第37話 お隣さんの学校生活③
「だから、その……」
紗夜が少し頬を赤らめて、モジモジしながらゆっくりと言葉を紡ぐ。
こうもったいぶられると、こっちまでむず痒くなってくるので、質問があるならさっさと――――
「……何か私に対して欲求とか――」
「――んっ!? ゴホッゴホッ!」
――前言撤回。
そんな質問をしてこないでほしかった。
紗夜の口から耳を疑うようなとんでもない言葉が飛び出してきたため、思わず咳き込んでしまう。
間違いなく紗夜と出会ってから一番の驚きだ。
「な、なに言ってんの?」
「~~ッ!?」
言ってきた張本人である紗夜は、顔をボッと真っ赤に燃やし、恥ずかしさからかその顔を両手で包み隠す。
果たしてこの質問に何の意味があるのかは定かでないが、紗夜がこんなに恥ずかしがってまで聞いてきたことだ。
本心では答えないという選択肢を進んで取りたいが、そうもいかないだろう。
「答えるが……コレ、お前から聞いてきたんだからキモいとか言うなよ? 俺泣くぞ?」
「い、言いませんよっ!」
「じゃ、じゃぁ……」
「……」
「その……時々、無性にお前の頭を撫でたくなる、かも……」
「…………え?」
「やめろ! そのポカンとした顔向けてくるな!」
俺が恥を忍んで勇気と覚悟を持って答えたというのに、紗夜はとてつもなく意外そうな表情を浮かべてこちらを見てくる。
「あ、頭……ですか?」
「うむぅ……」
気まずい沈黙が流れる。
そして、「ふふっ」と紗夜が笑いを吹き出す音が沈黙を破った。
俺は死にたくなって声にもならない奇声を喉から鳴らしながら、ソファーの手すりに顔を埋める。
「颯太君」
「何だよ」
「なに拗ねてるんですか」
「拗ねてない。死にたい」
「撫でます?」
「撫で……え、なんて?」
聞き間違いかとも思ったが、紗夜の表情を見た感じそうではないようだ。
「別に、その……頭くらいならいつでもどうぞという感じですが……」
紗夜は横の髪を指で巻き取りながらボソボソと小声でそう呟く。
「え、えっと……冗談じゃなくて?」
「冗談じゃなくて」
「い、良いと……?」
「ど、どうぞ……?」
若干紗夜が頭をこちらへ傾けてきたので、これは撫でても良いですよという合図だろう。
俺はバクバクとやかましい自分の心臓の音を鮮明に聞きながら、「じゃぁ……」とゆっくり手を伸ばす。
そして、俺の指先が紗夜の頭先に触れ――――
ピィ――――
「「……」」
どうやらご飯が炊けたらしい。
甲高い電子音によって、立ち込めていた変に緊張した空気が霧散し、俺と紗夜は一気に立ち上がる。
「れ、冷蔵庫に入れてあるおかずと一緒に食べましょう!」
「あ、ああ! 俺、皿出すよ!」
このあと、一言も喋ることなく夕食を取った。
紗夜の料理はいつも美味しいのだが、今日に限ってはその味を感じることは出来なかった。
そして、その代わりとばかりに、胸一杯に甘酸っぱさとじんわりとした熱が広がっていた――――
◇◇◇
「「……」」
夕食を食べ終え、俺が食器を片し、今こうして紗夜と並んでソファーに腰掛けているのだが…………
非常に気まずい。
特に何かしているわけでもないのに、俺はスマホ片手に何かしている感を演じている。
先程からメッセージアプリの開いて閉じてを繰り返している。
対する紗夜はというと、先程から微動だにせず、もう習慣になっているのであろう美しい姿勢を保ったままただ座っているだけ。
そのピンと背筋の張った佇まいには目を引かれるが、明らかに何かを意識しているのが伝わってくる。
そして、その“何か”も明白なわけで…………
「こ、コホン」
紗夜がこの沈黙を破った。
わざとらしい咳ばらいを一つ挟み、あちこちへ視線をさまよわせながらも口を開く。
「そ、その……さっきのことですが……」
「あ、ああ」
俺はスマホをテーブルの上に置く。
「か、考えてみれば別に初めてというわけでもないですし……今更じゃないですか?」
「えっと……そうだっけ?」
「え、覚えていないんですか? 初詣で私が自分のおみくじを見るのを怖がっていたときに、颯太君が……」
「あ、あれはほら。撫でたというより、手を置いただけというか」
「そ、それに、泣いたときに胸を貸してもらいましたし……。そんなのに比べたら、頭を撫でられるくらい大したことじゃないと言いますか……」
「な、なるほど……」
「その、だから……別に撫でたければ撫でてどうぞ……」
そう呟いて紗夜は、前を向いて座り直す。
脚の上に置かれた手はキュッと握られているし、唇は硬く閉められているしで、緊張しているのは一目瞭然。
果たしてそんな紗夜に手を伸ばしていいものなのかと戸惑ったが、このまま何もしなければ紗夜に一生ヘタレと言われ続けられそうだ。
「い、良いんだな?」
「ご、ご自由に」
「では、失礼して……」
もう炊飯器の電子音に遮られたりはしない。
俺はそっと手を伸ばし、紗夜の可愛らしい小さな頭に触れる。
一瞬ピクッと紗夜が震えたが、特に拒絶されることもなかったので、俺はそのまま手をスライドさせた。
サラサラでシルクのような手触りの黒髪が、指先をスッと流れていく。
紗夜の体温が掌にしっかりと伝わってきて心地良い。
「ど、どうですか……?」
「上手く言葉に出来ないけど、凄く良い」
「それは良かったです」
されるがままになっている紗夜が淡く微笑んだ。
スッと目を細めている様は、どこか撫でられている猫を想起させる。
そうして撫で続けていると、俺は変な欲求というか――悪戯心が芽生えてしまった。
先程から揺れる黒髪の横からチラリと窺える小さな耳。
微かに赤くなっているのが一層可愛らしいのだ。
俺は唾と罪悪感を飲み込んでから、えいっと紗夜の耳を優しく摘まんだ。
「ひゃぁっ!?」
「柔らかッ!?」
紗夜は肩をすくめると、不満たっぷりといった視線を向けてきた。
「颯太君っ!」
「は、はい」
「誰も耳まで触って良いとは言ってません!」
「だって、そこにあったから……」
紗夜は自分の触られた左耳に触れ、「もぅ……」とため息を溢す。
「その……私、耳はちょっと弱いので勘弁してください……」
「なんか、そう言われると余計に触りたくなるんですが。俺の悪戯心がやれと言ってくるんですが」
「断っておいてください」
「まぁ、わかった」
紗夜は耳が弱いということが、わかった。
また忘れた頃に悪戯を仕掛けてみるのもいいかもしれない。
まあ、怒られるだろうが……どうしてか、紗夜は拒絶してこない気がする。
「でも、頭を撫でられるのは、その……嫌じゃなかったので……」
一言言ってくれればいつでもどうぞ、と紗夜は横顔に掛かった髪を耳に掛けながら言った。
「耳は?」
「だ、ダメですっ!」
このとき俺は、いつか再び紗夜の耳を摘まむことを誓った――――
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