくださいっ!」
紗夜が俺の目を覆い隠すように手を伸ばしてくるが、俺はその手を掴んで下げさせる。
「紗夜が先に目を離したら俺もそうしようか」
「……いじわる」
不満げに頬を膨らませて僅かに唇を尖らせた紗夜は、半目になりながらもいまだ俺を見詰め続けてくる。
俺も強気には言ったものの、正直なところかなり恥ずかしい。
ただ、こうして改めて紗夜の顔をジッと見てみると、本当に綺麗だと思う。
大きな瞳は榛色で、優しい印象を与えてくる。長いまつ毛や整った鼻梁、手入れを欠かしていないことが素人目にもわかる瑞々しい白肌。
最初はこの可愛いと思う気持ちは愛玩動物などに向けるそれと同類のものだと思っていた。
でも、最近少し違うのではないかと自覚し始めた――いや、自覚は前からしていたのだ。正確にいうならば、認め始めたというべきだ。
俺が抱いているこの感情は、あれほど俺が遠ざけたがっていた感情に他ならない。
紗夜の隣にいるのは俺であってほしいと思うし、紗夜が頼る人物も俺であってほしいと願える。俺が誰よりも紗夜のことを知っていたいという気持ちも確かにある。
俺はそんな紗夜の顔へ静かに手を伸ばしていった。
紗夜はキョトンとしていたが、特に迫る俺の手を拒むこともなく、ただ小首を傾げるだけ。
こんなことをしても拒絶されないことに、俺は安堵を覚えながら、手を伸ばし――――
「えい」
「みにゃっ――!?」
――紗夜の真っ赤に染まった耳を優しく摘まんだ。
いつしか心に誓った自分との約束を、今、果たした。
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